生理学研究所年報 第31巻
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6.シナプス可塑性の分子的基盤

2009年6月18日-6月19日
代表・世話人:服部光治(名古屋市立大学大学院薬学研究科 病態生化学分野)
所内対応者:深田正紀(生体膜研究部門)

(1)
海馬歯状回の生後発生におけるDISC1結合タンパク質Girdinの役割
榎本 篤(名古屋大学高等研究院/名古屋大学大学院医学系研究科腫瘍病理学)

(2)
定量的high throughput DNAシークエンサーを用いた神経分化における
microRNAの網羅的発現解析
安東英明(科学技術振興機構 発展研究 カルシウム振動プロジェクト)

(3)
電位依存性Ca2+チャネル新規結合タンパク質Caprinの同定と機能解析
三木崇史(京都大学大学院 工学研究科 合成・生物化学専攻 分子生物化学分野)

(4)
シナプス可塑性におけるL型カルシウムチャネルの役割
真鍋俊也(東京大学 医科学研究所 神経ネットワーク分野)

(5)
小脳プルキンエ細胞の活動依存的PSDタンパク質リモデリング
布施俊光(東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻 神経生化学分野)

(6)
大脳皮質視覚野における微小神経回路網の経験依存的発達
吉村由美子(生理学研究所・岡崎統合バイオサイエンスセンター 神経分化研究部門)

(7)
小脳長期抑圧において時間変換スイッチとして機能するポジティブフィードバック機構
田中(山本)敬子(東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻,JSTさきがけ)

(8)
小脳登上線維-プルキンエ細胞シナプスの生後発達過程
橋本浩一(東京大学大学院医学系研究科 神経生理学)

(9)
Naチャネル遺伝子変異によるてんかんの分子細胞基盤
山川和弘(理化学研究所・脳科学総合研究センター・神経遺伝研究チーム)

(10)
神経栄養因子BDNFの機能未知ドメインが行う脳機能調節
小島正己(産業技術総合研究所セルエンジニアリング研究部門
バイオインターフェース研究グループ)

【参加者名】
深田正紀(生理学研究所),深田優子(生理学研究所),横井紀彦(生理学研究所),岩永 剛(生理学研究所),堤 良平(生理学研究所),松田尚人(生理学研究所),高橋直樹(生理学研究所),則竹 淳(生理学研究所),奥慎一郎(生理学研究所),尾藤晴彦(東京大学),真鍋俊也(東京大学),松尾直毅(藤田保健衛生大学),榎本 篤(名古屋大学大学院),田中敬子(東京大学,JST),大塚 慧(名古屋大学),上田(石原)奈津実(名古屋大学),木下 専(名古屋大学),橋本浩一(東京大学),布施俊光(東京大学大学院),三木崇史(京都大学),中島大志(京都大学大学院),八木雅久二(京都大学),山川和弘(理化学研究所 脳科学総合研究センター),安東英明(独立行政法人科学技術振興機構),瓜生幸嗣(京都大学大学院),水谷顕洋(理化学研究所),清中茂樹(京都大学),森 泰生(京都大学),服部光治(名古屋市立大学),大塚稔久(山梨大学),高橋正身(北里大学),吉村由美子(岡崎統合バイオサイエンスセンター 神経分化研究部門),小島正己(独立行政法人 産業技術総合研究所),川口 港(早稲田大学大学院),佐々木哲也(基礎生物学研究所),吉田 明(生理学研究所),小賀智文(大阪大学)


【概要】
 脳の機能とその破綻から生じる病態を理解する上で,シナプス可塑性の分子機構と生理的意義を解明することは不可欠である。しかし,一口に「シナプス」といっても,その構造や機能は多種多様であり,当然,脳神経システム全体における役割や重要性は異なっているであろう。一方,一部の分子の構造や機能は,動物種や神経システムを越えてほぼ完全に保存されているようにも思われる。シナプス可塑性におけるこのような「多様性」と「普遍性」を,誤解無く理解するためには,様々な動物種・システム・実験手技を用いる研究者が一堂に会し,フランクに話し合う機会が必要不可欠である。本研究会では,シナプス可塑性とその周辺領域に関わりを持つ研究者を幅広く集め,最新の研究成果を発表して頂くとともに,議論に充分な時間を割くことで,今後のシナプス可塑性及び関連分野の新展開を模索したいと考えている。

