生理学研究所年報 第31巻
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19.電子顕微鏡機能イメージングの医学・生物学への応用
「感染症観察」および「その場観察」

2010年1月8日−1月9日
代表・世話人:臼田信光(藤田保健衛生大学医学部)
所内対応者:永山國昭(生理学研究所・岡崎統合バイオサイエンスセンター)

(1)
基調講演:次々と登場する感染症−何が問題か?
倉田 毅(富山県衛生研究所)

(2)
基調講演:C型肝炎ウイルス粒子の細胞外への放出と感染性を規定する因子
下遠野邦忠(千葉工業大学附属総合研究所)

(3)
単純ヘルペスの増殖と病原性発現の分子機構−ウイルス非必須遺伝子の機能
西山幸廣(名古屋大学大学院医学研究科)

(4)
電子線クライオトモグラフィーによるT7様ウイルスのシアノバクテリアへの感染過程の解析
村田和義(生理学研究所)

(5)
電子顕微鏡によるプリオンの構造解析
桑田一夫(岐阜大学 人獣感染防御研究センター)

(6)
インフルエンザワクチン 特に新型インフルエンザワクチンについて
来海和彦(化学及血清療法研究所)

(7)
日本と世界の結核の現状と最近の電子顕微鏡所見
山田博之(結核予防会結核研究所)

(8)
基調講演:位相差電子顕微鏡と統合バイオイメージング
永山國昭(岡崎統合バイオサイエンスセンター)

(9)
異常型プリオン蛋白質の細胞内局在
堀内基広(北海道大学大学院獣医学研究科)

(10)
Viral Structures Visualized by Zernike Phase Contrast Cryo-electron Tomography
Radostin Danev(岡崎統合バイオサイエンスセンター)

(11)
introduction
丹司敬義(名古屋大学エコトピア科学研究所)

(12)
膜細胞骨格の空間構造とその制御タンパク質の空間特異性
臼倉治郎(名古屋大学先端研)

(13)
ATPリアルタイムイメージング:メカノセンシング機序としてのATP放出
古家喜四夫(科学技術振興機構・SORST)

(14)
In-situ TEMの多機能化とナノ材料合成,評価への応用
上野武夫(山梨大学燃料電池ナノ材料研究センター)

(15)
環境TEMによるカーボンナノチューブ成長の高分解能その場観察
吉田秀人(大阪大学大学院理学研究科)

(16)
放射線照射に伴う酸化物セラミックス中の欠陥形成と安定性
安田和弘(九州大学大学院工学研究院)

(17)
In situ TEMによるナノ粒子の相生成過程の解析
保田英洋(神戸大学大学院工学研究科)

【参加者名】
倉田 毅(富山県衛生研究所),下遠野邦忠(千葉工業大学附属総合研究所),西山幸廣(名古屋大学大学院医学研究科),村田和義(生理学研究所),桑田一夫(岐阜大学 人獣感染防御研究センター),来海和彦(化学及血清療法研究所),山田博之(結核予防会結核研究所),堀内基広(北海道大学大学院獣医学研究科),丹司敬義(名古屋大学エコトピア科学研究所),臼倉治郎(名古屋大学先端研),古家喜四夫(科学技術振興機構・SORST),上野武夫(山梨大学燃料電池ナノ材料研究センター),吉田秀人(大阪大学大学院理学研究科),安田和弘(九州大学大学院工学研究院),保田英洋(神戸大学大学院工学研究科),金子康子(埼玉大学教育学部),鈴木和男(千葉大学大学院医学研究院免疫発生学),佐々木勝寛(名古屋大学工学研究科),土井浩二(鳥取大学医学部付属病院),西村伸一郎(化学及血清療法研究所),小瀬洋一(日立ハイテクノロジーズ),中澤英子(日立ハイテクノロジーズ),仲西正寿(富士フィルム株式会社),岩崎憲治(大阪大学蛋白研),石原陽介(株式会社東海電子顕微鏡解析),川村修二(株式会社東海電子顕微鏡解析),高崎智彦(国立感染症研究所),内海晋也(住友化学),加藤智樹(産業総合研究所関西センター),藤田 真(島津製作所設計技術センター),石川貴己(日本電子株式会社EM事業ユニット),須賀三雄(日本電子株式会社経営戦略室),藤田芸彦(エイキット株式会社),寺本華奈江(日本電子株式会社),山口淳二(大阪暁明館病院),山本 洋(エスアイアイナノテクノロジー),高垣謙二(島根県立中央病院),今井友也(京都大学生存研),谷山 明(住友金属工業),板倉広治(花市研究所),喜多山篤(テラベース(株)),丸井隆雄(島津製作所),二村和孝(日立ハイテクノロジーズ),古家園子(生理学研究所),秋田知樹(産業総合研究所),深澤元晶(藤田保健衛生大学),厚澤季美江(藤田保健衛生大学),一色俊之(京都工芸繊維大学大学院 工業科学研究科),臼田信光(森田保健衛生大学医学部),永山國昭(岡崎統合バイオサイエンスセンター),Radostin Danev(岡崎統合バイオサイエンスセンター)


