生理学研究所年報 第30巻
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9.視知覚研究の融合を目指して-生理,心理物理,計算論

2008年6月12日-6月13日
代表・世話人:西田眞也(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)
所内対応者:小松英彦(生理学研究所)

(1)
運動物体における時空間的特徴帰属
河邊隆寛(九州大学大学院人間環境学研究院)

(2)
タスクスイッチ課題におけるMT野情報の読み出し
宇賀貴紀(順天堂大学医学部)

(3)
視覚の生成モデル ―理論と実験から―
渡辺正峰(東京大学大学院工学系研究科)

(4)
注意の移動と前頭葉皮質の神経活動
田中真樹(北海道大学大学院医学研究科)

(5)
Bridget RileyのOp-art作品におけるコントラスト錯視の構造
G.J.VanTonder(京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科)

(6)
ショウジョウバエの走光性行動を波長域ごとに制御する並列な視覚神経回路の解析
伊藤 啓(東京大学分子細胞生物学研究所)

(7)
骨格/テクスチャ非線形画像分解とイメージングIPパイプライン高度化への応用
―画像品質の自在コントロールを目指して―
齊藤隆弘(神奈川大学ハイテクリサーチセンター)

(8)
視覚刺激と解析法:ノイズ刺激から自然画像,サイン波まで
大澤五住(大阪大学大学院生命機能研究科)

(9)
視覚グルーピング課題時のサル頭頂間溝皮質ニューロン活動への注意の影響
横井 功(生理学研究所感覚認知情報部門)

(10)
チンパンジーにおける視覚認知 ─社会的刺激の処理を中心に─
友永雅己(京都大学霊長類研究所行動神経研究部門)

(11)
蛇の回転錯視への心理物理学的・計算論的・生理学的アプローチ
村上郁也(東京大学大学院総合文化研究科)

(12)
注意の時間的配分と知覚的構え
河原純一郎(産業技術総合研究所人間福祉医工学研究部門)

(13)
下側頭葉視覚連合野TEにおけるカラム構造と視覚情報表現
谷藤 学(理研BSI脳統合機能研究チーム)

(14)
質感知覚の心理物理学
本吉 勇(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)