 

(1) 海馬歯状回の生後発生におけるDISC1結合タンパク質Girdinの役割

榎本 篤(名古屋大学高等研究院/名古屋大学大学院医学系研究科腫瘍病理学)

 Disrupted-In-Schizophrenia1(DISC1)は統合失調症をはじめとした精神疾患の脆弱性因子であり,ほ乳類の脳の発生において神経細胞の移動,分化,およびシナプス形成に重要であることが示されている。最近,成体の海馬歯状回でみられる神経新生(adult neurogenesis)においてDISC1が重要な働きをしていることが示されている(Cell, 130, 1146-158, 2007)。しかしながらDISC1あるいはその結合タンパク質がどのような機序で歯状回顆粒細胞の移動,位置決定(ポジショニング)および分化を制御しているかは明らかではない。

 今回私達は,DISC1がセリン/スレオキンキナーゼAktの基質の一つであるアクチン結合タンパク質Girdin(Dev. Cell, 9, 389-402, 2005; Nat. Cell Biol., 10, 329-337, 2008)と結合し,両者の結合が海馬神経細胞の軸索の形成において重要であることを示した。RNA干渉法でDISC1をノックダウンした神経細胞ではGirdinの軸索成長円錐への局在が障害されていた。このことはDISC1がスキャフォールドタンパク質としてGirdinの局在や安定性を制御していることを示唆する。これら培養神経細胞の実験結果と一致して,Girdinノックアウトマウスでは歯状回顆粒細胞からの軸索(苔状線維)の形成が顕著に障害されていた。

 歯状回の発生におけるGirdinの機能は軸索の形成だけでなく,顆粒細胞の位置決定にも重要である。顆粒細胞の内因性Girdinをレトロウイルスを用いたRNA干渉法でノックダウンすると細胞の過剰移動と位置決定の異常が生じた。これに一致してGirdinノックアウトマウスでは歯状回の細胞構築の顕著な異常が観察された。この表現系はDISC1のノックダウンによって観察される顆粒細胞の位置異常と非常に類似していた。

 以上の結果は,海馬歯状回の生後発生あるいはadult neurogenesisにおけるDISC1/Girdin複合体の生理的な重要性を示唆するものである。現在,樹状突起の形成,および電気生理学的機能におけるGirdinの役割を検討中である。

 

(2) 定量的high throughput DNAシークエンサーを用いた神経分化における
microRNAの網羅的発現解析

安東英明(科学技術振興機構 発展研究 カルシウム振動プロジェクト)

 microRNA(miRNA)は約22塩基からなるタンパク質をコードしない小さなRNAで,特定のmRNAの主に3’非翻訳領域に相補的に結合し,タンパク質の翻訳を抑制する。miRNAは新たなレベルでの遺伝子発現調節機構として,分化,細胞増殖,アポトーシス,癌などの制御に重要な役割を果たしている。

