生理学研究所年報 第29巻
 研究会報告 年報目次へ戻る生理研ホームページへ

17.中枢・末梢臓器間連携による摂食,
エネルギー代謝調節

2008年2月28日−2月29日
代表・世話人:矢田俊彦(自治医科大学医学部生理学講座統合生理学部門)
所内対応者:箕越靖彦(生理学研究所
発達生理学研究系生殖内分泌系発達機構研究部門)

(1)
転写因子FoxO1による摂食調節ペプチドの発現調節機構
北村忠弘(群馬大学生体調節研究所代謝シグナル研究展開センター)
(2)
消化管ホルモンと摂食調節
伊達 紫(宮崎大学フロンティア科学実験総合センター
生命科学研究部門生理活性物質探索分野)
(3)
グレリン欠損マウスの表現型について
児島将康,佐藤貴弘(久留米大学分子生命科学研究所遺伝情報研究部門)
(4)
摂食行動調節におけるストレスと神経ヒスタミン
千葉政一,吉松博信(大分大学医学部 生体分子構造機能制御講座・第一内科)
(5)
骨格筋でのグルコース代謝に及ぼす視床下部オレキシンの調節作用
志内哲也,箕越靖彦(生理学研究所発達生理学研究系生殖・
内分泌系発達機構研究部門)
(6)
GLP-1による肝−膵神経性連関
西澤誠,中川淳,中林肇
(金沢医科大学内分泌代謝内科・金沢大学自然科学研究科動態生理学
(保健管理センター))
(7)
神経系を介した肝グルコキナーゼの核/細胞質間移行の調節
豊田行康,三輪一智(名城大学薬学部病態生化学)
(8)
門脈シグナルによる肝グリコーゲン,グルコキナーゼG6-P,
グリコーゲンシンターゼおよびグリコーゲンホスホリラーゼの変動
菊池方利(朝日生命成人病研究所)
(9)
転写因子Dmbx1の破綻によるエネルギー代謝異常の解析
三木隆司,志内哲也,藤本和歌子,箕越靖彦,岩永敏彦,清野進
(千葉大学大学院医学研究院神経科学部門高次脳機能学講座自律機能生理学)
(10)
PACAPノックアウトマウスの代謝調節異常
中田正範,山本早和子,矢田俊彦
(自治医科大学医学部生理学講座統合生理学部門)
(11)
グレリンによる食欲・消化管運動調節−抗うつ薬SSRIを例に−
乾明夫,藤塚直樹,浅川明弘(鹿児島大学大学院行動医学(心身医療科))
(12)
Nesfatin-1 の摂食抑制機構
清水弘行,森昌朋(群馬大学大学院医学系研究科病態制御内科学(第一内科))
(13)
自律神経を介した臓器間代謝情報ネットワーク
片桐秀樹
(東北大学大学院医学系研究科創生応用医学研究センター再生治療開発分野)
(14)
IL-6/STAT3を介した臓器間ネットワークの意義
井上啓1,小川渉2
1金沢大学フロンティアサイエンス機構,
2神戸大学大学院医学系研究科糖尿病・代謝・内分泌内科学分野)
(15)
2型糖尿病モデルGKラットにおける中枢−脂肪−膵軸連関の変調
安藤明彦1,2,石橋俊2,矢田俊彦1
1自治医科大学医学部生理学講座統合生理学部門,
2自治医科大学医学部内科学内分泌代謝学部門)

【参加者名】
北村忠弘,清水弘行(群馬大学),中村肇,西沢誠,井上啓(金沢大学),児島将康(久留米大学),嶋津孝(愛媛大学),菊池方利(朝日生命成人病研究所),豊田行康,熊澤良祐,森茂彰,鈴木礼奈,松尾吉泰,長尾真里子(名城大学),乾明夫(鹿児島大学),三木隆司(千葉大学),片桐秀樹,山田哲也(東北大学),伊達紫(宮崎大学),小川渉(神戸大学),吉松博信,千葉政一(大分大学),矢田俊彦,中田正範,安藤明彦(自治医科大学),Kyoung Kon Kim (Gachon University Gil Medical Center),岩崎有作(静岡県立大学),藤川哲兵(京都大学),内田邦敏(統合バイオサイエンスセンター),山中章弘,箕越靖彦,志内哲也,岡本士毅,鈴木敦,李順姫,戸田知得,大和麻耶,藤野祐介(生理研)

