生理学研究所年報 第31巻
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7.視知覚研究の融合を目指して
-生理,心理物理,計算論

2009年6月18日-6月19日
代表・世話人:西田眞也(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)
所内対応者:小松英彦(生理学研究所)

(1)
Classification imageによる顔情報処理ストラテジーの可視化
-定型発達者と自閉症者の比較-
永井聖剛(産業技術総合研究所人間福祉医工学研究部門)

(2)
サル大脳皮質における視覚探索の神経機構
-刺激特徴にもとづいた選択から空間位置にもとづいた選択への変換過程-
小川 正(京都大学大学院医学研究科)

(3)
生理実験結果の計算論的解釈と工学的応用
-受容野モデルと盲点補完を例として-
佐藤俊治(電気通信大学大学院)

(4)
潜在的運動生成が明かす様々な視覚処理プロセス
五味裕章(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)

(5)
顔知覚における初期経験
杉田陽一(産業技術総合研究所脳神経情報研究部門)

(6)
ヒトMT+野のレチノトピーと受容野サイズ
天野 薫(東京大学大学院新領域創成科学研究科)

(7)
信号検出理論による知覚的盲目と注意的盲目の判別
金井良太(ユニバーシティカレッジロンドン認知神経科学科)

(8)
Binocular matching and correlation computations: formulation and function
藤田一郎(大阪大学大学院生命機能研究科)

(9)
運動情報を2つのスカラーに分けて処理することの利点
金桶吉起(生理学研究所感覚運動調節研究部門)

(10)
運動視における身体情報の影響
松宮一道(東北大学電気通信研究所)

(11)
初期視覚系ニューロンの方位選択性について
佐藤宏道(大阪大学大学院医学系研究科)

(12)
視覚性短期記憶における特徴の統合と動的更新
齋木 潤(京都大学大学院人間 環境学研究科)

(13)
下側頭葉皮質ニューロンによる物体の三次元形状の表現
山根ゆか子(理化学研究所BSI)

(14)
神経予測と視知覚
神谷之康(ATR脳情報研究所神経情報学研究室)