【参加者名】
河邊隆寛(九州大学大学院),宇賀貴紀(順天堂大学),渡辺正峰(東京大学大学院),田中真樹(北海道大学),G.J. Van Tonder(京都工芸繊維大学大学院),伊藤 啓(東京大学分子細胞生物学研究所),齊藤隆弘(神奈川大学ハイテクリサーチセンター),大澤五住(大阪大学大学院),横井 功(生理学研究所),友永雅己(京都大学霊長類研究所),村上郁也(東京大学大学院),河原純一郎(産業技術総合研究所),谷藤 学(理研BSI),本吉 勇(NTTコミュニケーション科学基礎研究所),西田眞也(NTTコミュニケーション科学基礎研究所),松嶋藻乃(北海道大学),永福智志(富山大学大学院),林 隆(理研BSI),内川惠二(東京工業大学大学院),武田二郎(東京工業大学大学院),北澤裕介(東京工業大学大学院),吹野徳彦(東京工業大学大学院),的場寛明(東京工業大学大学院),緒方康匡(東京工業大学大学院),北岡明佳(立命館大学),塩入 諭(東北大学電気通信研究所),金子寛彦(東京工業大学大学院),水科晴樹(東京工業大学大学院),宇和伸明(東京工業大学大学院),根岸一平(東京工業大学大学院),藤井 芳孝(東京工業大学大学院),浅野拓也(東京工業大学大学院),南 明宏(東京工業大学大学院),前川 亮(東京工業大学大学院),宮内 浩(東京工業大学大学院),竹村浩昌(東京大学大学院),一戸紀孝(理化学研究所),沖山夏子(花王株式会社),田嶋達裕(東京大学大学院),今井千尋(東京大学大学院),瀧山 健(東京大学大学院),北園 淳(東京大学大学院),福島邦彦(関西大学),寺尾将彦(NTTコミュニケーション科学基礎研究所),parshuram hotkar(国立遺伝学研究所),近藤あき(京都大学大学院),篠崎隆志(理化学研究所),新美亮輔(理研BSI),鈴木 航(理化学研究所),竹内 孝(理研BSI),原澤賢充(NHK放送技術研究所),勝亦憲子(理研BSI),吉田 久(近畿大学),堺 浩之(豊田中央研究所),佐藤雅之(北九州市立大学),青木賢次(東京工業大学),今住優吾(豊橋技術科学大学),小濱 剛(近畿大学),益田綾子(関西学院大学),新井賢亮(京都大学),佐藤直紀(花王(株)),齋藤耕吉(東京工業大学),小村 豊(産経研),真塩海里(東京大学院大学),中村哲之(京都大学),嘉幡貴至(神戸大学),蒲池みゆき(工学院大学),菊池 優(愛知淑徳大学),柴田秀美(愛教大付属高校),林 晴代(愛知淑徳大学),長谷川国太(名古屋大学),高橋伸子(愛知淑徳大学),伊藤鷹慎(東京理科大学),三枝千尋(花王(株)),宮崎由樹(首都大学東京大学院),栗木一郎(東北大学電気通信研究所),原 一之(東京都立産業技術高専),観音隆幸(理化学研究所),篠森敵三(高知工科大学),小峰央志(豊橋技術科学大学),杉本史惠(関西学院大学大学院),阪口 豊(電気通信大学),金 秀明(京都大学理学研究科),高橋啓介(愛知淑徳大学),繁桝博昭(豊橋技術科学大学),下川史明(京都大学理学研究科),広川純也(基生研),川澄未来子(愛知淑徳大学),行松慎二(中京大学),高瀬慎二(中京大学),飯田宗徳(東京大学大学院),鶴原亜紀(中央大学),秦 重史(京大院),渡辺あゆみ(愛知淑徳大学大学院),蘆田 宏(京都大学),岡田真人(東京大学),佐々木博昭(東北大),山川義徳(京都大学),高橋 励(関学),熊野弘紀(順天堂大学),佐々木亮(順天堂大学),荒木 修(東京理科大学),渡邊淳司 (JST),下村智斉(中京大学),廣瀬信之(京都大学),大泉匡史(東京大学),大森敏明(東京大学),宮川尚久(理研BSI),石橋和也(神戸大学),鈴木一隆
以下,生理学研究所 田中絵実,浦川智和,林 正道,綾部友亮,岡さち子,小松英彦,伊藤 南,郷田直一,鯉田孝和,平松千尋,原田卓弥,坂野 拓,西尾亜希子,岡澤剛起


【概要】
 「視知覚研究の融合を目指して-生理,心理物理,計算論」は,平成20年6月12日,13日に岡崎コンファレンスセンター中会議室において開催された。今回の参加者も124名と例年通りの盛会であった。14件の講演の内訳は生理6件,心理物理6件,比較行動学1件,画像工学1件。トップで河邊氏が時空間知覚に対するクロスモーダル情報統合の役割についての最新研究を報告すると,宇賀氏はタスクスイッチという斬新な手法で知覚判断の神経メカニズムに迫った。渡辺氏はフィードバックの意味を理論とfMRIの両面から考察し,田中氏は眼球運動の座であるFEFの細胞が眼球運動を伴わない注意の移動においても重要な役目を果たしているという興味深い報告を行った。Tonder氏は芸術作品に潜むトリックを初期視覚系のモデルによって分析し,伊藤氏は遺伝子工学と行動実験を見事に組み合わせてショウジョウバエの色覚の神経機構を解明してみせた。齊藤氏の提案する「骨格/テクスチャ非線形画像分解」は純粋な画像工学手法だが,これまでの視覚科学が依拠してきたフーリエ・ウェーブレット変換の限界を超える特性をもち,近い将来に視覚研究の新しい流れを作ることを予感させた。奇しくも直後に大澤氏が視覚刺激と解析法についての総合的な考察を行い,視覚情報とは何か深く考える機会を得た。二日目は,まず横井氏がグルーピングの神経機構にメスを入れ,続いて友永氏がこれまで彼らが長年行ってきたチンパンジーを使った比較行動学的な視覚研究をサーベイしてくれた。村上氏は今や世界一有名な錯視となった北岡氏の蛇の回転錯視のメカニズムを解説し,河原氏は「注意の瞬き」についての新しい考え方を示してくれた。谷藤氏はITのコラム構造に関する論争に終止符を打ち,最後は本吉氏が質感知覚の話題で締めくくった。視覚に関する広範かつ最先端の研究が堪能できる大変有意義な研究会であった。

