生理学研究所年報 第31巻
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生体情報研究系

感覚認知情報研究部門

【概要】
 感覚認知情報部門は視知覚および視覚認知の神経機構を研究対象としている。我々の視覚神経系は複雑な並列分散システムである。そこでは数多くの脳部位が異なる役割を果たしつつ,全体として統一のとれた視知覚を生じる精巧な仕組みがあると考えられる。また二次元の網膜像から世界の三次元構造を正しく理解できる仕組みもそなわっている。視知覚におけるこれらの問題を解明するために,大脳皮質を中心とするニューロンの刺激選択性や,異なる種類の刺激への反応の分布を調べている。具体的な課題として(1)初期視覚野における輪郭とその折れ曲がりの表現,(2)大脳皮質高次視覚野における色選択性ニューロンの局在や線維連絡に関する研究を行うと共に,(3)質感知覚のメカニズムに関するいくつかの研究を行った。

 

初期視覚系における輪郭線の折れ曲がりの表現

伊藤 南

 我々は物体の形状を認識する過程を明らかにする為に図形の輪郭に含まれる折れ曲がりに対する反応選択性を初期視覚野で調べている。昨年度より引き続き麻酔下の動物からの電気記録実験を継続し,第二次視覚野における抑制性入力の拮抗阻害剤の局所投与による選択性の変化,および逆相関法による興奮性/抑制性入力の受容野内外における空間分布の偏りと折れ曲がりに対する選択性との対応関係を調べた。また折れ曲がり選択性と直線成分に対する反応選択性の関係を第一次視覚野および第二次視覚野で比較検討した。第一次視覚野からの細胞記録をもとにLinear-Nonlinear型のモデルによるシミュレーションを行った。折れ曲がり選択性が受容野内で決まる方位選択性とよく合致しており,最適な折れ曲がり刺激の一方の半直線成分の表現にシングルストップ型のエンドストップニューロンが関与していることが示唆された。他方の半直線成分はこのような抑制を回避するとともに特定方向の半直線成分を表現していることが示された。これらの結果は第二次視覚野およびその入力源である第一次視覚野がともに折れ曲がり刺激選択性形成に寄与することを示唆する。

 

サル下側頭皮質への電気刺激が色判断行動に及ぼす効果

鯉田孝和,小松英彦

 サル下側頭皮質前部には色選択性ニューロンが密集して存在する領域があり,この小さな領域が色認知に重要であると考えられる。この仮説を検証するために本研究では,微小電気刺激による色判断行動への効果を測定した。サルはサンプル色を見て,赤いか黄色いかなどの予め学習した判断基準に基づいて色を判断する課題を行う。電気刺激はサンプル色の呈示期間中に50%の確率で行った。その結果,微小(20mA)な電気刺激であっても大きな色判断のシフトが生じることが分かった。大きな効果を生じるのは皮質上の限られた領域であり,その領域は色選択性ニューロンが密集している場所に対応していた。また色は二次元平面で記述されることから電気刺激の効果を色相方向と彩度方向でそれぞれ測定を行ったところ,電気刺激により色平面上で一貫した色判断のバイアスが生じていることが明らかになった。さらに刺激部位のニューロンの色選択的応答と比較することで,下側頭皮質のニューロン活動が色判断に因果関係を持っていることが示された。

 

下側頭皮質色領域間の解剖学的結合

坂野 拓,小松英彦
一戸紀孝,Kathleen Rockland(理研BSI)

 サルの下側頭皮質前部領域および後部領域に強く鋭い色選択性を示すニューロンが集まる小領域が存在することを,我々はこれまでに報告してきた。下側頭皮質は腹側視覚経路の最終段階に位置することから,これらの色領域が解剖学的に結合し,色情報処理を行う経路を形成している可能性が考えられたが,機能的モジュール間を特異的に結合する投射があるのかどうかは不明であった。そこで我々は,色領域の位置を電気生理的に同定した上でそれらの解剖学的結合関係を調べるためのトレーサー注入実験を行った。結果は色領域間に双方向性の解剖学的結合関係があることを示すとともに,後部色領域の背側領域と腹側領域における投射パターンの違いを示していた。この結果は,後部下側頭皮質から前部下側頭皮質への投射が機能特異的であるという仮説を支持するとともに,複数の色処理システムが下側頭皮質に存在する可能性を示唆するものである。

 