【参加者名】
藤田一郎(大阪大学大学院),佐藤宏道(大阪大学大学院),杉田陽一(産業技術総合研究所),小川 正(京都大学大学院),山根ゆか子(理化学研究所BSI),齋木 潤(京都大学大学院),五味裕章(NTTコミュニケーション科学基礎研究所),神谷之康(ATR脳情報研究所),永井聖剛(産業技術総合研究所),天野 薫(東京大学大学院),松宮一道(東北大学電気通信研究所),金井良太(ユニバーシティカレッジロンドン),佐藤俊治(電気通信大学大学院),金桶吉起(生理学研究所),西田眞也(NTTコミュニケーション科学基礎研究所),塩入 諭(東北大学電気通信研究所),佐藤雅之(北九州市立大学),竹村浩昌(東京大学大学院),武田二郎(東京工業大学大学院),川島祐貴(東京工業大学大学院),西田浩聡(東京工業大学大学院),松本知久(東京工業大学大学院),吹野徳彦(東京工業大学大学院),緒方康匡(東京工業大学大学院),服部恭臣(東京工業大学大学院),深瀬貴大(東京工業大学大学院),藤原匡史(東京工業大学大学院),吉田和輝(東京工業大学大学院),永福智志(富山大学大学院),中田龍三郎(富山大学大学院),栗木一郎(東北大学電気通信研究所),柴田智広(奈良先端科学技術大学院大学),須川真佑(奈良先端科学技術大学院大学),山本哲也(京都大学大学院),久方瑠美(東京大学大学院),金子沙永(東京大学大学院),篠森敬三(高知工科大学),尾崎弘展(大阪大学大学院),相馬祥吾(大阪大学大学院),上田祥行(京都大学大学院),林 隆介(理化学研究所BSI),大脇崇史((株)豊田中央研究所 先端研究センター),鈴木 航(理化学研究所BSI),寺尾将彦(東京大学大学院),瀬戸川剛(筑波大学大学院),福島邦彦(関西大学),木村晃大(大阪大学大学院),三好誠司(関西大学システム理工学部),一戸紀孝(弘前大学),岡さち子(総合研究大学院大学),本吉 勇(NTTコミュニケーション科学基礎研究所),成瀬 康(情報通信研究機構未来ICT研究センター),小賀智文(大阪大学大学院),阿部 悟(千葉大学大学院),坂野逸紀(京都大学大学院),小林憲史(東京大学),阪口 豊(電機通信大学),金沢 創(日本女子大),山口真美(中央大学文学部),堺 浩之(豊田中央研究所先端研究センター),大塚由美子(日本女子大学),山下和香代(中央大学),蒲池みゆき(工学院大学),芦田 宏(京都大学),七五三木聡(大阪大学),山崎 翔(筑波大学),草間美里(愛知淑徳大学),渡辺ひとみ(愛知淑徳大学),横田悠右(豊橋技術科学大学),三木研作(統合生理),松田幸久(金沢工業大学),松村淳子(情報通信研究機構),佐々木亮(順天堂大学),岡部昌子(大同大学),下川丈明(京都大学),北園 淳(東京大学),大坪洋介(東京大学),繁桝博昭(豊橋技術科学大学)宮崎由樹(首都大学東京),伊藤嘉房(愛知医大),石橋和也(神戸大学),小野和也(豊橋技術科学大学),加藤雅也(豊橋技術科学大学),金山範明(東京大学),丸谷和史(NTT-CS研),鹿田 学(京都大学),荻野正樹(JST),市川寛子(中央大学),秦 重史(京都大学),行松慎二(中京大学),川口 港(早稲田大学),横川武昌(神戸大学),五十嵐康彦(東京大学),南 哲人(豊橋技術科学大学),中島加恵(豊橋技術科学大学),則竹洋佑(豊橋技術科学大学),永井岳大(豊橋技術科学大学),小峰央志(豊橋技術科学大学),寺島裕貴(東京大学),村上郁也(東京大学),宇賀貴紀(順天堂大学),熊野弘紀(順天堂大学),岡田真人(東京大学),川崎 学(東京大学),楊 嘉楽(中央大学),池田尊司(京都大学),原澤賢充(NHK放送技術研究所),鈴木敦命(名古屋大学),垣田 修(三重大学),荒井宏太(豊橋技術科学大学),鎌谷祐貴(豊橋技術科学大学),佐々木博昭(東北大学),渡邊淳司(NTT),井上康之(豊橋技術科学大学),谷岡峻介(豊橋技術科学大学),外山純一(豊橋技術科学大学),金津将庸(京都大学),勝俣安伸(豊橋技術科学大学),長谷川国大(名古屋大学),大谷智子(東京大学),水野愛子(西尾市民病院臨床),小濱 剛(近畿大学),今井千尋(東京大学),廣瀬信之(京都大学),齋藤 大(東京大学),高橋伸子(愛知淑徳大学),半田知也(北里大学),酒井 宏(筑波大学),大杉尚之(中京大学),鬼丸真一(豊橋技術科学大学)
以下,生理学研究所石川理子,林 正道,高浦加奈,木田哲夫,池田琢朗,関 和彦,吉田正俊,田中絵実,緒方洋輔,宮原良美,松吉大輔,加藤利佳子,小松英彦,伊藤 南,郷田直一,鯉田孝和,平松千尋,横井 功,原田卓弥,坂野 拓,西尾亜希子,岡澤剛起,波間智行


【概要】
 「視知覚研究の融合を目指して-生理,心理物理,計算論」は,平成21年6月18日,19日に岡崎コンファレンスセンター中会議室において開催された。参加者は約153名(過去最高)。生理6件,心理物理6件,計算論2件,という意図のプログラム構成だったが,多くの講演内容が領域横断的で,研究会が目指す視知覚研究の融合が着実に進んでいることが実感できた。まず,永井氏はIC法の原理と応用をわかりやすく解説した。小川氏はサルの後頭頂葉において視覚探索課題に必要な情報変換が行われている証拠を示した。佐藤俊治氏はV1の単純型細胞の受容野のモデルとして一般化ガウス微分関数が適切であることを指摘した。五味氏は視覚運動により無意識的に手腕運動が誘導されるMFRに関する包括的な解説を行った。杉田氏は顔を見る経験なしに育てられたサルも顔特異的な処理ができるという驚くべき実験を報告した。天野氏は新しいfMRIの分析手法により人の視覚野のマッピングを精緻化した。ロンドンから参加の金井氏は信号検出理論を応用して二種類の盲目状況を区別する試みを紹介した。藤田氏は二種類の両眼立体視処理が存在することを示す心理物理実験を報告した。二日目に入り,まず金桶氏は運動情報を速度と方向の二つのスカラーに分離して処理することの利点を語った。松宮氏は運動残効を用いて身体運動が視覚運動情報処理に与える影響を検討した。佐藤宏道氏はLGNのニューロンが方位選択性を持たないという常識を覆す一連の研究を解説した。齋木氏は視覚性短期記憶における物体の表象が複数の特徴が統合されたものではないと主張した。山根氏は下側頭葉におけるニューロンの刺激選択性が3次元曲面のパラメータ空間でうまく記述できることを示した。最後に神谷氏が神経活動を予測するモデルの重要性を指摘し,今後の視覚神経科学のあり方について巨視的な提案を行って研究会を締めくくった。