 

(1) 運動物体における時空間的特徴帰属

河邉隆寛(九州大学大学院人間環境学研究院)

 視覚情報は,瞬目や眼球運動,自己運動によって離散的に与えられるが,そのことによって視覚において不連続や盲が生じることは殆どない。これは,視覚系が離散的情報を巧く対応づけ,対応間の情報を補完しているからであろう。本研究では,フレーム間で対象の大きさが変化する仮現運動を刺激として用い,離散情報間の表象がポストディクション(回顧)に基づいて形成されている可能性を報告する。一方で,離散情報間表象が事前に提示された物体の特徴に基づくことを示した先行研究も紹介し,時空間離散情報間の表象形成について議論する。

 

(2) タスクスイッチ課題におけるMT野情報の読み出し

宇賀貴紀(順天堂大学医学部生理学第一講座)

 本研究では,同じ感覚情報をもとに異なった判断・行動をするときの「切り替え」が脳の中でどのように行われているのかを調べる実験を行った。ランダムドットステレオグラムのドットの運動方向あるいは奥行きのいずれかを答えるタスクスイッチ課題をサルに訓練し,大脳皮質MT野から神経活動を記録した。MT野ニューロンの活動は,サルが運動方向・奥行きのどちらを答えていても変化はなかった。しかし,MT野ニューロンの活動とサルの答えとの相関を計算すると,サルが運動方向・奥行きのどちらに注目しているかに依存して相関値に変化が見られる場合があった。これは,MT野ニューロンの情報の読み出し方を制御することで判断の「切り替え」が実現されていることを示唆する。

 

(3) 視覚の生成モデル ―理論と実験から―

渡辺正峰(東京大学大学院工学系研究科)

 視覚系の存在意義の一つとして「世界を正しく認識し,行動や意思決定につなげる」ことがあげられます。網膜に投影された二次元情報から三次元世界を再構築するためには,感覚情報のみならず,経験により獲得された視覚世界に関する“制約情報”が必要となります。本発表では,以上のような推論の脳メカニズムとして生成モデル (Mumford1992, Kawato et. al.1993) を取り上げます。生成モデルの特徴は,トップダウン神経投射が外界の順光学過程(陰影,遮蔽等)を“シミュレート”し,実際の感覚入力との誤差が,認識に相当する高次表象の更新に用いられる点です。本発表では,遮蔽,位置不変性などの複雑な順光学過程を汎化的に獲得するアルゴリズムを提案し,さらに視覚的意識に関連して生成モデルのfMRIによる検証を行います(理研の田中啓治,KangCheng,上野賢一,浅水屋剛らとの共同研究)。

 

(4) 注意の移動と前頭葉皮質の神経活動

田中真樹,松嶋藻乃(北海道大学医学研究科)

