公開日 2008.06.19

海産動物ホヤの精子の分子から発がんのメカニズムへ手がかり —化学信号「リン脂質」を操る仕組み解明へ—

カテゴリ:プレスリリース
 生理学研究所 広報展開推進室
 

概要

大阪大学医学系研究科の岡村康司教授(自然科学研究機構・生理学研究所)と岩崎広英博士(自然科学研究機構・生理学研究所・助教、現ハーバード大学)の研究グループは、海産動物ホヤの精子に存在するCi-VSPという酵素が、がん抑制遺伝子PTENと似たタンパク質構造をもつことに着目し、どのように細胞内の化学信号(リン脂質)を操っているのか、そのメカニズムを明らかにしました。本研究はUCサンジエゴのJack E. Dixon教授との国際共同研究(ヒューマンフロンティアサイエンスプログラム)として行われました。6月2日(電子版)に公開された米国アカデミー紀要(PNAS)に発表されました。

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Ci-VSPのVSPとは、Voltage Sensor-containing Phosphatase(電位センサーをもつリン脂質脱リン酸化酵素)の略。岡村教授の研究グループが2005年に発見した、電気信号を化学信号に変換す るというユニークな特性をもつ膜タンパク質です。Ci-VSPは、がん抑制遺伝子として知られているPTENと良く似たタンパク質構造を持っています。ま た、PTENは細胞の増殖に関わるリン脂質PIP3を分解することで、がんの発生を抑えることが知られています。今回、研究グループは、がん抑制遺伝子 PTENとCi-VSPとを詳細に比較したところ、Ci-VSPは、PTENと似た構造をもちますが、リン脂質PIP3を分解するだけでなく、PIP2と 呼ばれる別のリン脂質も分解することを明らかにしました。

 

 

PTENとCi-VSP酵素の化学信号を伝える部分の違いは、たった一つのアミノ酸配列だけです。この違いから、PTENがどのようにリン脂質PIP3を分解し、がんの発生を抑えているのか、そのメカニズム解明にもつながるものとして期待されます。

Hirohide Iwasaki, Yoshimichi Murata, Youngjun Kim, Md Israil Hossain, Carolyn A. Worby, Jack E. Dixon, Thomas McCormack, Takehiko Sasaki, and Yasushi Okamura

今回の発見

海産動物ホヤの精子にあるCi-VSPという酵素は、がん抑制遺伝子PTEN*1と似た構造を持つが、化学信号「リン脂質」のPIP3を分解するだけでなく、PIP2*2と呼ばれる別のリン脂質も分解することができる。

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Ci-VSP酵素は、PTENと似ているが、PIP3だけでなく、PIP2にも作用する。
(C)鯉田孝和/生理学研究所

研究の背景

海産動物ホヤの精子にあるCi-VSP酵素とは?

岡村教授のグループが2005年に発見した電気信号をうけて化学信号に変換するユニークなタンパク質です(Natureに発表)。 Ci-VSPのVSPとは、Voltage Sensor-containing Phosphatase(電位センサーをもつリン脂質分解酵素)の略。プラス(脱分極)やマイナス(過分極)の電気信号をうけて化学信号「リン脂質」の量を調整していることを、これまでに明らかにしています。

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(これまでのCi-VSP酵素に関する岡村教授の研究グループの研究成果は、生理学研究所から記者発表され、中日新聞、読売新聞、日本経済新聞、日経産業新聞などで報道されました。)

この研究の社会的意義

  1. がん抑制遺伝子PTENのリン脂質PIP3に対する働き方が明らかになります。
    これまでの研究で、がん抑制遺伝子PTENは、リン脂質PIP3を分解し、がんの増殖を抑えていることは明らかになっていましたが、どこでどのようにして分解しているかまではわかっていませんでした。
    PTENとCi-VSPの酵素活性に重要なタンパク質構造の違いは、たった一つのアミノ酸配列だけです。この差から、PTENのPIP3に対する作用には、その違いのあるアミノ酸の部分が重要であることが明らかとなりました。
  2. がん抑制遺伝子PTENの作用を強める薬の開発などができます。
    (1)の通り、今回、PTENの作用に大切な部分が分かったので、その部分を対象とした薬の開発などの可能性が開けました。
  3. Ci-VSP酵素による精子の形や動きのメカニズムが明らかになります。
    これまでの岡村教授の研究から、Ci-VSP酵素は、ホヤの精子のしっぽにあり、精子の形や動きに関係していると考えられています。今回、化学信号「リン脂質」のPIP2がCi-VSP酵素によって分解されることが明らかになったことから、今後、このPIP2を介した仕組みによって、どのように精子の動きや形が変わるのか、研究が進むことが期待されます。

ことばの意味

がん抑制遺伝子PTEN※1 
がん抑制に働くがん抑制遺伝子の一つ。PIP3(下記参照)を分解することが知られている。
PIP3、PIP2※2 
細胞の中の化学信号「リン脂質」の一種。
PIP3とは、ホスファチジルイノシトール3リン酸の略。がんの発生やさまざまな代謝異常(糖尿病など)に関わっていることが知られている。
PIP2とは、ホスファチジルイノシトール2リン酸の略。精子のしっぽでは、精子の形や運動に関わっていることが知られている。