 miRNAの成熟に関わるタンパク質を欠損したES細胞は正常に分化できないことから,miRNAはES細胞の分化に重要な役割を果たしていることが明らかになっている。我々は,ES細胞から神経系の細胞への分化の過程におけるmiRNAの役割を解明する目的で,次世代DNAシークエンス技術を用いたmiRNAのトランスクリプトーム解析を行った。マウスES細胞,ES細胞から分化誘導した神経外胚葉系細胞,神経幹細胞,初代培養神経細胞,海馬などから低分子RNA画分を精製し,small RNA cDNA libraryを作製した。これらのライブラリーをSolexa/Illumina社のhigh throughput DNAシークエンサーで解析し,ライブラリーあたり数百万から1千万以上の配列を解読した。その結果,マウスの約500種類の既知miRNAのうち約8割が検出され,また約80種類の新規miRNAが同定された。配列の解読頻度がその発現量に相関していることを利用し,神経分化におけるmiRNAの発現量の変化を解析した結果,ES細胞特異的なmiRNA群,神経細胞特異的なmiRNA群,分化の過程で一過性に発現上昇するmiRNA群などが明らかになった。また興味深いことに,従来miRNA成熟の過程で生じる副産物として速やかに代謝されると考えられていた低分子RNAが,時には対応するmiRNA以上に蓄積していることが明らかとなり,なんからの機能を持つ可能性が示唆された。以上の解析により,神経分化におけるmiRNA全体の発現変動が明らかになった。

 本研究は,Oregon Health and Science University(アメリカ)で行われた研究成果である。

 

(3) 電位依存性Ca2+チャネル新規結合タンパク質Caprinの同定と機能解析

三木崇史(京都大学大学院 工学研究科 合成・生物化学専攻 分子生物化学分野)

 電位依存性Ca2+チャネルは,神経伝達物質放出や神経細胞突起伸長といった様々な生理応答を担うCa2+流入経路である。Ca2+チャネルがこのような生理的に重要な役割を果たすためには,Ca2+チャネルの形質膜発現や神経細胞内局在性が重要であるが,その詳細な分子機構は未解明である。

 Ca2+チャネルは4つのサブユニット(a1, b, a2/d, g)から構成されている。bサブユニットはa1サブユニットに結合することにより,Ca2+チャネルの形質膜発現やチャネル特性を制御している。また,近年,複数のタンパク質と相互作用しCa2+チャネルの足場タンパク質として機能していることも明らかにされつつある。本研究では,bサブユニットの足場タンパク質としての機能に着目し,bサブユニット相互作用タンパク質を網羅的に探索した。

 Yeast two-hybridスクリーニングの結果,機能未知タンパク質(Calcium channel processing protein(Caprin)と命名)を得た。Caprinは脳特異的に発現し,既知のドメインやモチーフを有しておらず,N末端に一回膜貫通領域を持つ膜タンパク質である。生化学的実験から,Caprinはbサブユニットと2つのドメイン(Caprin interacting domain 1 (CID1),及び2 (CID2))を介して結合していることが明らかになった。CaprinCID1-bサブユニット間の結合は,a1-bサブユニット間の結合を競合的に阻害したのに対し,CID2はa1及びbと3者複合体を形成した。以上から,Caprinはb-Caprin複合体およびa1-b-Caprin複合体の二状態を取りうることが示唆された。また,後者の複合体は,Caprin上のCID1へのSCG10-like protein(SCLIP,stathmin3)の結合により,4者複合体に変化した。SCLIPは神経突起伸長を制御していることが報告されていることから,Caprin-SCLIP複合体によるCa2+チャネル制御は,神経突起におけるCa2+チャネル機能的発現・局在性に寄与する可能性が示された。以上,Ca2+チャネルはb-Caprinとa1-b-Caprinとの間のスイッチングによりダイナミックに複合体を形成し,生理的役割を果たすべくしかるべき場所へとターゲッティングされると考えられる。

 

(4) シナプス可塑性におけるL型カルシウムチャネルの役割

真鍋俊也(東京大学 医科学研究所 神経ネットワーク分野)