 

(1) Classification imageによる顔情報処理ストラテジーの可視化
-定型発達者と自閉症者の比較-

永井聖剛(産業技術総合研究所人間福祉医工学研究部門)

 Classificationimage(CI)法は課題遂行中の処理ストラテジーを詳細に可視化できる利点を持つ。例えば,顔画像による個人弁別課題を課すとき,「どの部分にどれくらい強く影響されるか」をピクセル単位で明らかにすることができる。近年は2次元空間刺激に加え,1次元空間刺激,時空間刺激など様々な刺激属性に対応したCIが開発され,顔認知,主観的輪郭,テクスチャ知覚など多様な研究トピックにおいて従来の実験手法(閾値,正答率等)では検討不可能であった視覚情報処理の諸側面を明らかにしてきた。本発表ではCIの測定原理,試行数削減技術の解説に加え,定型発達者および自閉症者の顔情報処理ストラテジーを調べた研究を報告する。先行研究ではグループ間での質的違いが主張されていたが,CIを用いたところ自閉症者グループ内で大きな個人差があり,半数は定型発達者と同様のストラテジーを示すことがわかった。

 

(2) サル大脳皮質における視覚探索の神経機構
-刺激特徴にもとづいた選択から空間位置にもとづいた選択への変換過程-

小川 正(京都大学大学院医学研究科)

 視覚探索では,視野内にある個々の物体の「刺激特徴の情報」と,どのような物体を目標として探すのかを決める「行動課題の情報」が重要となる。しかしながら,目標となる物体が特定された後,その物体に視線方向や空間性注意を向けるためには「目標位置の情報」の方がより重要になる。このように視覚探索では,非空間性から空間性の選択に移行する処理過程が存在すると考えられる。このような変換過程を明らかにするため,目標の刺激特徴が多種あり,探索条件に応じて目標刺激が決まる視覚探索課題をサルに行わせ,後頭頂葉のLIP野と7a野から単一ニューロン活動を記録した。その結果,「刺激特徴の情報」と「行動課題の情報」を表現するニューロン群と,「目標位置の情報」のみを表現するニューロン群が混在して見出された。これらの結果は,非空間性選択から空間性選択への変換が行われる場として後頭頂葉(LIP野,7a野)が重要な役割を果たしていることを示唆する。

 

(3) 生理実験結果の計算論的解釈と工学的応用
-受容野モデルと盲点補完を例として-

佐藤俊治(電気通信大学大学院)

 V1単純型細胞の受容野モデルとしてこれまでGabor関数が広く用いられてきたが,問題点がいくつか存在する:(i) Gabor関数のゼロ交差位置は等間隔であるが,実際の実験結果は非等間隔,(ii) 低周波・高周波帯に選択性を持つ受容野に対する近似精度が悪い,(iii) Gabor関数の出力結果から入力画像を再構成できない。そこで,これら問題点を解決する新しい受容野モデルについて考察する。結果として得られた受容野モデルは,微分階数を実数階(1.5階微分など)に拡張した,一般化Gaussian derivative関数となった。この新しい受容野モデルは微分幾何学との親和性が高いため,面方位や奥行き計算などの計算論研究に役立つものと考えられる。微分幾何との親和性を示す一例として,盲点補完モデルについて紹介する。この盲点補完モデルは,Matsumoto & Komatsu(J. Neurophysiology, 2005)の生理実験結果を,微分幾何と最適化問題の観点から計算論的に解釈して構築されたモデルである。最後に,画像修復への応用例についても紹介したい。