【概要】
 本研究会は平成12年よりスタートした電子顕微鏡の研究会(“定量的高分解能電子顕微鏡法”,“電子位相差顕微鏡の医学・生物学的応用”,“位相差断層電子顕微鏡の医学・生物学的応用”,“電子顕微鏡機能イメージングの医学・生物学的応用”)を継承しており,本年で10年目になる。

 今年度は平成22年1月8日から9日に岡崎コンファレンスセンター小会議室で開催した。専門性を追求するために,平成21年度日本顕微鏡学会関西支部特別企画講演会と共催し,延べ約100人が参加した。生物系では,近年の感染症再興という社会的背景を踏まえ,さらに電子顕微鏡にとってウイルスが最も得意とする観察対象であることを合わせ,「感染症観察」について10題の講演が行われた。倉田毅先生(富山県衛生研究所),下遠野邦忠先生(千葉工業大学附属総合研究所)の2名の感染症研究のエキスパートによる基調講演に続き,C型肝炎ウイルス,単純ヘルペスウイルス,プリオン,インフルエンザウイルス,結核菌などの多彩な超微構造観察結果が報告され,今後の位相差電子顕微鏡における研究をCryo-electron Tomographyに進める際の問題点が議論された。材料系においては,電子顕微鏡内で物質の構造変化を観察する新しい潮流である「その場観察」について7題の講演が行われた。ナノ材料に関する工学材料系の発表と共に,細胞骨格,ATPなどの生体物質についての研究も報告された。電子顕微鏡の観測機器としての性能を十分に引き出した研究を行うための技術革新について具体的に必要な新規技術が提案された。

 

(1) 基調講演:“次々と登場する感染症−何が問題か”

倉田 毅(富山県衛生研究所)

 今から遡ること30年余りに,新しく登場したウイルス感染症は30以上,細菌・寄生虫感染症は15以上にのぼる。1990年以降の20年でも重要感染症は20余登場している。それ故,どのような新しい感染症の出現についても対応しうる準備が必須である。日頃から常識レベルの対応力さえあれば,今回のインフルエンザバカ騒ぎはありえなかった。

 診断方法も,薬剤も十分にある現在での対応は,大昔とは異なるのに何故? 要は,感染症をきちっと知り,意思決定しうる人が専門家にも行政にもいなかっただけである。インフルエンザの臨床にとっては,季節性もパンデミックもない,全く同じである。

 人類の歴史は,感染症との戦いの歴史といってもよい。近年は,抗生物質等の予防治療薬剤,ワクチン等により対応が大きくかわってきた。人類が根絶しえた疾患は唯一天然痘のみである(1967~1980)。現在進行中のものがポリオ(1989~)である。3番目がはしかである。これらが根絶目標にされた理由は,これらのウイルスがヒトからヒトにしか感染せず,いずれも中間宿主(媒介動物)がなく,良いワクチンがあることである。また,近年登場した疾患は,大部分が人獣共通感染症(感染症法では動物由来感染症)である。インフルエンザをはじめ,SARS,ニパ,vCJD,ウエストナイル熱,サル痘に加え,拡大しつつあるのがマラリア,デング熱,狂犬病等々である。その他多剤耐性結核菌の流行,HIV/AIDSの激増傾向は看過できない状況である。

 

(2) 基調講演:C型肝炎ウイルス粒子の細胞外への放出と感染性を
規定する因子

下遠野邦忠(千葉工大 附属研究所)

【はじめに】HCVは複製に際して脂肪代謝機構,および脂肪輸送機構を利用する。筆者らはHCV蛋白質が脂肪滴周辺に局在することを明らかにし,その局在が感染性ウイルス粒子を放出するのに重要であることを示した。脂質のウイルス複製における役割が疾患との関連でも注目されている。HCV複製増殖における脂肪代謝との関連について以下の事が明らかにされてきた。