 海馬は,事実や出来事,場所などに関する,いわゆる陳述記憶の形成に必須の脳部位であるが,ここでのシナプス伝達は活性化の頻度によって可塑的に変化することが知られている。海馬における興奮性シナプス伝達はグルタミン酸が神経伝達物質として働き,シナプス後細胞のスパインに局在するイオン透過型グルタミン酸受容体が速いシナプス伝達を媒介する。つまり,シナプス前終末からグルタミン酸がシナプス間隙に放出され,スパインに存在するAMPA受容体に結合することにより通常のシナプス伝達が引き起こされる。海馬CA1領域では,シナプスが高頻度で活性化してシナプス後細胞が脱分極すると,通常は細胞外のMg2+によりブロックされているNMDA受容体が開口することにより,細胞内にCa2+が流入して長期増強(LTP)が誘導されると考えられている。しかし,細胞内のCa2+濃度の上昇はNMDA受容体だけでなく,細胞内ストアーからの放出や膜電位依存性Ca2+チャネルの活性化などによっても引き起こされる。本発表では,LTP誘導におけるシナプス後細胞のCa2+チャネルの新たな役割に関する私たちの最近の研究成果を紹介したい。

 私たちの以前の研究では,モルモットの海馬スライス標本のCA1錐体細胞からシナプス応答をホールセル記録し,脱分極を繰り返し与えることにより,NMDA受容体非依存性で,L型Ca2+チャネル依存性のシナプス伝達増強が誘導できることを見出している。しかし,この増強は短期増強であり,20分程度しか持続しなかった。また,この増強に伴って微小シナプス電流も増大したことから,この短期増強はシナプス後細胞での神経伝達物質に対する感受性の増大により発現していることも明らかとなっていた。しかし,この増強がなぜLTPにならないのかについてはその時点では不明であった。

 そこで,シナプス後細胞のL型Ca2+チャネルの活性化のみでLTPが誘導できるかどうかをさらに詳細に検討した。マウスの海馬スライス標本を用いて,Ca2+チャネルの不活性化も考慮しCa2+の流入を最適化する条件を検討したところ,6秒ごとに1秒間シナプス後細胞を-80mVから+10mVに20回脱分極させるとシナプス伝達増強が長期に持続することが明らかとなった。電気刺激で誘発されるシナプス応答と同時に記録された自発シナプス電流も同程度の増大を示したことから,この増強はシナプス後細胞で発現し,しかも,記録しているニューロンの大多数のシナプスで増強が起こっていることもわかった。このLTPはL型Ca2+チャネルおよびCaMKIIの阻害薬により抑制された。以上の結果から,Ca2+チャネルの活性化を最適化すれば,Ca2+チャネルを介して流入するCa2+だけでもLTPを誘導することが可能で,その増大はニューロン全体にわたり,NMDA受容体依存性LTPと同様にCaMKIIが関与することが明らかとなった。

 

(5) 小脳プルキンエ細胞の活動依存的PSDタンパク質リモデリング

布施俊光(東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻 神経生化学分野)

 神経回路形成においては,神経細胞間の情報伝達の場であるシナプスが適切な部位において形成され,神経伝達を担う分子が適当量配置されねばならない。小脳プルキンエ細胞は興奮性シナプスの特徴的な構造であるスパインを多数有しており,それらは成熟脳において1本の登上線維と無数の平行線維という,シナプス形成部位と電気生理学的性質が全く異なる興奮性入力により支配されている。登上線維および平行線維シナプスに存在するタンパク質には局在特異性が知られており,それぞれのシナプスでの神経伝達受容と情報処理を担っていると考えられる。しかしながら,この局在差異化の分子メカニズムについてはほとんど知見が得られていない。