 われわれは移動する物体に伴って連続的に,随意的に注意をむけることができる。こうした空間的注意のトップダウン制御には,前頭および頭頂葉の眼球運動関連領野が密接に関与すると考えられている。その神経機構を調べるために,注意の移動を要する行動課題(Covert tracking課題)をサルに訓練し,前頭眼野およびその周囲から単一ニューロン記録をおこなった。この課題では視野内を動き回る複数の視覚刺激のうち1つを選択し,眼を動かさないでそれを内的に追跡する必要がある。得られた神経活動は逆相関法で解析した。前頭眼野ニューロンの多くはtargetの位置によって活動を変化させたが,前頭前野ではこれらに加えてdistractorの位置やその移動方向によって発火頻度を変化させるものが見出された。こうした信号はdistractorを能動的に無視し,targetの選択と追跡を容易にするために役立っているのかもしれない。

 

(5) Bridget RileyのOp-art作品におけるコントラスト錯視の構造

G.J. Van Tonder(京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科)

 Despite its apparently simple composition, Fall, a representative Op art painting by Bridget Riley, evokes intriguing visual contrast effects. One such effect, transitory apparent contrast, is a perceptual phenomenon in which vivid illusory patterns of high contrast appear to involuntarily fluctuate within periodic line images. Since the first formal description of the effect (Purkinje, 1823), various explanations have been proposed, only with limited success. Here, we show that local alignment between stimulus structure and the vector field of object-stimulus relative displacement specifies the geometry of observed contrast loci, proving that the contrast illusion occurs along locally stationary parts of the stimulus-strong evidence that the illusion is driven by the receptor stage in the retina.

 Applying this model simulation to Fall, we show that the painting supports distinct compositional layers comprised of dynamic contrast loci, and a stable, multi-scale scaffold. We suggest that this structuring allows the perceptual embodiment of what Riley describes as the opposite experiences of visual tension and mental composure, that she attempts to recreate in her work.

 

(6) ショウジョウバエの走光性行動を波長域ごとに制御する
並列な視覚神経回路の解析

伊藤 啓(東京大学分子細胞生物学研究所高次構造研究分野)

 ショウジョウバエは,単細胞生物等に見られるランダムな走光性ではなく,最初に光源の方向を定位してから一直線にその方向へ走る,ある程度複雑な走光性行動を示す。過去40年間の解析では,この行動を制御する脳神経回路に関する手がかりはなかった。我々は,低次視覚中枢と高次視覚中枢を結ぶ数十経路の神経回路のうちの特定の経路のみを,細胞特異的な遺伝子発現誘導を用いて機能阻害し,さらに大型スペクトログラフを用いてごく狭い波長域の光への行動を解析した。その結果,2種類の経路を阻害するとそれぞれ特定の波長域で走光性に異常が生じるが,わずか30nm離れた波長域では異常がないこと。また,光に向かう行動のみが阻害され,その波長の光の認識自体には影響がないことを発見した。異なる情報経路が相補的な波長について特異的に走行性行動を並列制御することによって,混合光に対するロバストな応答が実現されていると考えられる。

 

(7) 骨格/テクスチャ非線形画像分解とイメージングIPパイプライン高度化への応用
―画像品質の自在コントロールを目指して―

齊藤隆弘(神奈川大学工学研究科/ハイテクリサーチセンター)

 フーリエ解析に基づく信号処理は,音響信号のような振動的信号の処理に適しているが,不連続跳躍・緩やかな変動・振動的テクスチャ等,性質が異なる成分から構成された“自然画像”の処理に適したものではない。一方,我々の研究グループは,2000年頃から,画像信号の性質に適合した新しい信号成分の分離表現法とその応用に関する研究をスタートさせ,画像を,不連続跳躍・緩やかな輝度変動・振動的テクスチャ等の構造的成分に分解し,各分解成分にその性質に適合した処理を適用することで,古典的画像処理を高度化し,鮮鋭化と雑音除去のように互いに相反した処理課題を両立させながら効果的に実現できること,画像品質をある程度自在に制御し得ることを示してきた。本講演では,この構造的非線形画像分解の考え方を紹介するとともに,テクスチャの白潰れの防止と暗部での雑音低減を同時に可能とした新たなDSC-IPパイプラインへの応用例も紹介する。