 HCV感染により脂肪滴が増加し,ウイルスはそれを利用して増える。

 ウイルス蛋白質のひとつ,コアにより脂肪滴の量が増える。ウイルス蛋白質は,脂肪滴と会合,あるいはその周辺に局在する。このような状態が感染性ウイルス粒子を産生するのに必要である。

 培養細胞中のHCVはリポ蛋白質と会合して存在する。

 HCVはリポ蛋白質と会合している。リポタンパク質を除くと感染性は無くなる。

 HCV粒子に会合しているリポタンパク質内のApolipoprotein E(ApoE)が感染に重要である。

 感染性ウイルス粒子はApoE抗体で免疫沈降される。沈降しない画分に感染性はない。

 ApoEを産生しない細胞から感染性粒子は放出されない。

 ApoEを産生しない細胞から放出される非感染性HCVとApoEを混ぜても感染性は回復しない。すなわちHCVが感染性を持つためには,細胞内でApoEと会合してから放出される必要がある。

【まとめ】HCVは細胞の脂肪代謝系を利用して増殖する。HCV感染者に脂肪症が多い理由はこのようなHCVの特殊な増殖様式による可能性が考えられる。

 

(3) 単純ヘルペスウイルスの増殖と病原性発現の分子機構
−HSVアクセサリー遺伝子の機能−

西山幸廣(名古屋大学大学院医学系研究科ウイルス学)

 ヘルペスウイルスは2本鎖DNAをゲノムとする大型の動物ウイルスである。あらゆる脊椎動物には種固有のヘルペスウイルスが存在すると推定され,現存するDNAウイルスの中では最も多様性に富んでいる。ヒトからも8種類のヘルペスウイルスが発見されており,いずれも病原体として重要な位置を占める。その中で,単純ヘルペスウイルス(HSV)はヘルペスウイルス科のプロトタイプとして早くから基礎研究が推進され,増殖機構についての理解が最も進んでいるが,吸着・侵入からゲノム複製,粒子形成を経て細胞外への輸送に至る増殖過程は,ウイルス分子と宿主細胞分子との複雑な相互作用から成り,今なお全容の解明には程遠い。一方,HSVは近年ウイルスベクターやoncolytic virusとして医学的な利用が構想されており,ウイルスと細胞と相互作用を分子レベルで解明することは応用研究の立場からも重要な課題となっている。

 HSVは少なくとも74種の遺伝子を保有するが,その半数以上は培養細胞での増殖に必須ではない,いわゆる“アクセサリー遺伝子”である。しかし,これらのアクセサリー遺伝子はウイルスの生活環,病原性発現に極めて重要な役割を持っていると推測される。我々は25種を超えるHSVアクセサリー遺伝子の基本的性状を網羅的に解析し,その一部の機能・役割に関してはHSVの増殖・病原性発現機構の理解に不可欠な知見を提供してきた。本講演では,アクセサリー遺伝子に関するこれまでの研究について紹介したい。

 

(4) 電子線クライオトモグラフィーによるT7様ウイルスの
シアノバクテリアへの感染過程の解析

村田和義1,Wah Chiu 21生理学研究所,2米国ベイラー医科大学)

 本研究では,細胞の中でも比較的小さなサイズのシアノバクテリアProchrolococcus MED4(直径~0.5mm)を用い,これに特異的なT7様ウイルスP-SSP7を感染させて,その過程を電子線クライオトモグラフィーで調べた。MED4をP-SSP7と混ぜて,経時的にマイクログリッド上に氷包埋すると,自然に近い感染途中のファージの像を得ることができた。この傾斜像を300kVの電子顕微鏡を用いて2º間隔で±62ºの範囲で記録し,その3次元トモグラムを再構成した。そして,そのトモグラムから細胞の周りに吸着したファージ像を切り出し,分類して平均化すると,感染途中の詳細なファージの3次元構造を得ることができた。細胞壁表面に吸着したファージは,細胞表面とテイルとの角度によって3種類に分類することができた。吸着したファージの50%はその様相から休眠状態であることがわかった。さらに,テイルの周りにあるスパイクファイバーと呼ばれる器官の構造変化を,3次元像の多変量解析により調べた結果,ファージの吸着過程が進むにつれて,キャプシドの表面に沿って折りたたまれているスパイクファイバーが,テイル先端方向に持ち上がり,テイルに対して垂直に伸びることがわかった。このことから,スパイクファイバーの構造変化が,ファージの吸着過程において重要な役割をしていることが示唆された。