【概要】
 摂食調節における中枢・末梢連携に関して,北村氏は転写因子FoxO1による摂食調節ペプチドAgrpとPomcの発現制御機構について,伊達氏は迷走神経系による末梢代謝の脳への伝達機構について,千葉氏は前頭前野辺縁下皮質 (infralimbic cortex) がストレス応答と食行動反応の調節に深く関与していること,清水氏は新たな食欲抑制蛋白ネスファチン-1は末梢投与でも脳幹孤束核を介して摂食抑制作用を現すことを示した。

 臓器間の代謝神経情報連絡に関して,西澤氏は腸管ホルモンGLP-1が門脈で感知され神経を介して膵島インスリン分泌を刺激する経路を,菊池氏はグルコースが門脈で感知され神経を介して肝グリコーゲン合成の増加につながる経路を,豊田氏は脳室内へのグルコース注入による肝グルコキナーゼの核から細胞質への移行を,志内氏はオレキシンAのVMHへの投与が骨格筋でのグリコーゲン合成を促進する系を,井上氏は中枢インスリン作用により肝IL-6/STAT3経路が活性化され肝糖産生が抑制される系を示した。さらに,片桐氏は,肝でのPPAR g 2過剰発現は迷走神経求心路および交感神経遠心路を介して脂肪組織での脂肪分解を増加させ基礎代謝を亢進し,肥満や糖尿病を改善すること,乾氏は,選択的セロトニン再取り込み阻害剤 (SSRI) は摂食を抑制し,同時に空腹期の運動を食後期様の運動に変換させ,これらの効果はグレリン分泌の抑制を介すること,安藤氏は,2型糖尿病モデルGKラットの過食が中枢−脂肪−膵軸連関の変調によることを示した。

 新規調節因子について,中田氏はPACAP-KOマウスが低体重・低血糖を示すことから,このペプチドがエネルギー貯蔵と放出に関与すること,児島氏はグレリン-KOマウスに摂食・代謝の変化が見られず代償機構が示唆されること,三木氏は転写因子Dmbx1が胎生期の脳分化に関与し動物行動量と摂食量の調節に関わることを示した。

 参加者は,全身の臓器連関による摂食,代謝,脳機能の調節に関する最新の研究成果を発表し,懇親会を含めて盛んなディスカッションを行った。「臓器連関による生体恒常性」という新しい学問領域の発展と研究交流を促進する意義ある研究会となった。

 

(1) 転写因子FoxO1による摂食調節ペプチドの発現調節機構

北村忠弘(群馬大学生体調節研究所代謝シグナル研究展開センター)

 転写因子FoxO1はマウスの視床下部,弓状核のAgrpニューロンとPomcニューロンに発現しており,空腹時に核に移行する。ラットの弓状核に恒常的活性型のFoxO1を発現するアデノウイルスをマイクロインジェクションしたところ,Agrpの発現レベル増加に伴いレプチンによる摂食抑制効果が消失した。Agrpのプロモーター解析の結果,FoxO1結合モチーフが同定され,その部位を用いたルシフェラーゼアッセイの結果,FoxO1がStat3と競合することでAgrpの転写調節をしていることが明らかとなった。さらにクロマチン免疫沈降法を用いた解析により,Agrpプロモーターにおけるp300(転写共役活性化因子)とHDAC1(転写共役抑制因子)のリクルートをFoxO1とStat3が協調して調節する分子メカニズムが明らかとなった。インスリンとレプチンが神経ペプチドAgrpの発現調節を介して摂食を負に調節する分子メカニズムを解明した。

 

(2) 消化管ホルモンと摂食調節

伊達 紫(宮崎大学フロンティア科学実験総合センター
生命科学研究部門生理活性物質探索分野)

