公開日 2012.11.27

脳の中のグリア細胞の働きで、運動学習が加速することを発見
―神経細胞とは異なるグリア細胞の活動を光で自在に操る技術を確立―

カテゴリ:プレスリリース
 生理学研究所・広報展開推進室
 

内容

我々の脳は、神経細胞の間を信号が行き交う過程を通して、高次機能を生み出しています。しかし、脳の容積の大半は、実は神経細胞ではなく、別の種類の細胞(グリア細胞)で満たされています。過去1世紀にもわたって、このグリア細胞というものは脳の高次機能に関わるとは想定されておらず、ただ、神経細胞を囲い、栄養補給などのサポートをするに過ぎない存在だと考えられてきました。その一方で、脳疾患の中には、神経細胞の異常だけでは説明できないものも見つかってきています(以前のプレスリリースを参照 #1)。今回、自然科学研究機構生理学研究所の松井 広(マツイ・コウ)助教らの研究グループは、光によってグリア細胞のみの働きを活性化させること(光操作)に成功。小脳のグリア細胞を光で刺激すると、運動学習が進むことが分かりました。この研究を通して、グリア細胞は神経細胞と密接に連絡を取り合っており、グリア細胞の働きで脳の機能が左右されることが示されました。米国科学アカデミー紀要(PNAS、11月26日の週に発行)に掲載されます。

今回、研究グループは、遺伝子改変技術を使い(以前のプレスリリースを参照 #2)、脳のグリア細胞の働きを、光で自在に操ることができるマウスを作り出しました。電気で細胞を刺激するといった従来の手法では、神経細胞の働きとグリア細胞の働きを区別できていませんでした。今回の方法では、生きたままのマウスの脳の中に、光を照らすだけで、グリア細胞だけを選り分けて刺激することが可能になりました。このマウスを使って、脳の中の小脳という場所にあるグリア細胞を光によって刺激したところ、刺激に応じて、そのグリア細胞からグルタミン酸が放出されることが分かりました。グルタミン酸は、神経細胞同士の連絡にも使われる伝達物質ですが、神経細胞の場合は、神経と神経とをつなげているシナプスというごく狭い場所でグルタミン酸の放出が起こります。それに対し、グリア細胞からの放出の場合は、付近一帯にグルタミン酸が広がることで、その辺りの神経回路の状態を変化させると考えられました。実際、今回の実験では、グリア細胞から放出されたグルタミン酸が、近くの神経細胞に届くと、シナプスが変化して、以後、このシナプスでの信号の伝わり方が変化することが分かりました。

さらに、研究グループは、グリア細胞を刺激したときの運動学習への影響を調べました。眼の前で動くものを眼で追うといった精密な眼球運動は、最初はうまくできないのですが、長い間の訓練によってだんだんうまくできるようになります。こういった運動学習は、小脳の働きによるものであることは知られています。今回、小脳のグリア細胞の活動を光操作したところ、こういった運動学習がより速く進み、マウスは眼の前で動くものをより良く追うことができるようになりました。

松井助教は、「今回の我々の研究を通して、グリア細胞の活動が脳神経の活動に影響を与えることが明らかになりました。脳の大半の容積を占めながら、脳内情報処理において役割があるとは全く想定されていなかったグリア細胞に今後さらに注目が集まることは必至でしょう。今回の研究手法を用いて、脳の機能や心の働きにおけるグリア細胞の役割がさらに解明できれば、グリア細胞の活動を制御することで様々な脳や心の病に対処しようという医薬品の開発も視野に入る可能性があります」と話しています。

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本研究は文部科学省科学研究費補助金の補助を受けて行われました。

参照(以前のプレスリリース)
#1 統合失調症の認知障害の原因に新説: 脳の電気信号の伝わり方が遅いことで症状発現(2009年7月)
http://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2009/07/post-10.html