素材識別に関わるヒト視覚領野:fMRI研究

郷田直一,平松千尋,小松英彦

 我々は,日常的に,複雑な視覚入力から物体やシーンの情報を瞬時に抽出し理解している。このとき,多くの場合,物体の色や形状だけでなく,金属,プラスチック,木など,その多様な素材についても瞬時に認識することができる。本研究では,このような素材の認識機能が脳においてどのように実現されているか明らかにすることを目的とし,9種類の異なるカテゴリからなる素材画像(金属,ガラス,セラミックス,毛,石,木目,樹皮,皮革,布)をCGにより作成し,被験者が各素材画像を観察している時の脳活動を機能的MRIにより計測した。機械学習の手法を用いて,脳の様々な領域の脳活動パターンに基づいて9種の素材をどの程度識別できるかを検討したところ,初期視覚野および腹側高次視覚野の広い範囲において脳活動に基づいて素材が有意に識別できることが示された。本結果は,素材を識別する情報は視覚野に広く分布することを示唆する。

 

下側頭皮質ニューロンの光沢選択性

西尾亜希子,郷田直一,小松英彦

 光沢知覚の神経メカニズムを明らかにするために,光沢物体画像に対するサルの下側頭皮質ニューロンの反応を調べた。33種の光沢物体画像を作り,これらの画像に対するニューロン活動の選択性を調べたところ,特定の光沢物体画像に選択的に応答するニューロンが存在した。選択性を示したこれらのニューロンに対し,局所的な色や形は変化するが,光沢知覚は保たれるような条件でも同様に選択性を調べたところ,選択性は保たれた。一方,平均的な色や輝度は保たれるが,光沢知覚は変化するような条件では,選択性は変化した。この結果は,これらのニューロンが局所的な形や平均的な色,輝度ではなく,特定の光沢に選択的に応答しているという事を示しており,下側頭皮質で光沢情報が表現されているという可能性を示唆するものである。

 

色変化による画像の明るさ向上現象(クリッピング錯視)の発見

鯉田孝和,岡澤剛起,小松英彦

 発光体や金属光沢を撮影すると入射光量が高すぎるため露出オーバーとなり,画像には白とび,あるいは色ずれが生じる。われわれはこの露出オーバーによる色変化を模擬した画像処理により,画像の輝度は同一のまま見えの明るさ感が大きく向上する現象を発見した。画像中の少数(10%程度)の高輝度ピクセルに対して輝度に相関した色変化を加えることで明るさ向上が生じる。明るさのマッチング実験により効果の大きさを測定したところ,効果は色度変化量に比例しており,最適条件では140%の輝度上昇に相当することがわかった。この効果は元画像として風景,物体,ガボールパッチのどれを用いても安定して生じた。効果を起こすためには最適な色変化方向があり,元画像がオレンジであれば黄,白方向が最適であった。逆方向に色を変化させると逆の効果が生じ暗く感じられた。この現象は既知の効果(刺激の彩度による明るさ感向上)では説明できないことからクリッピング錯視と名づけ,色と明るさに関する新しい恒常性知覚メカニズムを提案した。

 

「金色」のカテゴリカルな知覚

岡澤剛起,鯉田孝和,小松英彦

 色は顕著なカテゴリカル知覚の特性を持ち,11基本色名により色空間全体が表現できる。一方,物体表面は素材に依存した特有の光沢を持ち,「金色」のように基本色に含まれない色名も用いられる。光沢が色カテゴリーにどのように影響するかを検討するため,我々は物体表面に固有な色名である「金色」に焦点をあて,基本色と同様なカテゴリー特性を持っているかどうかを検証した。実験には,拡散・鏡面反射率と色度をパラメータとした物体画像を用い,カテゴリカルカラーネーミングと呼ばれる心理物理学的手法により金色とネーミングされる色度領域を測定した。その結果,高い鏡面反射率を持つ特定の色度を中心として金色がネーミングされ,カテゴリー性の指標である一致度,安定度などにおいて基本色と同様の特徴を持つことが分かった。この結果から,光沢のある物体に固有の色においてもカテゴリカルな知覚がなされていることが示唆される。

 

神経シグナル研究部門

【概要】
 神経シグナル研究部門では,分子レベルの研究からより生体に近づいた研究を目指し,in vivo実験系の導入を進めてきた。in vivoパッチクランプの開発者である古江博士が昨年度(2008年度)に准教授として当部門に加わり,in vivoの実験を高い水準で行えることとなり,今年度は,多くの研究者,大学院生が短期間・長期間の滞在でin vivoパッチクランプを学ぶこととなった。従来から行ってきた脳スライスを用いた神経回路の詳細な研究と,in vivoの研究を巧みに組み合わせることにより,神経系機能の理解がより一層深まると期待される。

 また分子の異常とより高度な脳神経活動の関係を検討するには,さまざまな行動様式の解析が必要である。山肩博士が長年にわたって作成・機能解析を行ってきたCaMKIIノックインマウスは著明な記銘力障害を呈しており,諸条件下における記銘力の検討を行うことにより,複雑な記憶過程の一環が明らかになってきている。

 