 摂食行動は,末梢の液性因子,自律神経調節因子および学習,記憶,情動などの因子が中枢で統合されることにより複雑かつ精巧に制御されている。私たちは,摂食亢進ペプチド;グレリンの研究を通じて,迷走神経求心路を情報伝達経路とする末梢と中枢の機能連関とその分子機構について研究してきた。グレリン,CCK,PYYの受容体は迷走神経求心細胞で産生され迷走神経末端に軸索輸送される。迷走神経遮断ラットでは,グレリンの摂食亢進作用およびCCKやPYYの摂食抑制作用は完全にキャンセルされ,グレリン投与により迷走神経求心線維の発火頻度は減少を示し,CCKやPYYでは増加することが明らかになった。さらにこれらのホルモンによる摂食関連情報伝達は,延髄から中脳への神経線維を切断した中脳切断ラットにおいても完全にキャンセルされることや末梢からのグレリン情報が延髄孤束核でノルアドレナリンに変換され視床下部弓状核に到達することも明らかになった。脂肪細胞で産生される摂食抑制ホルモン;レプチンの作用は,神経遮断ラットにおいて有意に減弱した。また,興味深いことに長期飼育した中脳切断ラットは著明な肥満を呈し,レプチンの作用も完全にキャンセルされた。以上より,迷走神経系は末梢のエネルギー代謝状況を脳に伝える重要なメディエーターであり,神経系の機能不全が肥満やレプチン抵抗性の一因となっている可能性も考えられる。

 

(3) グレリン欠損マウスの表現型について

児島将康,佐藤貴弘(久留米大学分子生命科学研究所遺伝情報研究部門)

 グレリンは,摂食亢進や脂肪蓄積などの作用を持つエネルギー代謝調節ホルモンである。我々は,糖尿病や肥満症の発症におけるグレリンの作用機構を明らかにするために,グレリンノックアウトマウス (KO) を作出した。野生型マウス (WT) とKOの比較において,体重と積算摂食量に差は認められず,摂食行動の日内リズムや,制限給餌による摂食量,餌探し課題による学習記憶能にも差は認められなかった。一方,グルコース寛容試験においてWTとKOの間に血糖値の差は認められなかった。絶食を行ない,肝臓のアセチルCoAカルボキシラーゼ,脂肪酸合成酵素,カルニチンパルミトイルトランスフェラーゼの遺伝子発現量を検討したが差は認められなかった。このように,現在までに解析を進めた項目において,WTとKOに明確な差は認められなかった。KOでは代償機構が存在することも考えられることから,現在さらなる検討を進めている。

 

(4) 摂食行動調節におけるストレスと神経ヒスタミン

千葉政一,吉松博信(大分大学医学部 生体分子構造機能制御講座・第一内科)

 前頭前野辺縁下皮質 (infralimbic cortex; IL) はストレス情報処理に関与するとともに,視床下部と連携して食行動を調節している。特にILから視床下部神経ヒスタミンへの神経入力があり,ILの化学的破壊により神経ヒスタミン機能が低下すると,食行動や体温調節系のリズム障害が誘発される。一方,絶食負荷は神経ヒスタミンを増加させ絶食後摂食抑制反応を生じる。同反応には低エネルギー状態で増加するオレキシンによる神経ヒスタミン活性化作用が関与している。しかし絶食負荷にはエネルギー欠乏要因に加えストレス負荷としての側面があり,この脳内情報処理機構については不明である。そこで我々は,電撃ショックによる痛覚ストレス,コミニュケーションボックスによる情動ストレス,4時間拘束ストレス,72時間の飢餓ストレスを用い,ストレス誘発性食行動反応に対するIL破壊の影響を解析した。インスリン誘発性低血糖による食行動反応に対するIL破壊の効果も調べた。その結果,痛覚ストレス,情動ストレス,拘束ストレスおよび飢餓ストレスによって生じる食行動抑制反応が,IL破壊群では有意に減弱していた。一方,急性低血糖によって生じる食行動誘発反応は,IL破壊群と対照群の間に有意差を認めなかった。以上より,ILはストレス情報処理およびストレスによる食行動反応の調節に深く関与していることが示唆された。

 

(5) 骨格筋でのグルコース代謝に及ぼす視床下部オレキシンの調節作用

志内哲也,箕越靖彦
(生理学研究所発達生理学研究系生殖・内分泌系発達機構研究部門)