 我々は,成熟マウス小脳において,プルキンエ細胞後シナプス肥厚部(PSD)の主要構成タンパク質の一つと考えられるShank1A/Synamonが平行線維シナプスに潤沢に存在し,登上線維シナプスにおいては僅かしか存在しないことを見いだした。この登上線維シナプスにおける局在の選択的減弱が,登上線維の神経活動により制御される可能性を検証する目的で,マウス小脳の初代分散培養系を用いた解析を開始した。この実験系では登上線維は含まれないものの,顆粒細胞からの軸索上のVGluT1陽性神経終末とプルキンエ細胞の間に数多くのシナプスが形成され,顕著なShank1A局在が認められる。この培養プルキンエ細胞に対し登上線維刺激を模した,連続的なP/Q型カルシウムチャネル開口を伴う高カリウム刺激(55mM KCl)やAMPA受容体アゴニスト(0.5mM AMPA)刺激を与えたところ,確かにShank1Aのシナプス局在の減弱が認められた。この活動依存的減弱はMG132存在下で抑制されることから,Shank1Aは神経活動が活性化するユビキチン/プロテアソーム系によって分解されていると考えられる。興味深いことに,w-conotoxin MVIICやw-agatoxin IVAといった選択的カルシウムチャネルのブロッカーによりこのShank1Aの減弱は妨げられており,P/Q型カルシウムチャネルを介した持続的なカルシウム流入がスパインにおけるShank1Aの存在量を限定しているという可能性を示唆している。

 以上の結果は,プルキンエ細胞スパインのPSDタンパク質が,そのシナプスの神経活動の質によりダイナミックに再構成されうることを示している。小脳においては,薬理学的手法および遺伝学的手法により神経活動を生体内で修飾した場合にプルキンエ細胞における登上線維および平行線維それぞれの投射領域が競合して変化することが知られているが,本研究はシナプス入力特異的なPSDタンパク質複合体の維持が神経活動依存的機構によって修飾されている可能性を示唆している。

 

(6) 大脳皮質視覚野における微小神経回路網の経験依存的発達

吉村由美子(生理学研究所・岡崎統合バイオサイエンスセンター 神経分化研究部門)

 大脳皮質視覚野の視覚機能は,生後の視覚経験に強く依存して成熟することが知られている。これまでに我々は,ラット大脳皮質視覚野スライス標本を用いた研究により,興奮性シナプスで結合している2/3層錐体細胞ペアは,その周辺の興奮性細胞からの入力を高い頻度で共有することを見出し,非常に微細なスケールの特異的神経回路網が視覚野内に存在することを報告した。しかし,この微小神経回路網が視覚情報処理に関与するかについては明らかではない。そこで,微小神経回路網の形成が,視覚機能と同様に,生後の視覚経験に依存するかについて調べた。生後直後からの暗室飼育により視覚体験を経ていないラット視覚野よりスライス標本を作成し,ケージドグルタミン酸による局所刺激法と,複数の2/3層錐体細胞からの同時ホールセル記録法を用いて解析した。その結果,暗室飼育したラット視覚野においては,2/3層錐体細胞が形成する興奮性結合の検出確率は,正常な視覚体験を経た視覚野と比較して有意に低下し,結合が観察された場合も,誘発される興奮性シナプス電流の振幅は小さかった。特異的な興奮性神経結合による微小神経回路は,暗室飼育した視覚野においては,ほとんど観察されなかった。以上の結果から,微小神経回路網の形成には,遺伝的機構のみならず生後の視覚入力に依存して神経結合が精緻化される過程が必要であると考えられ,この神経回路は視覚野ニューロンの反応選択性の基盤であることが示唆される。

 

(7) 小脳長期抑圧において時間変換スイッチとして機能する
ポジティブフィードバック機構

田中(山本)敬子(東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻,JSTさきがけ)

 シナプス長期可塑性の最も重要な特徴の一つは,誘導刺激が短時間であるにも関わらず,誘発される神経伝達効率の変化が長時間持続することである。小脳長期抑圧(long-term depression, LTD)も同様で,数分間のシナプス刺激後に神経伝達効率が徐々に減少し,これが少なくとも数時間維持される現象である。様々なシグナル分子が,この小脳LTDの誘発に関与することが報告されており,中でも他のシナプス可塑性と同様,細胞内カルシウム(Ca2+)濃度上昇の重要性は確実である。しかし,Ca2+濃度上昇は数分間のLTD誘導刺激中のみに限定される一過性シグナルであり,これだけではLTDという長期的な現象の説明がつかない。この時間的ギャップを埋めるメカニズムとして,コンピュータシミュレーションにより,プロテインキナーゼC(PKC)とMAPキナーゼ(MAPK)を含むポジティブフィードバック機構が分子活性を60-90分間にわたって維持し,その結果LTDが発現・維持されるというモデルが提唱され,実験的な実証が待たれていた。