 

(4) 潜在的運動生成が明かす様々な視覚処理プロセス

五味裕章(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)

 視覚から運動生成までの情報処理では,視覚>知覚>意志決定>運動プログラム生成>制御というシーケンシャルな流れが主に研究されてきたが,視覚情報が知覚や意志決定を介さず,四肢や眼・体幹の運動生成に直接働きかけるような場合もある。近年我々は,腕到達運動中に与えられた視野の突然の動きに対して短潜時で腕が応答するManual Following Response(MFR)と名づけた現象に注目し,その視覚情報処理から運動生成までのメカニズムを探っている。視覚運動の時空間周波数に対するMFRの変化は,いくつかの運動視知覚特性と異なっており,むしろ同様の刺激で誘発される眼球運動と似た時空間周波数特性を示し,さらに脳磁図信号とも相関があることから,知覚と運動生成のための視覚運動情報処理の乖離が示唆された。本講演では,最近明らかになってきた手と目の制御に対する視覚運動処理の違いなども交え,視覚-運動生成処理を明らかにするアプローチを紹介する。

 

(5) 顔知覚における初期経験

杉田陽一(産業技術総合研究所脳神経情報研究部門)

 生まれた直後のサルを,6ヶ月~24ヶ月間,「顔」と顔に似た映像を一切見せないようにして育てた。これらのサルの顔知覚を,選好注視法(Preferential looking method)と慣化法(Habituation method)を用いて調べた。顔を見せる前に行った実験で,既に極めて高度な顔識別能力が備わっていることが明らかになった。サルあるいはヒトの顔写真と顔以外の物体の写真を同時に見せると,顔写真を好んで長く注視した。ひとつの顔写真を長い間見た後に,同じ顔写真と別の新しい顔写真を同時に見せると,サルの顔,ヒトの顔のどちらに対しても新しい顔写真を好んで長く見続けた。この結果は,以前に見た顔と新しく見た顔を識別したことを示している。さらに,眼・鼻・口などの僅かな違いだけでなく配置の些細な相違も識別できることが明らかになった。また,顔を見せなかった期間に関わらず,全く同じ結果が得られた。生身の「顔」を見せた後に行った実験で,サルの成績は一変した。ヒトの顔だけを1ヶ月見せた後に,前と同じ実験を行うと,ヒトの顔写真は好んで見続けるものの,サルの顔に対する好みは消失した。また,前に見た顔写真と新しい顔写真の区別も,ヒトの顔写真に対しては出来るものの,サルの顔写真に対しては全く識別できなくなった。逆に,サルの顔だけを1ヶ月見せた後には,サルの顔写真に対しては以前と同じ成績が得られるものの,ヒトの顔写真を識別する能力は失われてしまった。また,顔を見せなかった期間に関わらず,同じ結果が得られた。以上の結果は,「顔」の印象(鋳型)は,顔を見たことがなくても形成されること,また,実際に顔を見た後には,身近な「顔」の特徴を迅速に処理するために特殊化されていくことを示している。その後の回復経過を観察するために,サルを通常の飼育室で育てた。飼育室では,他のサルの顔もヒトの顔も見ることができる。しかし,1年間経過しても,失われた識別能力が改善することはなかった。この結果は,顔の識別の発達に明瞭な感受性期が存在していることを示している。

 

(6) ヒトMT+野のレチノトピーと受容野サイズ

天野 薫(東京大学大学院新領域創成科学研究科)

 従来,ヒトにおける運動視関連領野は,運動刺激と静止刺激を交互に提示した際に賦活される部位(hMT+)として定義されてきた。hMT+はサルのMT,MSTを含むと考えられているが,その部位は閾値の設定方法等に依存するなどの問題があり,V1-V4のように,レチノトピーに基づく領野の定義が求められてきた。本研究では,各ボクセルの受容野中心のみならず,受容野サイズをモデル化する新たなポピュレーション受容野マッピングの手法を用いて,hMT+内に二つの半視野表現が存在することを明らかにした。受容野サイズは,いずれの領野においても偏心度に応じてほぼ線形に増大した。ポピュレーション受容野の大きさは,ニューロンの受容野サイズだけでなく,ボクセル内におけるニューロンの受容野中心のばらつきの成分の影響を受けると考えられるが,両者の成分を分離したところ,後者の影響は相対的に小さいことが示唆された。

