生理学研究所年報 第29巻
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24.伴侶動物の臨床医学研究会および
第38回日本比較臨床医学会総会

2007年11月30日−12月1日
代表・世話人:丸尾幸嗣(岐阜大学応用生物科学部獣医臨床腫瘍学)
所内対応者:木村 透(自然科学研究機構動物実験センター)

(1)
乳がんの病理学的概要 医学
廣瀬善信(岐阜大学医学部附属病院病理部)
(2)
乳がんの病理学的概要 獣医学
中山裕之(東京大学大学院農学生命科学研究科獣医病理学)
(3)
乳がんの臨床における現状 医学
細野芳樹(岐阜大学医学部附属病院第2外科)
(4)
乳がんの臨床における現状 獣医学
伊東輝夫(青葉動物病院)
(5)
炎症性乳がんの現状と課題 医学
川口順敬(岐阜大学医学部附属病院第2外科)
(6)
炎症性乳がんの現状と課題 獣医学
森 崇(岐阜大学応用生物科学部獣医臨床腫瘍学)
(7)
乳がんの最新トピックス 医学
川口順敬(岐阜大学医学部附属病院第2外科)
(8)
乳がんの最新トピックス 獣医学
丸尾幸嗣(岐阜大学応用生物科学部獣医臨床腫瘍学)

【参加者名】
丸尾幸嗣(岐阜大学応用生物科学部),酒井洋樹(岐阜大学応用生物科学部),児玉篤史(岐阜大学応用生物科学部),山田隆紹(麻布大学獣医学部),土屋亮(麻布大学獣医学部),小松嵩弘(麻布大学獣医学部),土田修一(日本獣医生命科学大学比較細胞生物学教室),荒島康友(日本大学医学部臨床病理学),小暮一雄(所沢愛犬病院),廣田順子(帝京科学大学理工学部アニマルサイエンス),臼井玲子(臼井動物病院),森崇(岐阜大学応用生物科学部),廣瀬善信(岐阜大学付属病院病理部),細野芳樹(岐阜大学付属病院第2外科),川口順敬(岐阜大学付属病院第2外科),伊東輝夫(青葉動物病院),中山裕之(東京大学大学院農学生命科学研究科),井口尚子(みささぎ動物病院),伊藤寛将(岐阜大学),犬塚直樹(金沢獣医科),宇野正人(獣医臨床),大矢善一郎(麻布大学付属動物病院内科),加藤みづほ(大阪市獣医師会/ロッキー動物病院),兼島孝(みずほ台動物病院),木村直人((財)日本モンキーセンター),蔵所宏好(大阪市獣医師会会/ロッキー動物病院),桑原正人(日本大学),小谷和彦(鳥取大学医学部),駒澤敏(知多愛犬病院),小宮智義(北里研究所),佐々木勝義(とこなめ動物病院),柴田久美子(麻布大学付属動物病院),関口智子(てらかど動物病院),瀬山昇(NCA),竹内康博(たけうち獣医病院),武富和夫(武富動物病院),土居弘典(岐阜大学),戸田知得(生理学研究所),長坂真由(豊田市おざわどうぶつ病院),並河和彦(麻布大学),長谷晃輔(おざわ動物病院),松尾康博(岐阜大学獣医病理),松本光和(愛知県獣医師会),水野累(岐阜大学腫瘍科),南千佳(岐阜大学),村上麻美(村上麻美),村松梅太郎(日本獣医生命科学大学),吉田治弘(専修大学),若園多文(ながまつ動物病院),渡邉尚樹(岐阜大学獣医学科)

【概要】
 愛玩動物から伴侶動物へと小動物臨床の対象は推移しつつある。家族と同様に生活をともにする伴侶動物は長命化し,加齢性疾患に罹患する動物が増加している。今や臨床獣医師はがんの症例を避けて通ることはできない。難治性疾患であるがんは治療を尽くしても良い結果がもたらされるとは限らない。それでも我々臨床獣医師が治療を継続できるのは,がん動物の飼主の飽くなきがん撲滅への熱望があるからである。

 このように,獣医学におけるがんを始めとする伴侶動物医学分野には毎年およそ50%の獣医大学卒業生が進路としているだけでなく,伴侶動物医学の進展は社会のニーズとなっている。そのような状況の中で,我々臨床獣医師が心がけねばならないことは,適切な診断と治療の実践である。すなわち,エビデンスに基づいた獣医療を行使することである。そのためには,獣医学と密接に関連する医学,実験動物科学との連携が不可欠である。