 

(5) 電子顕微鏡によるプリオンの構造解析に向けて

山口圭一,松本友治,桑田一夫(岐阜大学人獣感染防御研究センター)

 アミロイド線維はプリオン病の感染物質の一つであり,毒性や構造が異なるプリオン蛋白質(PrP)のアミロイド線維が報告されている。そこで,本研究では各種分光法とTEMを用いて,性質が異なるPrPアミロイド線維の構造と伝播機構について調べた。

 アミロイド線維形成はマウスの全長プリオン蛋白質(mPrP (23-231))を用いて,超音波照射下,37℃で長時間インキュベートして行なった。その結果,mPrP(23-231)は超音波強度の違いにより,チオフラビンT(ThT)蛍光値が異なる3種類のアミロイド線維を形成することが分かった。TEM観察により,形成された線維は①アモルファス状凝集体,②ややねじれた線維,③さらにくねくねして絡まりあった線維であることが分かった。次に,これらの線維をシードにしてアミロイド線維の伝播実験を行った。その結果,mPrP(23-231)線維のThT蛍光値と形態はシーディングによって基本的に伝播することが分かった。しかし,細部を見るとシーディングにより線維はやや剛直になる傾向があった。

 当研究センターでは,現在,電子線トモグラフィーによるアミロイド線維の構造解析を進めている。PrPの部分ペプチドHelix2や卵白リゾチームのアミロイド線維は細長く剛直であるため高分解能な構造解析に向いている。本研究会ではこれらの取り組みについても紹介する。

 

(6) インフルエンザワクチン 特に新型インフルエンザワクチンについて

来海和彦(化学及血清療法研究所)

 インフルエンザ研究者のほとんどが,次のパンデミックはH5N1亜型であると疑わなかった2009年4月下旬,突如として現れた新型インフルエンザウイルスA(H1N1)pdmは,瞬く間に世界各国に広まった。WHOは次々とアラートレベルを上げ,6月11日にはフェーズ6を宣言した。この間,ウイルスの拡がりに劣らぬ速さでウイルスの解析は進み,遺伝子配列は数日のうちにweb上に開示され,それがブタ,トリ,ヒトインフルエンザウイルスに由来するトリプルリアソータントであることが分かった。一方,ワクチン株は米国で樹立され,国立感染症研究所を経て,6月末にワクチン製造所に分与された。ワクチン剤形としては,現行の季節性ワクチンと同じスプリット型が選択され,化血研は,7月に季節性インフルエンザワクチン製造を中断,新型インフルエンザワクチン製造に切り替え,フル稼働でワクチン製造が続けられた。同ワクチンの有効性と安全性に係わる臨床試験成績が健康成人を対象として実施され,現行と同様のスプリット型ワクチン1回接種でも十分な抗体応答が得られることが示された。しかし,新型インフルエンザの流行が例年よりも2~3箇月早く始まったことから,数多くの小中学校で学級・学校閉鎖が相次いだ。今後,迅速なワクチン供給を目指し,細胞培養ワクチンなどの新しいワクチン開発を急がなくてはならない。

 

(7) 日本と世界の結核の現状と最近の電子顕微鏡所見

山田博之(財団法人結核予防会結核研究所 抗酸菌レファレンス部 細菌検査科)

 WHOによれば2007年に全世界で年間約930万人の新たな結核感染者があり,約180万人が結核で死亡している。約50万例の多剤耐性結核(MDR-TB)の存在が推定されており,2008年末には55の国で超多剤耐性結核(XDR-TB)が見つかっている。日本国内では2008年の統計で新規登録患者が24,760例あり(罹患率19.4/人口10万),2,220人の死亡が登録されている(死亡順位25位)。2002年に実施された全国調査では,3,122株中,MDR-TBは1.9%,XDR-TBは0.5%検出されている。

 長期にわたり体内で休眠状態で存在する結核菌は,本来の特徴である抗酸性を失うと考えられている。しかしこの抗酸性が菌体のどのような特徴により付与されているのかは未だ不明である。また,細胞内寄生菌である結核菌がどのようにしてphagosome-lysosome fusionを阻害してマクロファージ内で生存するのかについて様々な仮説はあるが可視化を伴う裏付けはなされていない。更に,様々な抗結核薬と菌の標的分子との相互作用,菌体成分の生合成の場についても未だ推測の域を出ていない。