 

(7) 信号検出理論による知覚的盲目と注意的盲目の判別

金井良太(ユニバーシティカレッジロンドン認知神経科学科)

 視覚刺激を主観的に見えなくする心理物理学的手法は,意識的知覚と無意識の情報処理での神経活動の違いを同定するため,心理物理学のみならず神経生理学や脳イメージングと組み合わされて幅広く用いられてきた。本研究では,刺激が呈示された試行のみ,または刺激が不在であると判断された試行のみに対して,確信度が正解不正解をどれだけ弁別できるかを解析することで,心理物理の視覚刺激を見えなくする手法を知覚的盲目と注意的盲目に分類する方法を示す。低コントラスト,バックワードマスキング,フラッシュ抑制により刺激の検出が困難な状況では,ミス試行と物理的不在が主観的には弁別できないのに対し,注意的瞬目,分割的注意,空間的不確定性では課題の難しさに伴いミス試行の確信度が下がるため主観的弁別が可能であった。この知覚的盲目と注意的盲目の実験手法間での違いが,P意識とA意識という哲学的直感の由来であると考えられる。

 

(8) Binocular matching and correlation computations:
formulation and function
(両眼対応計算と両眼相関計算:定式化と機能)

藤田一郎(大阪大学大学院生命機能研究科)

 両眼立体視において,脳は,両眼に投影された外界像の位置ずれ(両眼視差)を検出し,奥行きへと変換する。この過程において,「両眼相関」と「両眼対応」の2つの計算が行われる。両眼相関計算は大澤ら(1990)の両眼視差エネルギーモデルにより数学的に定式化されている。一方,両眼対応計算は,従来,計算の拘束条件が定性的に提案され,計算解を求めるために繰り返し計算過程を組み込むというMarr以来の考え方で理解されてきた。本発表では,フィードフォワード機構のみで両眼対応計算を実現するモデルを提唱し,その定式化を行う。そして,両眼相関と両眼対応の2つの計算過程を乖離させる心理学的手法を提案する。その方法を用いて,この2つの計算過程が細かい奥行き知覚と粗い奥行き知覚それぞれにどう貢献しているか,さらに,視覚刺激の時間特性を変えることで2つの計算過程にどう影響するかを調べた心理実験の結果を報告する。

 

(9) 運動情報を2つのスカラーに分けて処理することの利点

金桶吉起(生理学研究所感覚運動調節研究部門)

 視覚性運動情報処理機構において,ヒト脳が運動ベクトルまたはmotion energy modelに基づく情報処理をしていると考えることは妥当であり,実際にmotion transparency, occlusion, boundaryなどおそらくすべての知覚現象はこのモデルで説明できる。にもかかわらず,運動ベクトルが2つのスカラーに分けられて処理されている可能性が近年指摘されている。現時点ではヒト脳がどちらの処理方法を採用しているか排他的に一方を支持する知見は存在しない。ここでは,ベクトルを2つのスカラーに展開することによって運動情報処理がいかに簡便になりうるか,また他の視覚情報(色や形など)処理との整合性があるかについて具体例(例えば同じ場所に2つの運動が知覚されることの説明など)にて示し,この情報処理方法の意義について考察したい。

 

(10) 運動視における身体情報の影響

松宮一道(東北大学電気通信研究所)

 我々は,行動中に自己の身体部位の動きを頻繁に見る。この自己の意図を追従する身体部位の動きは,外界の動きから自己生成した動きを区別するときに重要な手がかりを与える。一方,行動に伴って生成される物体の動きは,通常,身体部位情報と独立に処理されると考えられており,視覚的な動きのパターンは運動方向,空間周波数,速度のような視覚刺激の属性あるいは注意によって追跡された運動方向にチューニングされたフィルターを通して処理されると考えられている。このようなフィルターの存在は運動残効を使って調べられており,運動残効の存在は特定の刺激属性に順応するフィルターの存在に対する証拠とみなすことができる。本講演では,自己生成される物体の動きに順応すると,手の見えが視覚運動残効に影響を与えることを報告する。この結果から,運動視処理機構と身体情報の関連性について議論する。

 