#2 生きたままマウスの体の中の特定の細胞を狙い、その活動を"光"で操作(光操作)することができる遺伝子改変マウスを開発(2012年7月)
http://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/07/post-219.html

今回の発見

1.遺伝子改変技術を使い、脳のグリア細胞の働きを、光で自在に操ることができるマウスを作り出しました。
2.グリア細胞から放出されたグルタミン酸が、近くの神経細胞に届くと、シナプスが変化して、以後、このシナプスでの信号の伝わり方が変化することがわかりました。
3.小脳のグリア細胞の活動を光操作したところ、眼の運動学習がより速く進み、マウスは眼の前で動くものをより良く追うことができるようになりました。

図1 小脳のグリア細胞を光で操作することに成功

 

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光を感じて興奮するチャネロドプシンを、グリア細胞だけに発現する遺伝子改変マウスを作成。光ファイバーを用いて、小脳に青色の光を照らし、グリア細胞を活性化させることに成功しました。活性化したグリア細胞からはグルタミン酸が放出され、近くの神経細胞の活動が高まりました。上図は、神経細胞が活動したときのマーカー(青)で小脳組織を染めたものであり、光を照らした辺りで神経活動が上がっていたことを示しています。

図2 グリア細胞の働きで、近くの神経細胞のつながり(シナプス)が変化し、運動学習が進むことを発見

 

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グリア細胞を光刺激すると、グリア細胞から伝達物質であるグルタミン酸が放出されることがわかりました(左図)。これによって、グリア細胞が囲んでいる神経のつながり(シナプス)が変化し、右図のように、神経から神経への信号の伝わりが弱められることが分かりました。さらに、研究グループはそのときの運動学習を調べました。目の前で動くものを目で追うという精密な運動学習は、小脳の働きによるものであり、小脳のシナプスでの信号の伝わりが弱くなることで、より良く追うことができるようになると考えられています。左右に振れるスクリーンを追跡する眼球運動の振幅を測ったところ、グリア細胞をたった一度刺激するだけで、追跡の振幅が(下図の青色波形から緑色波形へと)大きくなり、運動学習が素早く進むことが示されました。

この研究の社会的意義

1.今回の研究で、グリア細胞を光刺激することで、学習が加速することがわかりました。グリア細胞の活動を何らかの方法で操作することで、効率的に学習を進める方法や、効果的に脳機能を向上させる手法が開発されることが期待できます。
2.たとえば、心のもっとも重要な機能のひとつとして意識が挙げられますが、この意識は、麻酔薬によって一時的に失われることが知られています。しかし、その作用機構は実は良く分かっていません。近年、麻酔薬を投与することによって、グリア細胞の活動が強く抑制されることが示されました。我々の研究では、グリア細胞の活動は神経の活動へと伝わることを示しています。これをあわせて考えると、グリア細胞の活動こそが心の状態を作り出す根源になっている可能性があります。これも、これまでの脳科学の考え方に転換を迫るパラダイム・シフトと言えます。
3.心に占めるグリア細胞の役割が解明できれば、グリア細胞の活動を制御することで、様々な心の病に対処しようという動きも生じ、グリア細胞をターゲットにした医薬品の開発も視野に入る可能性があります。

論文情報

Application of an optogenetic byway for perturbing neuronal activity via glial photostimulation
Takuya Sasaki, Kaoru Beppu, Kenji F. Tanaka, Yugo Fukazawa, Ryuichi Shigemoto, and Ko Matsui
米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America) 11月26日の週に電子版掲載

お問い合わせ先

<研究に関すること>
松井 広 (マツイ コウ)
自然科学研究機構 生理学研究所 脳形態解析研究部門 助教
TEL 0564-59-5279、FAX 0564-59-5275
E-mail: matsui@nips.ac.jp

<広報に関すること>
自然科学研究機構 生理学研究所 広報展開推進室
TEL 0564-55-7722、FAX 0564-55-7721
E-mail: pub-adm@nips.ac.jp