 今年度の研究会は医学と連携して,乳がんをテーマにシンポジウムを企画した。内容は乳がんの病理学的概要,乳がんの臨床における現状,炎症性乳がんの現状と課題,乳がんの最新トピックスの4つのテーマについて,医学および獣医学からの話題提供をお願いした。医学と獣医学が交流することによって,比較腫瘍学という観点からの論議が活発化し,新たな知見を生み出す原動力となることを期待している。今回の研究会開催が比較腫瘍学発展のきっかけとなれば望外の喜びである。

 

(1) 乳がんの病理学的概要 医学

廣瀬善信(岐阜大学医学部附属病院病理部)

 ヒト乳腺腫瘍の病理について概説する。

 乳癌は,本邦では罹患率・死亡率のいずれも低率であったのが最近は急増しており,その原因としてはライフスタイル(食事など)の欧米化などが関与すると考えられている。乳腺発がんの病因論としてはBRCA遺伝子変異,ホルモン受容体やHER2タンパクの過剰発現などが挙げられる。これらは,ヒト乳腺発がんに何らかの重要な関与をしており,将来的に診断・治療に応用できる可能性を孕む。

 ヒト乳腺腫瘍の組織学的分類は,日本乳癌学会編の「乳癌取扱い規約第15版(2004年6月)」に則ったものが全国的に普及している。各乳腺腫瘍の代表的な組織型の病理像は,自験例をスライド供覧する。生物学的特性では,ホルモン受容体,HER2の発現,マイクロアレイ解析,センチネルリンパ節生検が注目されている。

 当院において生検診断で心懸けている点としては,無理な診断は極力避けることが挙げられる。早期あるいは境界病変の鑑別にはこれまでの形態学の限界も指摘されており,臨床側とのコミュニケーションを保ちつつ,場合によって再検や摘出生検を求めていくことが重要と考える。

 今後の解決すべき課題としては,乳管内上皮増殖病変(ADH,乳頭腫,DCISなど)の診断や,縮小手術材料の病理検索,特に断端検索が重要になってくる。

 ヒト乳癌における知見の幾つかは,当然のことながら獣医学的診断治療に応用可能であると思われる。

 

(2)乳がんの病理学的概要 獣医学

中山裕之(東京大学大学院農学生命科学研究科獣医病理学)

 犬・猫に発生する腫瘍のうちで乳腺腫瘍は最も発生率が高く,それぞれ全腫瘍例中の40%弱を占めている。良性:悪性比率は犬でおおよそ1:1であるのに対し,猫では90%以上が悪性である。発生原因として,雌性ホルモンの関与が指摘されているが,その機構は未だ明らかでない。

 治療法は外科的摘出がほとんどで,化学療法,放射線療法なども試みられているが効果は定かでない。外科的に摘出する場合は腫瘍が発生している側の乳腺を全摘出するのが一般的である。

 病理組織分類では,犬の乳腺腫瘍はまず「良性」と「悪性」に大きく分け,それぞれで「上皮由来腫瘍」,「間葉由来腫瘍」および「混合腫瘍」に分ける。さらに上皮性は「単純上皮性」,「筋上皮を混じる複合性」,「扁平上皮などへの分化を示す特別な上皮性」に細分している。猫の乳腺腫瘍分類も犬と同様であるが,ほとんどが腺癌(悪性単純腺癌)である。

 予後決定因子は,犬では人と同様,組織型,細胞の悪性度,腫瘍サイズ,局所リンパ節転移の有無などであるが,猫の場合はほとんどが悪性なので,手術時期が予後を大きく左右する。

 犬と猫の乳腺腫瘍は多発性であること,雌性ホルモン依存性であることなど生物学的に類似する点が多い。そこで,人疾患のモデルあるいはモニターとして犬,猫の乳腺腫瘍を研究することには大いに意義がある。

 

(3) 乳がんの臨床における現状 医学

細野芳樹(岐阜大学医学部附属病院第2外科)

①乳がんの疫学
 年齢別死亡数の変化,危険因子,発生と進展

②乳癌の検査と治療方針の流れ1(乳癌と診断するための検査)乳房の触診・視診,マンモグラフィの基礎,超音波検査,病理学的検査(穿刺吸引細胞診,針組織診)

③乳癌の検査と治療方針の流れ2(治療方針を決めるための検査)造影MRI検査(腫瘍進展範囲の検索)

④乳癌の検査と治療方針の流れ3(他臓器へ転移の有無を確認)

⑤乳癌の治療の流れ
 乳癌の病期分類と治療方針(ステージ別治療方針)