 そこで我々は,Ca2+濃度上昇とLTDとの関係を調べることにより,どのような性質を持つ機構がCa2+濃度上昇以降に働くか,見当をつけることから始めた。その結果,この関係は正の協同作用を示すこと,Ca2+濃度上昇の時間成分を蓄積するLeaky integratorの性質を持つことを見出した。これらの実験結果は,上述のポジティブフィードバック機構からなるシミュレーションで再現され,また,ポジティブフィードバック機構を止めると,シミュレーション,実験いずれの場合にもLTDのCa2+に対する感受性が低下することがわかった。このような実験結果とシミュレーション結果の類似性から,ポジティブフィードバック機構が存在する可能性を強めることができたので,さらに直接的に検証することにした。PKCとMAPKの関係について調べたところ,(A) LTD刺激によるMAPK活性はPKCに依存すること,(B) PKCを直接活性化することによって誘導されるLTDがMAPKを介していること,を示し,このことからPKCがMAPKの上流で働くことがわかった。一方,(C) LTD刺激による長期的なPKC活性はMAPKに依存していること,(D) ケージ恒常的活性型MAPKキナーゼのUV照射を使ってMAPKを直接活性化するとLTDが見られ,このLTDはPKCを介していること,を示し,このことから,MAPKもPKCの上流で働くことがわかった。つまり,PKCとMAPKはお互いに活性化しあうポジティブフィードバック機構を形成していることを示したことになる。さらに,このポジティブフィードバック機構が機能する時間を調べたところ,LTD誘発刺激後20-30分間必要であることがわかった。

 これらの結果から,ポジティブフィードバック機構は神経伝達効率が徐々に減少する過程で働く,つまり,Ca2+のような一過性シグナルをLTDという長期的現象に変換するスイッチとして働く,と結論付けることができた。また,本実験により,ポジティブフィードバック機構がシミュレーションで予測されたものより短時間しか必要ではないことがわかり,これ以降に未知の機構が働く可能性を示唆した。

 

(8) 小脳登上線維-プルキンエ細胞シナプスの生後発達過程

橋本浩一(東京大学大学院医学系研究科 神経生理学)

 生後すぐの神経回路には成熟期には見られない過剰な神経結合が多数存在するが,生後発達に伴い徐々に不必要な入力が除去されて,機能的な神経回路が形成される。小脳登上線維−プルキンエ細胞投射系は,この過程を解析するためのモデル実験系として広く研究がなされている。成熟動物の小脳プルキンエ細胞は,ほとんどの細胞が一本の登上線維によってのみ支配を受けるが,発達初期には一時的に複数の登上線維による支配を受けている。生後2~3日齢のプルキンエ細胞は,シナプス強度が比較的同等な複数の登上線維により多重支配されているが,生後7日目までに,一本の強い登上線維入力とそれ以外の弱い登上線維入力が一つのプルキンエ細胞上で混在するようになる。これは,最終的に残存してプルキンエ細胞を単一支配する登上線維と,除去される登上線維の機能的選別の結果であると考えられる。この過程の後,過剰シナプスの除去過程が進行し,マウスでは生後3週目までに成熟型の単一支配に移行する。