蛋白質リン酸化によるシナプス可塑性,学習・記憶の制御

山肩葉子,柳川右千夫(群馬大学),井本敬二

 Ca2+/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼIIa (CaMKIIa) は,特に海馬に多く存在する蛋白質リン酸化酵素で,脳機能の調節に重要な役割を果たすと考えられている。我々は,CaMKIIaのキナーゼ活性をなくした不活性型ノックインマウス[CaMKIIa (K42R)]を作製し,その脳機能解析を行っている。このマウスにおいては,海馬シナプス可塑性と海馬依存性の学習・記憶が強く障害されていたことから,CaMKIIaによる蛋白質リン酸化がこれら分子メカニズムに不可欠であることがわかった。その学習・記憶障害について,恐怖条件付けを用いてさらに詳しく解析したところ,場所に関する条件付けがまったく成立しない一方で,音に関する条件付けについては,一定程度,学習・記憶が可能であることが判明した。この結果は,脳の部位によって,学習・記憶に関わる分子メカニズムに違いがある可能性を示唆している。

 

ラット小脳顆粒細胞−分子層介在ニューロン間
EPSCペアパルス増強の発現メカニズム

佐竹伸一郎,井本敬二

 顆粒細胞(上向性線維)の2回連続刺激(ペアパルス刺激)に伴い,分子層介在ニューロンから記録される興奮性シナプス後電流 (EPSC) の2回目EPSCの振幅値と減衰時定数が一過性に増大する現象を発見した(ペアパルス増強:PPFamp, PPFdecay)。これらPPFの発現機序を明らかにするため,EPSCのキネティクスを初期相,ピーク相,減衰相に分けて詳しく解析した。2回目EPSC(刺激間隔:30ms)では,刺激からEPSC開始までの反応潜時が1回目EPSCよりも顕著に短縮していた。一方,EPSC開始点からピークまでの到達時間は延長していた。また,二重指数関数を適用して,EPSC減衰相を急速減衰成分(tfast)と緩徐減衰成分(tslow)に分けて検討し,PPFdecaytslowの構成比率(%slow)増大により惹起されていることを見出した。グルタミン酸輸送体阻害薬TBOAは,tslowと%slowをともに増大させてPPFdecayを亢進した。一方,グルタミン酸受容体競合阻害薬g-DGGは,PPFampを促進するとともに,%slowを減少させてPPFdecayを減弱した。こうした観察結果に基づき,①振幅増大はシナプス小胞の放出確率と放出多重性が増大したこと,②減衰時間増大は放出多重性増大に伴い大量に放出された伝達物質グルタミン酸がシナプス外領域に拡散・蓄積したことにより引き起こされたと結論した。

 

In vivo パッチクランプ法を用いた痛覚シナプス伝達の解析

古江秀昌,歌 大介,井本敬二

 脊髄における痛覚シナプス伝達の調節機構をTRPA1に着目して解析した。侵害性冷覚を受容するTRPA1チャネルは痛みを伝えるC線維の脊髄内中枢端にも発現し,活性化するとシナプス前性に微小グルタミン酸の放出を促進し,一方でC線維誘起のグルタミン酸放出を予想外に抑制すること,GABAやグリシンを介した抑制性シナプス伝達には何ら影響を与えないことを見出した。形態学的解析も併せて行ってTRPA1を介した痛覚シナプス伝達抑制を担う脊髄神経回路の同定を行った。また,スライス標本から得られた成果に加えてin vivoパッチクランプ法を用いた生理的感覚刺激誘起の脊髄シナプス応答の解析,併せて記録細胞の免疫組織化学的検討を行い,脊髄痛覚回路の統合的な解析に着手した。病態モデルを用いた解析にも着手し,がん性疼痛モデルの脊髄における興奮性シナプス伝達の異常を見出し,行動から観察される痛覚過敏の成因を明らかにした。

 

Totteringマウスにおける欠神発作と大脳基底核回路との関係

加勢大輔,井上 剛(岡山大学),井本敬二

 本研究では欠神発作モデルマウスのtotteringマウスを用いて,欠神発作と大脳基底核回路との関係をin vivo及びin vitroの実験により詳細に評価することを目的としている。

 われわれは,これまでにin vivoの実験により大脳皮質-視床下核-黒質回路が欠神発作の発生に関与していることを示している。本年度は,薬理学的および電気生理学的な手法によりin vivoで視床下核神経細胞の活性を二方向性に調節し,大脳皮質-視床下核-黒質回路の欠神発作における役割を検討した。その結果,いずれの手法においても視床下核の活性の変化に伴い,欠神発作の持続時間が二方向性に変化することが判明した。

 

ダイナミッククランプ法の技術的改良

井本敬二,井上 剛(岡山大学)