 本研究では,オレキシン・ニューロンが生体内のグルコース代謝に関与している可能性とそのメカニズムについて検討した。

 オレキシンAを視床下部腹内側核 (VMH) に投与すると,交感神経系の活性化を伴って,b2アドレナリン受容体を刺激し,骨格筋におけるグルコースの取り込みが顕著に上昇した。脂肪組織ではこのような変化は見られず,また,血糖値,血漿インスリンおよびエピネフリン濃度,摂食量や運動量にも変化は無かった。血糖を維持しながらインスリンを静脈内に投与すると,オレキシンAのVMHへの投与は,骨格筋でのグリコーゲン合成を有意に促進した。

 一方,オレキシン・ニューロンは動機付け行動に関与している。そこで,マウスにサッカリン溶液を自発的に経口摂取させると,オレキシン・ニューロンにおけるc-Fos発現の有意な増加を伴って,骨格筋におけるグルコースの取り込みおよびグリコーゲン合成が増加した。また,このような,甘味溶液の自発的摂取による骨格筋のインスリン感受性増強作用は,オレキシン受容体拮抗薬のVMHへの両側性投与,あるいはb2アドレナリン受容体拮抗薬の全身投与により低下した。

 本研究により,甘味刺激のような動機付け行動は,視床下部オレキシン・ニューロンを活性化し,VMH-交感神経-b2アドレナリン受容体経路を介して骨格筋でのグルコース代謝を促進することが考えられる。

 

(6) GLP-1による肝−膵神経性連関

西澤誠,中川淳,中林肇
(金沢医科大学内分泌代謝内科・金沢大学自然科学研究科動態生理学
(保健管理センター))

 摂食時に消化管から分泌させるGLP-1は液性ホルモンとしてインスリン(I) 分泌増強(incretin)作用を発揮するとされてきた。一方,我々はGLP-1による肝−膵迷走神経(迷神)性連関につき一連の結果を得た。1) 生理学的量のGLP-1門脈内投与は肝迷神求心性活動を増加し,さらに神経反射的に膵迷神遠心性活動増加を惹起する。2) nodose ganglion(NG)の神経細胞体にGLP-1受容体遺伝子が発現する。3) GLP-1はNG神経細胞の膜電位脱分極と発火を惹起する。従って,肝門脈域迷神のGLP-1感受を基点とする神経性I分泌増強機構の存在が示唆された。そこで,肝迷神選択的切断(迷切)/非切断ラットで,無麻酔無拘束下に門脈内あるいは頚静脈内にグルコース(G) 注入(20分間)し,後半10分間にGLP-1あるいはvehicle並行注入を行い,GLP-1のincretin作用での迷神の役割を検討した。門脈内投与時,1) 生理学的量GLP-1はGによるI分泌促進を増強するが,この増強効果は迷切群では67%も減弱した。2) 薬理学的量GLP-1はI分泌をより促進し,迷切群では50%の減弱をみた。3) 1),2)と同じ血糖下での薬理学的量GLP-1の頚静脈内投与は,GによるI分泌を一層増強するが,迷切群ではわずか16%の減弱をみた。従って,GLP-1の門脈内出現は肝迷神機構を介してもincretin効果を惹起し,この効果は生理学的状況でより重要な役割を果たすことが示された。

 

(7) 神経系を介した肝グルコキナーゼの核/細胞質間移行の調節

豊田行康,三輪一智(名城大学薬学部病態生化学)

【目的】脳室内へのグルコース (Glc) 注入による肝グルコキナーゼ (GK) の核から細胞質への移行(GK移行)を調べた。

【方法】ラット第3脳室内にアロキサン(アロキサン処置)あるいは人工脳脊髄液(未処置)を注入した。次に,第3脳室にGlcを注入し,注入5分後の肝細胞内のGK移行を調べた。また,視床下部神経核のGK活性を測定した。

【成績】未処置ラットにGlcを注入するとGK移行が起こった。アロキサン処置ラットではGK移行が減弱した。視床下部弓状核のGK活性は,アロキサン処置ラットで低下していた。従って,脳室内のGlc濃度の上昇が弓状核で感知され,その情報が迷走神経を介して肝臓に伝わり,GK移行が起こった可能性が示唆された。

【結論】第3脳室内へのGlc注入によりGK移行が起こる。

 