⑥乳癌の進展に関する考え方
 手術可能な乳癌は局所病である。Halstedの考え方
 手術可能な乳癌であってもすでに全身病の状態である。Fisherの考え方

⑦手術療法の変遷(縮小手術の方向へ)

⑧乳房部分切除術の適応
 乳房部分切除後の放射線治療について

⑨腋窩リンパ節郭清の功罪
 センチネルリンパ節生検の利点と欠点

⑩乳癌の検査と治療方針の流れ
 (摘出標本による組織診 術後の治療方針の決定)

⑪術後の合併症
 患肢のリンパ浮腫が問題になることが多い

⑫乳癌の治療方針
 乳癌の予後規定因子とリスク分類

⑬術後療法(化学療法)
 現在使用されている化学療法の有効性,副作用

⑭術後療法(内分泌療法)
 抗エストロゲン剤などについて

⑮術後療法(分子標的治療薬)
 トラスツヅマブ(商品名ハーセプチン)

⑯再発乳癌の治療方針
 転移性乳癌及び進行乳癌の生存率の変遷

⑰術後の経過観察期間
 手術後10年間が目安,定期検診は必要となる

 

(4) 乳がんの臨床における現状 獣医学

伊東輝夫(青葉動物病院)

 ここでは犬の乳癌に関する臨床の現状について述べる。

発生状況
 乳腺腫瘍は雌犬ではもっとも多い腫瘍であり,その約半数が悪性の乳癌で,乳癌の約半数が遠隔転移や再発をおこすといわれている。

診 断
 犬の悪性乳腺腫瘍に適用されるWHOのTNM分類の評価基準に集約されている。

治 療
 犬の乳癌の治療は古くから手術切除が中心であり,悪性良性を問わず,見つかった腫瘍に対しては早期切除が原則となる。以下は術式の決定における考慮事項である。
 腫瘍の進行度と術式:犬の乳癌では切除範囲の違いによる生存期間の差はないと報告されている。
 予防としての乳腺全摘出術:腫瘍とともに乳腺全体を摘出しておくことがきわめて有効な予防手段となる。
 補助療法としての避妊手術:前提としてホルモン依存性の腺癌であることが望ましい。
 その他の補助療法:現段階では補助療法に関する情報は少ない。

患者のリスク評価
 乳癌の再発や転移が予想されるハイリスク患者をどう選別するかは重要な課題になっている。

臨床的観点からの今後の課題
 演者が特に重要と思うのは以下の5つである。
①国内の疫学データの作成
②術前評価の精度の向上
③各術式の効果を示すエビデンスをつくる
④信頼できる術後のリスク判定法の確立
⑤有効な術後補助療法の確立

医学・獣医学相互への提言
 種を超えた乳癌の比較で病態の理解が深まることで,新たな治療戦略が生まれることに期待したい。

 

(5) 炎症性乳がんの現状と課題 医学

川口順敬(岐阜大学医学部附属病院第2外科)

 炎症性乳がん(inflammatory breast cancer IBC)は広義の局所進行乳がんの特殊形で,急速に進行し予後も不良とされている。

1.定義:IBCは1924年Lee and Tannenbaumによって命名され,「明らかな腫瘤を触れず,乳房の1/3を超える広範な浮腫,発赤,熱感,疼痛を伴い,急速な進展を示す予後不良な乳がん」と定義される。

2.炎症性乳がんの頻度:日本の1994-2001年では,比率0.4-0.5%である。米国NCIによると,1990-92年0.7例/10000人・年となっている。

3.各種マーカーと動向:炎症性乳癌は予後不良であり,癌細胞自体に生物学的異常増殖因子が潜在していると考えられる。

4.基本的治療の変遷と成績:IBCはほとんどが既にmicrometastasisを来したsystemic diseaseと考えるべきで,局所治療では改善できない。そこで術前化学療法neoadjuvant chemotherapyが考えられた。

5.新規抗癌剤の導入と成果:1995年頃よりpaclitaxelやdocetaxelが,2000年頃よりtrastuzumabが臨床導入され,炎症性乳がんに一定の効果が示された。

6.今後の展望:炎症性乳癌が他の一般的な乳癌と比べ,どのような生物学的な違いがあるのかを調べ遺伝子発現から解析する試みが行なわれている。

 

(6) 炎症性乳がんの現状と課題 獣医学

森 崇(岐阜大学応用生物科学部獣医臨床腫瘍学)