 

(8) 視覚刺激と解析法:ノイズ刺激から自然画像,サイン波まで

大澤五住(大阪大学大学院生命機能研究科)

 視覚系のシステム解析的な研究では,刺激としてサイン波やノイズが良く利用されてきた。これに対し,最近の研究では自然画像や動画が刺激として利用されるようになった。高次視覚野の研究における,これらの刺激の利点と限界を考察する。初期視覚野とは異なり,高次視覚野では細胞の好む刺激特徴を強く含まないノイズ刺激は細胞を十分に発火させることができないとされる。反面,ノイズ刺激は細胞の特性に最適化されていないため,反応レベルは低くても多領野の多くの細胞を一様に活性化することができ,解析法を工夫することにより,当初の目的を超えた解析を既存のデータから引き出すことも可能である等の利点も多い。これらの特徴をふまえ,当研究室ではノイズ刺激により,どのような特性まで実際に計測可能であるかを実証するための一連の研究を行っている。これらの内,視覚野細胞の曲率選択性と両眼特性を精密に求める実験に関して述べ,将来を展望する。

 

(9) 視覚グルーピング課題時のサル頭頂間溝皮質ニューロンへの注意の影響

横井 功1,小松英彦1,2
1自然科学研究機構生理学研究所,2総合研究大学院大学生命科学研究科)

 視覚グルーピングの神経メカニズムについて調べるために,グルーピングを必要とする検出タスクを設定し,サル頭頂間溝皮質 (IPS) から単一細胞外記録を行った。視覚刺激は白または黒の5つの正方形ドットが十字に配置して構成される。同じコントラストのドットが水平または垂直に並ぶパターンをターゲット刺激とした。ターゲット刺激には方位とコントラストの特徴が含まれるが,このうち縦または横の方位に選択的な注意を向けさせて,IPSニューロンへの注意の影響を調べた。記録した大部分のニューロンがターゲット刺激のコントラストよりも方位について選択的な反応を示した。方位の選択性は注意を向けている方位とターゲットの方位が一致する条件で増強した。さらに,選択性強度の増強はターゲットの検出時間と相関した。この結果はIPSのニューロンが注意によって影響される視覚グルーピングに重要な役割を担っていることを示唆する。

 

(10) チンパンジーにおける視覚認知─社会的刺激の処理を中心に─

友永雅己(京都大学霊長類研究所行動神経研究部門)

 これまで,ヒトの進化的隣人であるチンパンジーを対象に,その視覚的認知能力の諸相について,比較認知科学的な観点から検討を進めてきた。最近は特に,ヒトとチンパンジーの間で無視できない差異が存在する社会的認知の知覚的基盤に興味をもって研究を進めてきた。今回はその中から,顔や視線,さらにはそれに関連するいくつかのトピックについての最近の成果を概観したい。トピックとしては以下のようなものを考えている。1) 顔刺激の効率的探索:チンパンジーは顔刺激を雑多なオブジェクトの中からきわめて効率的に検出できる。これは顔刺激を「顔」として処理した上で起こっている。2) 視線の視覚探索:ヒト同様チンパンジーでも自分の方を見つめている顔のほうが視線のそれた顔よりも見つけやすい。ただし,効率的な探索とは言いがたい。その一方で他者間でやり取りされている視線については物体に視線を向けていない状態の方が物体を見ている状態よりも容易に検出できることがわかった。

 

(11) 蛇の回転錯視への心理物理学的・計算論的・生理学的アプローチ

村上郁也(東京大学大学院総合文化研究科)