(8) 門脈シグナルによる肝グリコーゲン,グルコキナーゼG6-P,
グリコーゲンシンターゼおよびグリコーゲンホスホリラーゼの変動

菊池方利(朝日生命成人病研究所)

 イヌやラットの門脈にグルコースセンサーが存在し,門脈または消化管からのグルコース注入はグルコースの取り込みを増加し,動脈と門脈のグルコース濃度差を低下させるとされる(門脈シグナル)。このグルコースの取り込みは急速に生じるので,自律神経が関与していると思われる。ラットの迷走神経切断の有無において,グルコースを78mmol/kg/minで門脈または末梢血管に持続注入し,各注入経路間の肝グリコーゲン,G6-P,ホルモンを測定した。持続注入を行うと肝グリコーゲン濃度はS字状に増加し,120分後,門脈の方が末梢より上昇し,グルコキナーゼの肝細胞移行,G6-P上昇とGlycogen phosphorylase a (GP) 活性の抑制が門脈注入で大となり,120分間に平衡した。Glycogen synthase (GS) は瞬間的に増加したが,注入経路間に差異がなく,その後低下し門脈注入で120分後朝食前値と同じになり,末梢注入で低下した。即ち,門脈注入によりGSとグリコーゲンは120分後増加した。 迷走神経を切断すると,各注入経路において血漿インスリン,グルカゴン濃度,G6-P濃度,GK,GS, GP活性は5分間に差異がなく,GPは切断しない末梢注入に対し僅かに増加したが,他に差異を認めなかった。門脈シグナルにより肝グリコーゲン合成は増加した。神経切断により上記代謝物は末梢注入とほぼ同等になった。

 

(9) 転写因子Dmbx1の破綻によるエネルギー代謝異常の解析

三木隆司,志内哲也,藤本和歌子,箕越靖彦,岩永敏彦,清野進
(千葉大学大学院医学研究院神経科学部門高次脳機能学講座自律機能生理学)

 Dmbx1は胎生期の脳に発現するホメオドメイン型の転写因子である。我々はDmbx1の生理的役割を解明する目的で,Dmbx1欠損(Dmbx1-/-)マウスを作製したところ,Dmbx1-/-マウスは多動と摂食量の減少を伴う著しい痩せを示すことが明らかになった。そこで我々は,エネルギーおよび糖代謝制御におけるDmbx1の役割について検討した。Dmbx1-/-マウスの視床下部におけるPOMC,NPY,AgRPの発現を調べたところ,痩せを反映した変化が認められ,視床下部の弓状核でのこれらの遺伝子の発現制御は正常に保たれていると考えられた。しかしながら,MT-II,NPY,AgRPを脳室内投与し摂食応答を調べたところ,AgRPによる摂食促進効果のみが消失していた。さらに,肥満糖尿病モデルであるAy/aマウスとDmbx1-/-マウスを交配したところ,Ay/a :Dmbx1-/-マウスではAy/aマウスで見られる過食,肥満,インスリン抵抗性,糖尿病が完全に消失していた。このことからDmbx1は胎生期の脳分化に関与することによりAgRPの作用発現に重要な役割を果たしていることが明らかになった。

 

(10) PACAPノックアウトマウスの代謝調節異常

中田正範,山本早和子,矢田俊彦(自治医科大学医学部生理学講座統合生理学部門)

 我々は,神経ペプチドPACAP (Pituitary adenylate cyclase-activating polypeptide) がインスリン分泌,インスリン作用増強作用を有することをこれまでに報告してきた。一方,PACAPにはアドレナリン分泌促進,交感神経系の活性化,白色脂肪細胞での脂肪分解作用などの貯蓄エネルギー放出作用もある。

 今回解析を行ったPACAPノックアウトマウスは低体重,絶食条件下では過度の低血糖を示し,エネルギー貯蔵と放出の障害を呈する。解析の結果から,その責任臓器として脂肪細胞と視床下部弓状核が示唆された。さらにin vitroの解析とあわせ,新たなPACAPの白色脂肪細胞肥大作用および摂食促進作用が生体内で重要な役割をしていることが明らかになったのでこれを報告する。

 種々の生理作用を有するPACAPは,生体内でインスリンと交感神経系の円滑かつ適正なバランス調節に関与していると示唆される。

 