 生後発達初期の多重支配登上線維はプルキンエ細胞細胞体にシナプスを形成しているが,成熟動物においては細胞体への投射はなくなり,樹状突起のみを支配するようになる。この過程は“登上線維のtranslocation”と呼ばれているが,いつ,どのように登上線維の移行が進むのかについては明らかになっていなかった。これらの点を明らかにするため,電気生理学的,形態学的手法を用いて解析を行った。小脳からスライスを切り出し,プルキンエ細胞細胞体からホールセルパッチクランプ法で記録を行った。入力する登上線維を電気刺激し,誘発される登上線維応答を,プルキンエ細胞を単一支配するもの(CF-mono),多重支配する登上線維のうち,最大振幅を持つもの(CF-multi-S)とそれ以外の小さい振幅を持つもの(CF-multi-W)に分類した。生後11-14日齢の登上線維をSr2+を含む外液中で電気刺激し,誘発されるasynchronous quantal EPSC(qEPSC)を各登上線維グループについて記録したところ,CF-monoとCF-multi-Sは,CF-multi-Wに比べて10-90% rise timeが遅いqEPSCを多く含むことが分かった。記録部位から離れた部分で発生するqEPSCは樹状突起の電気的な性質から波形がなまって記録されるため,この結果は強化された登上線維のみが記録部位である細胞体から遠い樹状突起で発生しているqEPSCを多く含む,すなわちtranslocateしているのに対し,弱い登上線維はより細胞体近傍でのみ投射していることを示唆している。Translocationが起こる時期を解析するため,同様の解析を登上線維の機能的分化が終了している生後7-8日齢で行ったところ,CF-multi-SとCF-multi-WのqEPSCの10-90% rise timeは同等の分布を示したが,生後9-10日齢になると遅い10-90% rise timeを示すqEPSCの割合がCF-multi-Sにおいて増加し始めることが分かった。これらの結果は,生後9日以降に1本の最大振幅を持つ登上線維のみ樹状突起に移行するが,それ以外の弱い登上線維は細胞体近傍に取り残されていることを示している。

 

(9) Naチャネル遺伝子変異によるてんかんの分子細胞基盤

山川和弘(理化学研究所・脳科学総合研究センター・神経遺伝研究チーム)

 複数種のてんかんにおいて複数の電位依存性ナトリウムチャネルサブユニット遺伝子(SCN1A, SCN2A, SCN1Bなど)の変異の報告がある。a1サブユニット(Nav1.1)をコードするSCN1A遺伝子の変異は,重篤度が大きく異なる複数種のてんかんで報告されており,常染色体優性遺伝形式を示す熱性痙攣プラス(GEFS+)では約10%,未だ有効な治療法の無い難治で重篤な知能障害を伴う重症乳児ミオクロニーてんかん(SMEI)では実に約80%の患者で変異が見られる。GEFS+変異は全てがへテロミスセンス変異であり,その多くが父母からの遺伝である。SMEI変異は約3分の2がナンセンスやフレームシフトなどの分断変異であり約3分の1がミスセンス変異である。更に,SMEIが散発性であることと一致して,ほとんどがde novo変異である。これら変異について我々を含め多くの研究室がパッチクランプ法によるチャネル機能に与える影響を検討しているが,一致した見解には至っていない。一方で我々は2007年,SMEIのナンセンス変異を導入したSCN1A遺伝子ノックインマウスを作成し,出生後当初は正常に育つが,ホモ接合体(−/−)は出生10~12日頃から運動失調と瀕回のてんかん発作を起こし始めて15日頃までにすべてが死亡すること,ヘテロ(+/−)も一部が出生後18日頃からてんかん発作を起こし始め,生後1~3ヶ月で一部が死亡することなどを報告した。これらマウスでは分断されたNav1.1蛋白は発現しておらず,SMEIモデルとなるヘテロ接合体ではハプロ不全が発症の原因と考えられた。更に重要な発見として我々は,Nav1.1が,大脳皮質,海馬などのパルブアルブミン(PV)陽性抑制性神経細胞の軸索/細胞体に強く発現すること,他の抑制性細胞や興奮性神経細胞には発現がほとんど見られない事などを見いだした。これは,それまでの他のグループからの報告(Nav1.1の興奮性および抑制性神経細胞両者の樹上突起および細胞体での発現)を覆す知見であり,PV陽性抑制性神経細胞の機能不全がSMEIなどSCN1A変異によるてんかんの発症の背景にある事を示す。これらは有効な治療法を開発する上でも重要な知見である。a2サブユニット(Nav1.2)をコードするSCN2A遺伝子では,我々のグループが最初にてんかん患者(GEFS+亜型)でチャネル機能変化をもたらすミスセンス変異を報告し,その後に別のグループが,より軽症の良性家族性新生児乳児けいれん(BFNIS)で複数のミスセンス変異を報告した。更に我々は複数の小児重症てんかん患者で,SCN2Aのde novoナンセンスおよびミスセンス変異を見いだしている。SCN2Aでも大きく異なる重篤度を示す複数種のてんかんで変異が見られる点はSCN1A変異を示すてんかんと類似するが,Nav1.1とNav1.2の脳内における分布と発現する細胞種は大きく異なると考えられることから,それぞれの発症メカニズムも異なることが予想される。SCN1A,SCN2Aに加え,SCN1BやSCN3Aにもてんかん患者における変異が見いだされ,SCN8Aとてんかんとの関わりも取り沙汰されている。有効な治療法の開発にはそれぞれの遺伝子の変異によるてんかんの,細胞レベルでの詳細な発症機序の理解が求められよう。