(11) 初期視覚系ニューロンの方位選択性について

佐藤宏道(大阪大学大学院医学系研究科)

 HubelとWieselが1962年にネコ一次視覚野(V1)の方位選択性のモデルを提案して以来,V1ニューロンに収束する外側膝状体(LGN)からの入力線維の受容野が特定の傾きを成すように配列しているというのが教科書による方位選択性の説明である。また,大脳皮質はこの方位チューニングを増強し,入力強度によらず安定化するように神経回路を構築しているとされている。しかし我々はネコV1で受容野周囲をsinusoidal gratingで刺激したときに生じる抑制性反応修飾についての研究を進めるうちに,少なくともネコではLGNのレベルで皮質のそれの元になるような方位チューニングが形成され,しかも,大脳皮質の神経回路の特徴とされてきたコントラスト非依存的方位チューニングが存在していること,そしてLGN内のGABA抑制がこのチューニングにほとんど寄与していないことなどを見出した。これは初期視覚系のfeedforwardメカニズムにおいて方位選択性が合目的的に形成されていることを示唆しており,視床と大脳皮質との関係についての再考を促すものである。

 

(12) 視覚性短期記憶における特徴の統合と動的更新

齋木 潤(京都大学大学院人間 環境学研究科)

 我々の判断や行為においては現前の視覚情報のみならず視覚性の短期記憶情報が重要な役割を果たしている。視覚性短期記憶の容量は4個程度の視覚的オブジェクトであるといわれているが,「視覚的オブジェクト」が記憶の機能単位であるかどうかについては議論がある。オブジェクトの重要な特性である属性のバインディングと,変化に伴う表象の更新の過程を明確にするため,複数の運動物体を用いて属性のバインディングと運動に伴う表象の更新を同時に検討する多物体恒常性追跡法を用いて視覚記憶と視覚的注意の相互作用を検討した心理物理実験,属性情報と位置情報が統合されたオブジェクト表象の神経基盤を検討したfMRI実験を紹介する。これらの知見から,視覚性短期記憶がオブジェクトを単位とした4つのスロットではなく,特徴統合理論のように特徴ベースに構成され,注意の作用により一過性にオブジェクト表象が構成されている可能性を議論する。

 

(13) 下側頭葉皮質ニューロンによる物体の三次元形状の表現

山根ゆか子(理化学研究所BSI)

 下側頭葉皮質には視覚的に提示された物体像に強く反応するニューロンが多く存在することが知られており,視覚情報処理の最終段階と考えられている。下側頭葉皮質ニューロンの3次元形状に対する刺激選択性を効率的に調べるために,進化的アルゴリズムを用いた探索システムを開発した。陰影と両眼視差を加えた3次元物体像を視覚刺激として用い,固視課題遂行中の覚醒サルの下側頭葉皮質ニューロンから記録をとった。刺激の形状を決めるパラメータを,ニューロンの活動を記録しながら応答に応じて変化させ,新しい刺激セットを次々にオンラインで用意し提示した。解析の結果,記録した多くの下側頭葉皮質ニューロンの刺激選択性は,曲率や方向など3次元曲面を記述するパラメータを用いるとよく説明できることが示された。このことは,2次元のみならず奥行き方向の情報を含む3次元の物体形状が下側頭葉皮質で表現されている可能性を示すものである。

 

(14) 神経予測と視知覚

神谷之康(ATR脳情報研究所神経情報学研究室)

 視覚情報処理を理解する上で,「予測」の重要性が認識されつつある。刺激に対する脳の反応を記述しモデルをあてはめる従来のアプローチとは異なり,予測を重視するアプローチでは,新たな(モデルを作るのに利用していない)刺激に対する脳活動を正しく予測できるか(エンコーディング),新たな脳活動が与えられたとき,それを引き起こした刺激を予測できるか(デコーディング),脳活動から主観的知覚状態を予測できるか(マインド・リーディング),といった観点でモデルや仮説を評価する。視覚研究が現象の解釈を超え,応用も視野に入れた成熟した科学になるためには,このような観点は必須のものであるが,一方で,現象のメカニスティックな理解がないまま,数字の上だけのデータマイニングに終始する危険を伴う。本講演では,高次元の知覚空間と脳信号空間のモデリングに焦点を当てながら,神経予測の可能性と課題を議論する。

 



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