 ある特定の光強度パタンを繰り返し配置した静止図形を見ると,特定方向に運動が感じられる。蛇の回転錯視とも呼ばれる本現象の生成機序を解明する実証研究を行ってきた。まず,錯視は逆方向の実際運動によって相殺できたことから相殺速度をもって錯視を定量化したところ,錯視量は被験者の眼球の微動や図形自身の画面上の微動による網膜上の図形の揺れが大きくなると増加し,偏心度が大きくなると増加し,網膜照度が低くなると減少することがわかった。これらから,時間周波数帯域通過特性をもつ処理過程の関与が示唆されるため,視覚系初期段階に仮定される時間微分器の特性の歪みから錯視運動が発生して高次段階で運動統合されるという計算モデルを立てた。実際の錯視観察時の脳活動を機能的MRIで測定すると,hMT+野で錯視観察時に賦活量の増大を認め,V1野では差異はみられなかった。これらのアプローチの進捗を報告し可能な理論枠組みを議論する。

 

(12) 注意の時間的配分と知覚的構え

河原純一郎(産業技術総合研究所)

 会話や自動車の運転のように,それぞれが習熟した行動であっても,これらを同時に実行しようとすると上手くできなくなる。注意の瞬き (attentional blink) 現象は,そうした二重課題場面での認識不全の典型であり,われわれが注意を時間的に近接したイベントに配分する能力には限界があることを示している。具体的には,視覚刺激を1秒に10個程度のペースで逐次呈示し,その中に含まれる2つの標的を探す場合は,第1標的を検出すると,その後500ms程度は第2標的の見落としが生じてしまう。本講演では,知覚的構えの切り替えと維持がこのような高速視覚逐次事態での知覚不全に及ぼす役割について議論したい。特に,知覚的負荷が誤った構えの切り替えを誘発することで注意の瞬き現象が生じると考えるモデルを紹介するとともに,知覚的構えの選択とその意識的モニタリングが乖離している可能性を示唆する研究結果について述べる。

 

(13) 下側頭葉視覚連合野TEにおけるカラム構造と視覚情報表現

谷藤 学,佐藤多加之,内田 豪,Michel Vidal-Naquet,宮川尚久
(理研BSI脳統合機能研究チーム)

 TE野の細胞の物体像に対する選択性を定量的に調べた最近の研究では,隣接する細胞であっても物体像の選択性が大きく異なるという結果が示された。この結果はTE野にカラム構造があるという考えと一見矛盾する。光学計測によって可視化されたスポットから単一神経細胞,MUAを多数記録し,カラム構造の存在を物体像の選択性という立場から詳細に検討し,隣接する細胞は物体像に対して異なる応答を示すが,その選択性にはある共通性があることを示した。一方,TE野の任意の小領域を選んで,同様の記録を行った結果をみると,光学的に同定されたスポットで見られる細胞の反応の共通性とは共通性の程度において異なっていた。このことから,TE野のカラム構造は均一ではないらしい。さて,個々の細胞の物体像に対する反応性に違いがあるとすると,物体像は必ずしもカラムの組み合わせで表現されている必要はなく,個々の細胞の物体像に対する反応性を基にした細胞の組み合わせで物体像を表現することも可能になる。カラム構造の有無に関わらず,二つの表現(カラムレベルの分散表現と単一神経細胞レベルの分散表現)のどちらが本質的であるかについても議論する。

 

(14) 質感知覚の心理物理学

本吉 勇(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)

 人間は物体表面の色や明度のみならず,光沢や透明度などを容易に見分けることができる。表面の画像が複雑な光学プロセスの産物であることを考えると,この質感知覚の能力は非常に高度な視覚情報処理に基づくようにみえる。しかし最近,視覚系は低次のメカニズムで検出できる単純な画像特徴を手がかりにして質感を推定していることが明らかになりつつある。たとえば,われわれは知覚的な光沢度が画像のもつ局所的な輝度ヒストグラムの歪度に依存することを評定実験や錯視(光沢残効)を用いて示した (Motoyoshi, Nishida, Sharan & Adelson, 2007, Nature)。本講演では,この光沢実験の結果や未解決の問題,単純な画像特徴を操作するだけで見かけの透明感や金属感を劇的に変化させるデモなどを通して,さまざまな質感の知覚を支えている視覚プロセスについて考察する。

 



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