 

(10) 神経栄養因子BDNFの機能未知ドメインが行う脳機能調節

小島正己(産業技術総合研究所セルエンジニアリング研究部門
バイオインターフェース研究グループ)

 BDNF(Brain-derived neurotrophic factor)はNGF(Nerve growth factor)と配列相同性の高い神経成長因子であり,近年までに発見されたNT-3(Neurotrophin-3)NT-4/5(Neurotrophin-4/5)を含めてニューロトロフィン(NTs: Neurotrophins)ファミリーを形成している。一方,これらリガンドの受容体も,受容体型チロシンキナーゼTrkファミリーを形成し,BDNFの高親和受容体はTrkBである。NT/Trkシグナリングは神経細胞の成長,生存,シナプス伝達を促進/調節し,リガンドおよび受容体のノックアウトマウスの解析から各分子の生理的役割も理解されてきた。

 しかし,Human genome projectが始まった2000年頃からこの分野に新たな展開が始まった。その一つは,human polymorphismsの研究であり,BDNFのmissense mutation(val66met)はBDNFの分泌経路輸送および活動依存的分泌を阻害し,ヒトエピソード記憶のスコアを低下させた。つまり,げっ歯類研究から見い出されたシナプス機能亢進モデルはヒト脳においても示唆された。

 BDNFは他の成長因子に同じく前駆体(proBDNF: ~32 kDa)として合成されてFurin,PC1/3,MMPなどのプロテアーゼにより成熟型(mBDNF: ~15 kDa)となる。神経栄養因子研究のほとんどはmBDNFに関するものであったが,脳内BDNFが微量であること,抗体作製が困難であること,BDNF蛋白質の難溶性の理由から,①proBDNF→mBDNF ②各isoformの局在や輸送などの細胞メカニズムは依然不明点が多い。Val66Met変異はBDNFプロドメインに位置することは,BDNFプロドメイン(~16 kDa)の機能性が示唆する。しかし,BDNFプロドメインの種間相同性は高いが,他の蛋白質との相同性はほとんどなく,その組換え蛋白質はランダム構造である。さらに,proBDNFは,mBDNFとは異なり,TNFレセプターファミリーに属するpan-neurotrophin receptor p75を介して神経細胞死を促進することが報告されている(Teng et al, 2005)。

 本研究会では,最近我々が作製したproBDNF→mBDNF反応が非効率となり,その結果として脳内BDNF比がproBDNF>>mBDNFとなったモデルマウス(BDNF pro/pro)について,その網羅的行動解析,microMRIなどを用いた脳構造解析,p75ノックアウトマウスとの交配によりレスキューされる表現型解析,ヒト血中に存在するproBDNFを指標にした精神疾患バイオマーカー研究などを報告し,BDNFプロドメインの多機能性,脳疾患研究への期待を考察する。

 



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