 ダイナミッククランプ法は,神経細胞から得られた信号をコンピュータ処理し,その情報を同一のあるいは別の神経細胞に与えることにより,情報のやり取りを操作する方法である。そのためには信号のリアルタイム処理が必要とされる。われわれはこれまでにダイナミッククランプ法を大脳皮質第4層のフィードフォワード抑制システムに利用し,このフィードフォワード系の機能について検討してきた。

 われわれがこれまでに使用してきたダイナミッククランプ法は,MS-DOSで作動するコンピュータを使用してきたが,使用できるメモリサイズの制限が厳しいために,単純な計算しか行えなかった。そのためにMS-DOSからリアルタイムLinuxへの移行を行った。具体的には,Linuxのリアルタイ化をRTAIを利用しておこない,ADコンバータ,DAコンバータを駆動するデバイスドライバを作成し,20kHzでの稼動を確認した。今後の課題としては,マルチコア化が望まれる。

 

神経分化研究部門

【概要】
 吉村を中心とする研究グループは,大脳皮質視覚野の神経回路特性と経験依存的発達機構を明らかにする目的でラットやマウスから作成した脳切片標本や麻酔動物を用い,レーザー光局所刺激法や電気生理学的手法を組み合わせて解析している。本年度は主に,神経活動に依存して蛍光蛋白を発現する遺伝子改変マウスを用いて,視覚機能と神経回路を対応付ける解析を行い,同一の視覚刺激に対して反応する細胞群は選択的に神経結合している結果を得た。

 また,東島らを中心とするグループは,ゼブラフィッシュを用い,脊髄神経回路の形成機構および,回路の作動機構の解析を進めている。脊髄内の特定のクラスの神経細胞をGFP等の蛍光タンパク質により可視化し,それら蛍光タンパク質陽性細胞の発生と機能を追求している。本年度は従来までの研究に加えて,ChR2, NpHRなどの光遺伝学的ツールを用いた神経回路の解析のための実験システムの立ち上げを行った。

 

 情報処理の基盤をなす視覚野神経回路の解析

石川理子,吉村由美子

 これまでに,我々は,ラットやマウスの視覚野スライス標本を用いた神経回路の機能解析を行い,個々の神経結合の特異性や回路特性についての知見を報告している。本年度は,大脳皮質視覚野における神経回路と視覚機能を直接対応付けて解析する目的で,神経活動依存的に蛍光蛋白Venusを錐体細胞に発現する遺伝子改変マウスを用いて,あらかじめ特定の視覚刺激に反応したニューロン群を蛍光ラベルした後,その視覚野からスライス標本を作製し,蛍光蛋白陽性細胞群が形成する神経回路を解析した。水平方向に傾きを持つ視覚刺激を1時間提示することにより,活動依存的なVenusの発現を誘導した。その視覚野からスライス標本を作成し,蛍光顕微鏡観察下で2/3層にあるVenus陽性細胞からホールセルパッチ記録を行い,同じ2/3層内にあるVenus陽性細胞やVenus非陽性細胞をグルタミン酸刺激により発火させ,記録細胞との間の神経結合を解析した。その結果,Venus陽性細胞同士のペアでは,Venus陽性-非陽性細胞ペアに比べて2倍以上の高い確率で興奮性神経結合が観察された。以上の結果は,同一の視覚刺激に反応したニューロンは選択的に神経結合していることを示しており,同じ情報処理に関与するニューロン群が特異的な神経回路を形成していることが示唆された。

 

ゼブラフィッシュ脊髄運動系神経回路網の機能解析

木村有希子,佐藤千恵,東島眞一

 脊髄内運動系神経回路の解剖学的な記載を進めるため,発生期の一部の神経細胞で発現する遺伝子を用い,BACトランスジェニック法により,多くのトランスジェニックフィッシュを作製した。各トランスジェニックフィッシュに関して,蛍光タンパク質陽性細胞の解剖学的記載を体系的に進めた。また,今年度より,ChR2, NpHRなどの光遺伝学ツールを用い,特定のクラスの神経細胞の活動を光により制御して,神経回路の機能解析を進める研究を本格的に開始した。まず,alx遺伝子に関して,ChR2, NpHRを発現するトランスジェニックフィッシュの作製を進めた。それと同時並行して,光刺激顕微鏡装置の開発を進めた。具体的には,ディジタルマイクロミラーデバイス(DMD)を試料面と共役の位置に配置し,DMDをコンピューターによりコントロールすることで,任意の領域に任意の時間間隔で光刺激を行うことが出来るシステムを立ち上げた。また,顕微鏡下部を改造して対物レンズを取り付け,幼魚の行動の全体をハイスピードカメラでモニターできるようにした。組あがったシステムを用いて,alx陽性細胞の運動系神経回路における機能を,光遺伝学によって解析している。

 



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