 これらを説明するには可視化が必須であり,そのためには光学顕微鏡の分解能を超越した電子顕微鏡による観察が不可欠であると考えられる。今回,最近の結核菌(抗酸菌)に関する電顕観察に関する考察と我々の試みを紹介する。

 

(8) 基調講演:位相差電子顕微鏡と統合バイオイメージング

永山國昭(岡崎統合バイオサイエンスセンター)

 各種の生物用光学顕微鏡は時間変化を追求できる,多色光を使える,蛍光法を使える,そして多光子過程を使えることにより生体の分子過程を選択的かつ定量的に取り出せる。一方電子顕微鏡は光顕の持つこれらの特徴をほとんど持ち合わせていない。元素分析を行う分析電顕も存在するが,生物応用は電子線損傷の壁があり実用化に遠い。電子顕微鏡で唯一光顕を凌駕できる特色は空間分解能の高さである。しかしこの特色も電子線損傷のため充分生かされず,材料科学で実現されるような高分解能は達成されてこなかった。位相差法がこうした生物電子顕微鏡の課題に対しどのような解答を与え得るのか。

 位相差法の第1の特色は像コントラストの改善にある。コントラスト改善により像分解能も改善される。このことによりi) 生物試料法一般の高解像化,ii) 単粒子構造解析における高効率化,iii) 低温トモグラフィー法における高分解能化が達成される。これらの特長を生かした膜蛋白質系,ウイルス系,オルガネラ系への応用成果について紹介する。

 位相差法の第2の特色は光顕試料と電顕試料を共通化できることにある。電子顕微鏡従来法では重金属染色を用いるため特に蛍光法と相性が悪く,同一試料を観察対象にすることは困難だった。この点を位相差法は解決したため従来独立に発展してきた2つの顕微鏡手法が真に融合する可能性がある。CRESTで試作した電子・光子ハイブリッド顕微鏡の例を紹介する。

 

(9) 異常型プリオン蛋白質の細胞内局在

堀内基広(北海道大学大学院獣医学研究科)

 プリオン病の病原体の主要構成要素は異常型プリオン蛋白質(PrPSc)と考えられている。Tarabolousらは,プリオン持続感染細胞をGdnHClのような変性剤で処理後に抗PrP抗体を用いて蛍光抗体法すると,PrPC由来の蛍光が減弱して,PrPSc由来の蛍光が増強されることを見出し,この方法がPrPScの細胞内局在の解析に用いられてきた。この方法では,使用する抗体や細胞の培養条件によりPrPC由来の蛍光を検出することが問題となっていたが,我々は,PrPの最もアミロイド原性が高い領域を認識する抗体(mAb 132)を用いること,PrPC由来の蛍光を殆ど検出せずに,信頼性高く細胞内のPrPScを蛍光抗体法により検出できることを見出した。これまでに,各種オルガネラマーカーとの二重染色により,PrPScの細胞内局在を解析してきた。その過程で,PrPScが既報の初期エンドソーム/リサイクリングエンドソームや後期エンドソーム,リソソームに加えて,トランスゴルジネットワーク(TGN)の近傍にも存在する可能性を見出した。PrPScが細胞の膜輸送に関連する細胞内小器官に広く分布していることから,PrPScは細胞の膜輸送によりダイナミックに細胞内を移動していると考え,PrPScの細胞内輸送経路について解析を進めているので,発表では,PrPScの細胞内局在と細胞内輸送について紹介したい。

 

(10) Viral Structures Visualized by Zernike Phase Contrast Cryo-electron Tomography

Radostin Danev(岡崎統合バイオサイエンスセンター)

 In the last few years there is a growing interest in the development and applications of methods for in-focus phase contrast electron microscopy. The oldest such technique is the Zernike phase contrast TEM based on thin film phase plates. It was the first one to demonstrate the benefits of the in-focus phase contrast TEM. Few other approaches based on electrostatic or magnetic devices are under development but, despite its limitations, the thin film phase plate iscurrently the only method available for applications.