(11) グレリンによる食欲・消化管運動調節−抗うつ薬SSRIを例に−

乾明夫,藤塚直樹,浅川明弘(鹿児島大学大学院行動医学(心身医療科))

 脳・消化管ペプチドは食欲・体重調節に重要な役割を有しているが,摂食行動と密接にかかわる消化管機能の調節にも深くかかわっている。グレリンは胃から見出された強力な食欲促進ペプチドであり,視床下部に存在する神経ペプチドY (NPY) を介して,食欲や消化管運動に促進性の影響を及ぼす。

 本シンポジウムでは,抗うつ薬として用いられる選択的セロトニン再取り込み阻害剤 (SSRI) とアシルグレリンとの関係について,我々の最近の成績を中心に述べた。SSRIは,セロトニン作用増強に基づく食欲・体重抑制効果を示す一方で,食欲不振や胃排泄低下など,消化器系の副作用を発現する。これは多くの向精神薬が,セロトニン,ヒスタミンなど脳内アミン系を阻害することにより,食欲・体重増加作用を発現するのと対照的である。

 SSRIをラットに投与し,トランスデューサー法を用いて,胃十二指腸運動を測定すると,SSRIは空腹期の運動を食後期様の運動に変換させる。この作用は,空腹期運動を誘発するグレリンと正反対であるが,ウロコルチンなど食欲抑制系ペプチドの作用と類似し,食欲と消化管運動が見事に調和していることを示している。SSRIのこの作用は,グレリン分泌の抑制を介し,グレリン投与はこのSSRIの作用に拮抗する。この知見は,グレリンが病態生理学的に重要である可能性を示すと同時に,SSRIを悪液質患者に使用する上で,注意が必要であることを示唆している。

 

(12) Nesfatin-1 の摂食抑制機構

清水弘行,森昌朋(群馬大学大学院医学系研究科病態制御内科学(第一内科))

 新たな食欲抑制蛋白,ネスファチン-1の末梢投与後の摂食抑制作用の可能性について検証するとともに,その作用発現機構の解明を試みた。ネスファチン-1の腹腔内投与(10-1,250 pmol/g body weight) は,用量反応性にマウスの暗期における摂食行動を抑制し,皮下投与では腹腔内投与に比較してより長時間継続する摂食抑制が認められた。ネスファチン-1をalpha-helix構造を中心に3分割し,N-端側,C-端側ペプチドとその中間の 30 個のアミノ酸 (M30) ペプチドの3種類を合成し,それらの腹腔内投与効果について検討を行ってみるとM30ペプチドのみが明らかな摂食抑制作用を示した。またM30ペプチドの投与は遺伝的肥満動物や高脂肪食誘発性肥満マウスにおける摂食行動も抑制した。M30ペプチドの腹腔内投与により,マウス脳幹部孤束核におけるc-fos の発現は増加し,CART mRNAやPOMC mRNAの発現も増強した。以上の成績より,ネスファチン-1の活性部位が明らかになり,腹腔内投与されたネスファチン-1の摂食抑制シグナルが末梢から中枢への伝達される際における脳幹部孤束核の重要性が明らかとなった(一部は自治医大矢田俊彦先生との共同研究による)。

 

(13) 自律神経を介した臓器間代謝情報ネットワーク

片桐秀樹
(東北大学大学院医学系研究科創生応用医学研究センター再生治療開発分野)

 多臓器生物であるヒトにおける全身での代謝調節には,多くの臓器が協調的に関与しているものと想定される。

 脂肪肝の際に肝臓での発現亢進が認められるPPAR g 2を肝に過剰発現させたところ,肝では脂肪蓄積を促進する一方で,脂肪組織では脂肪分解を増加させ,基礎代謝を亢進し,肥満や糖尿病を著明に改善させた。神経切断や阻害剤投与実験などから,これら肝臓以外の臓器への遠隔効果は,迷走神経求心路および交感神経遠心路を介していることが明らかとなり,この自律神経系ネットワークは,過栄養時に基礎代謝を亢進させ肥満を予防するフィードバック機構として機能していると想定された。このことは,自律神経求心路を介して,脳が肝臓での代謝に関する情報を受け,末梢臓器に各臓器を統合した協調的代謝に向けての指令を出していることを示唆する。