 炎症性乳癌とは,浮腫や紅斑,熱感,疼痛などを伴い,極めて急速な進展を示す乳癌であり,その予後は極めて不良である。獣医学領域では,ほとんどの報告で浮腫や紅斑,疼痛などの臨床的な特徴のみで炎症性乳癌を分類しており,原発性と二次性を含めているものが多い。

 犬の発生率は全乳癌に対して4.4%あるいは7.6%との報告がある。発症年齢は11.4歳であり,通常の乳腺腫瘍(9.9歳)よりも有意に高齢との報告がある。その臨床所見は特徴的で,乳腺の腫脹やび漫性の硬結,広範な発赤,浮腫,局所の熱感,疼痛等が認められる。来院したときにはすでに全身症状を示している場合が多い。

 通常はその特異的な臨床症状から診断がつけられる。乳腺組織および皮膚の生検や,細針吸引による細胞診によっても充分確定できる。

 腫瘍組織中のCOX-2濃度をEIA法にて測定した報告によると,炎症性乳癌では最もCOX-2濃度が高く,さらにCOX-2濃度は皮膚の潰瘍,再発,転移,無病期間,生存期間と有意に関連していた。

 現在のところ炎症性乳癌に対する有効な治療法は報告されていない。緩和的治療のみの場合,平均生存日数はわずか25日である。外科治療は禁忌と考えられており,化学療法や放射線治療と組み合わせた複合治療が必須となる。炎症性乳癌ではCOX-2が上昇しているとの報告が存在することから,COX-2阻害薬の有用性が期待される。

 

(7) 乳がんの最新トピックス 医学

川口順敬(岐阜大学医学部附属病院第2外科)

1.診断に関する最新トピックス
(1) センチネルリンパ節生検法
 「センチネルリンパ節」を摘出し,転移の有無を確認し,患者のQOLを向上させることができる。
(2) DNA microarray
 21種の遺伝子の発現プロファイルを解析し,10年後までの患者の予後予測,化学療法有効性の予測を行う。

2.治療に関する最新トピックス
(1) 低侵襲手術
 手術は縮小の一途をたどり,現在,乳房部分切除+放射線照射が標準的局所治療となっている。
 a. RFA (Radion Frequancy Ablation)
  ラジオ波を用いて熱凝固を図る方法。
 b. MRガイド下集束超音波手術
  MRI撮影下に,超音波を腫瘍に集中させ,その熱によって腫瘍を熱凝固させる方法。
(2) 分子標的治療薬
 HER-2をターゲットとした分子標的治療
・Trasutuzumab
 分子量148KDaのヒト化モノクローナル抗体である。
・Lapatinib
 HER-1/HER-2を共に阻害する新しい薬剤で,Trasutuzumab同様,HER-2陽性乳癌患者に用いられる。
 今後,EGFRやVEGFRに対する特異的抗体,小分子型チロシンキナーゼ阻害剤が続々と開発されている。

3.まとめ
 これからの乳癌治療は集学的医療であり,また個別化治療になっていくものと思われる。

 

(8) 乳がんの最新トピックス 獣医学

丸尾幸嗣(岐阜大学応用生物科学部獣医臨床腫瘍学)

伴侶動物の乳がん臨床における克服すべき課題
 難治性乳がんに焦点を絞って論議すべきである。

1.犬高悪性度乳がんの効果的治療法の開発
 悪性度が高く,術後早期に再発と遠隔転移が出現する乳がん症例に対する効果的治療法の検討が必要である。

2.犬炎症性乳がんの効果的治療法の開発
 炎症性乳がんについてはシンポジウム3で論議される。

3.猫乳がんの効果的術後補助療法の開発
 短命となる症例に対する補助療法の検討が必要である。

4.リンパ節切除範囲の見極め
 センチネルリンパ節の識別法の研究が散見される。

5.難治性乳がんの生物学的特性の解明と治療戦略
 HER-2がん遺伝子,血管新生因子(VEGF),COX-2などの検討がなされている。

6.遠隔転移など進行がん症例への対応
 転移症例に対する効果的治療法および抗転移療法の開発が期待される。

伴侶動物がん臨床の今後の方向性
 がんの動物とその飼主を前にして,我々獣医師は何をしなければならないのかを考察する。

1.エビデンスの発掘と集積
(1) がんデータベースの立ち上げ
 わが国における犬猫がんデータベースを確立する。
(2) 臨床試験の実施体制の確立
 早急に臨床試験を実施する体制づくりを確立すべきである。

2.医学と獣医学の交流
 がんの登録制度や臨床試験の実施など,医学からの情報を得るとともに,医学と獣医学の交流が継続的に行われることが大切である。

 


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