 Cryo-electron tomography is expected to have a large benefit from the implementation of in-focus phase contrast techniques. A tomogram is based on tilt series of a specimen area using a limited dose. Assuming the specimens is a unique object; the information lost during the acquisition cannot be recovered at a later stage. The in-focus phase contrast, with its uniform spectral transfer characteristics, can reduce the information loss due to CTF. In addition, it provides an overall contrast increase, which could aid the alignment steps during reconstruction making possible the use of lower total doses, smaller angular steps or smaller fiducial markers. As a result, the application of in-focus phase contrast to cryotomography is expected to produce tomograms with higher resolution and more details.

 We show examples of the first applications of Zernike phase contrast to cryo-tomography. The specimens include T4 Phage and Influenza A virus. The discussion will focus on the current state and the future directions of the application of phase plates to cryo-electron tomography.

 

(11) introduction

丹司敬義(名古屋大学エコトピア科学研究所)

 

(12) 膜細胞骨格の空間構造とその制御タンパク質の空間特異性

臼倉治郎(名古屋大学エコトピア科学研究所)

 細胞骨格はアクチン線維,微小管(微細管),中間径線維より構成されるが,膜直下では主にアクチン線維と微小管からなる。とりわけ,アクチン線維は豊富でその主役をなす。アクチン線維の空間分布を詳細に調べると3つのタイプに分類される。ところで,どのアクチン線維にも結合すべきeffecterタンパク質がなぜ第二タイプのアクチン線維に優先的に分布するのか正確な答えは見つからないが,制御タンパク質が膜近傍に存在することと関係していると思われる。しかし,膜密着型のアクチン線維にも分布は少ない。これらeffecterタンパク質の空間特異性が如何に生まれるかは今後の解析に待たなければならない。

 一方,今回の実験でアクチン線維はfocal contactとは別に膜上および細胞質内において集積が存在し,膜表面,細胞質内を多数のドメインに分割していることがわかった。これらのドメインは細胞質にあってはオルガネラなどの位置決めに役立っているものと考えている。一方膜面で葉状仮足の基部に存在することが多いことから,形態の決定と関連があるものと考えられる。

 

(13) ATPリアルタイムイメージング:メカノセンシング機序としてのATP放出

古家喜四夫(科学技術振興機構 細胞力覚プロジェクト)

 ATPは脳,血管,免疫系,膀胱,小腸,乳腺など生体のいたるところで働く重要な細胞間情報伝達物質である。エネルギー物質,核酸成分として不可欠なATPを情報伝達物質として用いることのメリットは,すべての細胞が情報発信源になり得ることであり,またほとんどすべての細胞がなんらかのATP受容体を発現しており,情報の受け手にもなり得ることである。興味深いことに多くの細胞や組織においてATP放出が細胞伸展や溶液の流れなどの機械刺激で引き起こされ,ATPシグナリング系はメカノシグナリングと深く関わっている。ATPシグナリング系の普遍性,重要性はその受容体とともに明らかになってきたが,ATP放出経路は情報伝達系における根幹部分であるにもかかわらずほとんど分かっていない。その機構を明らかにするため,我々はLuciferin-Luciferase反応によるATPルミネッセンスを超高感度カメラによって顕微鏡下でリアルタイムイメージングできる装置を開発した。現在10nM以下の濃度のATPを 30msの時間分解能で観察可能である。このATP放出の時間経過から放出濃度や持続時間等が分かる。各種刺激によるATP放出過程を解析した結果,同じ細胞においてもいくつかの異なる放出経路が存在していることが示された。

 

(14) In-situ TEMの多機能化とナノ材料合成,評価への応用

上野武夫(山梨大学)

 300kV分析電子顕微鏡(日立H-9500)をベースにIn-situ TEMを開発した。加速電圧は観察目的に合わせ100~300kVの範囲から選択できる。鏡体は3台の高速ターボ分子ポンプ(260l/s)で構成された差動排気方式とした。試料室の雰囲気はガス供給装置により制御される。ガス供給装置はO2, N2, He, Ar, CO2, NO, H2, COの8種類のガスを備えたガス供給ユニット,ガスの混合比率,ガス圧,ガス流量などを制御する制御ユニット,ガス分析ユニットなどで構成される。試料加熱ホルダとしては直径3mmの標準TEM試料を最高1200℃まで加熱できる二軸傾斜試料加熱ホルダ,粉体試料を最高1500℃まで加熱できる高温試料加熱ホルダなどを開発した。後者はSi3N4の超高温における層変態,Siとカーボンの反応によるSiCナノ粒子の生成および焼結や,結晶粒界形成過程におけるSi, Cの原子挙動の動的観察などに応用した。さらに,金属蒸着機能を付加した試料加熱ホルダを開発した。これにより,材料の合成とその特性評価実験が可能になった。我々はこの技術をアルミナ担体の合成,担体および触媒ナノ粒子の挙動解析などに応用し,触媒劣化メカニズム解明に有用な情報を得ている。