 さらに,肥満マウスを用いて,肥満病態に及ぼす影響を検討したところ,肝PPAR g 発現にともなう自律神経系ネットワーク機構は,肥満の際の血圧上昇にも関与している可能性が示唆された。このように,肥満を予防する働きをすると考えられる内在性の機構が,慢性的な過栄養のもとでは,メタボリックシンドロームの病態形成にも関わるという機序が考えられる。これらの臓器間代謝情報ネットワークのさらなる検討は,個体における恒常性の維持機構の解明に加え,メタボリックシンドロームの病態の理解にもつながるものと期待される。

 

(14) IL-6/STAT3を介した臓器間ネットワークの意義

井上啓1,小川渉21金沢大学フロンティアサイエンス機構,
2神戸大学大学院医学系研究科糖尿病・代謝・内分泌内科学分野)

 我々は,中枢神経インスリン作用により肝IL-6/STAT3経路が活性化され,肝糖産生が抑制されるという新規なインスリン作用発現機構を明らかとした。一方,IL-6のインスリン抵抗性発症への関与を示唆する報告も散見される。本研究では肥満・インスリン抵抗性状態におけるIL-6/STAT3経路の耐糖能制御における意義を検討した。IL-6中和抗体の投与によりIL-6作用を抑制すると,正常マウスでは肝糖産生抑制が障害され,肥満・インスリン抵抗性モデルであるdb/dbマウスでは,末梢糖利用亢進と耐糖能異常改善を呈した。末梢糖利用に中心的役割を果たす骨格筋におけるIL-6/STAT3経路活性化を検討したところ,正常マウス骨格筋ではSTAT3活性化を認めないが,db/dbマウスでは,糖負荷後に,骨格筋STAT3が活性化された。骨格筋STAT3活性化の役割を検討するために,骨格筋特異的STAT3欠損db/dbマウスを作製した。骨格筋特異的STAT3欠損db/dbマウスは,対照db/dbマウスに比べ良好な耐糖能を示し,末梢糖利用の増強を呈した。肥満・インスリン抵抗性状態では骨格筋IL-6/STAT3シグナル経路は亢進し,インスリン抵抗性を誘導する。IL-6/STAT3経路は肝ではインスリン感受性の亢進,骨格筋ではインスリン抵抗性の誘導という2つの異なった作用を担うと考えられる。

 

(15) 2型糖尿病モデルGKラットにおける中枢-脂肪-膵軸連関の変調

安藤明彦12,石橋俊2,矢田俊彦1
1自治医科大学医学部生理学講座統合生理学部門,
2自治医科大学医学部内科学内分泌代謝学部門)

 1型糖尿病モデルSTZ投与ラットや重度肥満2型糖尿病モデルdb/dbマウスで過食が報告されている。当研究室での観察で正常体重2型糖尿病モデルGKラットにおいて若年性(6-14週齢)過食を確認しておりその成因の同定を試みた。11週齢では内臓(腸間膜・腎周囲)脂肪蓄積及び高レプチン血症を認めた。またGKラットでは,レプチン投与後の摂食抑制が有意に減弱し,視床下部レプチン受容体mRNA発現は不変であったがレプチン脳室内投与後のSTAT3リン酸化が弓状核特異的に有意に低下していた。さらに弓状核でNPY mRNA発現の亢進を認めた。GKラットの過食をPair fed により是正すると,内臓脂肪(腸間膜・腎周囲)蓄積の大部分は消失し,高レプチン血症は部分的改善認めたが,高血糖・高インスリン血症は改善を認めなかった。また高血糖,過食はともに3週齢で既に出現していた。

 以上より11-14週齢ではPair fed実験の結果から内臓脂肪蓄積,高レプチン血症は過食の結果と考えられ,中枢でのレプチン抵抗性に伴うNPYニューロン活性化が過食の原因として示唆された。3週齢で高血糖,過食の何れが一次的であるかについては今後の研究が必要である。

 なお14週齢GKラットでは精巣上体脂肪は有意な減少を認めていた。その原因として,同週齢での血清脂質値の検討結果(遊離脂肪酸正常・中性脂肪低下・総コレステロール増加)より,ケトン体の生成のため脂肪分解が亢進したことが推察された。

 


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