 

(15) 環境TEMによるカーボンナノチューブ成長の高分解能その場観察

吉田秀人(大阪大学大学院理学研究科)

 環境制御型透過電子顕微鏡(ETEM)は,試料周辺へのガスの導入を可能とする環境セルを備えており,気体と固体の反応を原子分解能でその場観察することを可能にする。そのため,材料科学,触媒化学,バイオテクノロジーといった広範な分野で,ETEM観察は極めて有用である。

 我々は,ETEMを用いて,カーボンナノチューブ(CNT)の触媒CVD成長をその場観察することに成功した[1,2]。多層CNT(MWNT)が酸化シリコン基板上のナノ粒子触媒から成長する際,ナノ粒子触媒内には明瞭な格子縞が現れており,そのフーリエ変換像を詳細に解析したところ,ナノ粒子触媒内が炭化鉄(Fe3C)であることが明らかになった。CNTの成長中にナノ粒子触媒が液体なのか結晶なのか,金属なのか炭化物なのかといった問題には明確な結論が出ていなかったが,我々の観察結果は,これらの問題に明瞭な答えを与えるものである[1]

[1] H. Yoshida, S. Takeda, T. Uchiyama, H. Kohno, and Y. Homma, Nano Lett. 8, 2082 (2008).
[2] H. Yoshida, T. Shimizu, T. Uchiyama, H. Kohno, Y. Homma, and S. Takeda, Nano Lett. 9, 3810 (2009).

 

(16) 放射線照射に伴う酸化物セラミックス中の欠陥形成と安定性

安田和弘(九州大学工学研究院)

 セラミックス中の照射欠陥の形成と安定性は,弾性的なはじき出し過程のみならず電子励起過程に大きく影響を受ける。電子顕微鏡内での電子照射下「その場」観察実験は,電子エネルギーの選択により弾性的なはじき出し損傷および電子励起を同時に,かつ強度比を変化させて試料に付与しながら,照射欠陥の形成・安定性を観察することが可能な手法である。また,一部の副格子に対してのみ選択的にはじき出し損傷を誘起することもできる。本報告では,まず,(1) マグネシア・アルミネート・スピネル中の照射欠陥形成・安定性に及ぼすはじき出し損傷/電子励起比の効果に関する動的観察実験の結果について述べ,スピネル中の格子間型転位ループが電子照射に伴う電子励起下に孤立した格子間原子に分解・消滅することを示した。次に,(2) 蛍石構造酸化物における酸素イオンの選択的はじき出し損傷と照射欠陥の形成・成長過程,に関する成果を報告し,電子照射のような比較的低い一次はじき出し原子を誘起する照射環境では,選択的にはじき出された酸素格子間イオンの板状集合体が形成・成長すると考察した。

 

(17) In situ TEMによるナノ粒子の相生成過程の解析

保田英洋(神戸大・工)

 ナノ粒子においては構成原子に対して表面原子の占める割合が著しく大きくなることに起因して特有の相平衡が認められる。純物質ナノ粒子の融点降下が発見され,その原因が格子振動のソフト化に基づき議論されてきた。近年,合金や化合物のナノ粒子における相平衡に関して,固溶限の増大,規則−不規則相転移温度の低下,バルク二相領域でのアモルファス相の形成等の新たな発見がなされた。このような挙動から,ナノ粒子においては構成原子間の化学的相互作用の寄与が大きくなり,それによって決定される系の自由エネルギーによって相平衡が支配されることが明らかになり,ナノ粒子における相図を定性的に予測することも可能となった。また,相転移は異相間の自由エネルギー差を駆動力とした原子の再配列が容易に起こることによって支配され,原子の長距離拡散をともなわずに急速に構造が変化する点においてマルテンサイト相転移に類似したダイナミクスを示すことが明らかにされた。一方,最近,化合物ナノ粒子において電子励起によって相転移が起こることが発見され,電子系の寄与も顕著になることが示された。

 ここでは,こうした合金・化合物ナノ粒子に特徴的な相生成ダイナミクスについて電顕内その場観察法により解析した結果を紹介する。

 



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