
体の「痛い」を脳から治す
―疼痛関連神経回路をターゲットとした神経障害性疼痛の新たな治療戦略―
内容
神経障害性疼痛1)は耐えがたい痛みが続く難治性疾患です。しかしその治療法は確立されていませんでした。今回、自然科学研究機構 生理学研究所の鍋倉淳一所長、名古屋大学医学研究科分子細胞学竹田育子助教(研究当時:生理学研究所 研究員)、九州大学大学院薬学研究院津田誠教授、山梨大学医学部薬理学講座小泉修一教授および北里大学医療衛生学部江藤圭講師らの研究グループは、神経障害性疼痛の新たな治療戦略を明らかにしました。本研究結果は、Nature Communications誌(2022年7月14日号)に掲載されました。 |
神経障害性疼痛(慢性疼痛)は急性疾患後に耐えがたい痛みが続く難治性疾患です。通常、触覚を伝える神経回路と痛覚を伝える神経回路は分かれていますが、神経障害性疼痛では、外傷、糖尿病、ヘルペスウイルスなど様々な原因により末梢神経が障害を受けることで神経回路の編成が起こり、触っただけで痛いと感じる痛覚関連神経回路が形成されてしまっている状態と考えられています。通常の鎮痛薬では効果が乏しく、リハビリテーションや経頭蓋直流電気刺激などを組み合わせた治療が行われているものの、その根治療法は未だ確立されていません。
鍋倉グループは脳内の細胞の一種であるアストロサイト2)(グリア細胞)に注目し、新たな治療法の開発に取り組みました。アストロサイトはシナプス3)の形成・除去に作用し、神経回路を組み換えるために重要であると考えられています。本研究では、神経障害性疼痛モデルマウスにおいて末梢神経からの疼痛入力を薬剤で一過性に抑えた状態で、一次体性感覚野4)のアストロサイトを経頭蓋直流電気刺激5)や人工的受容体の一種であるDREADD(Designer Receptors Exclusively Activated by Designer Drugs)6)により人為的に活性化させました。その結果、治療中のみならず治療後長期間に渡って疼痛改善効果の持続が確認されました。
この作用機序を神経回路の観点から探ったところ、アストロサイトの活性化により、一次体性感覚野の神経回路のつなぎ目であるスパインが除去されていること、特に疼痛形成の時期にできたスパインが除去されやすいことが明らかになりました。この結果から、疼痛入力を抑制した状態でアストロサイトを活性化させると、疼痛関連スパインが除去され、疼痛関連回路の編成組み換えが起こっていることが示唆されました。組み換えられた一次体性感覚野の神経回路は異痛症(アロディニア)7)を起こさない回路になっていると考えられます。
鍋倉所長は「今回の研究で、痛みに関連した神経回路が人為的操作により組みかわり、回路の編成により痛みが治癒することがわかりました。現在、臨床医療において慢性疼痛の治療に使われている薬剤投与と経頭蓋直流電気刺激という2つの手法を組み合わせることによって、より効率的に痛覚過敏を除去できる可能性を示すことができました。個別には既に臨床医療において用いられている手法なので、近い将来、人に応用可能な治療法の開発につながる成果だと期待できます。」と話しています。
本研究は日本学術振興会(JSPS)科学研究費 基盤(A)、若手、国際共同研究加速基金、AMED-CREST、武田科学財団、堀科学芸術振興財団の補助を受けて行われました。
用語説明
1) 神経障害性疼痛(慢性疼痛)けがなどが完治した後も痛みが慢性的に続く状態を慢性疼痛と呼びます。その中で感覚神経の障害によって引き起こされる慢性的な疼痛を神経障害性疼痛と呼びます。原因は外傷、糖尿病、ヘルペスウイルスなど多種多様であり、原因疾患が治癒後も痛みのみが続く場合があり、通常の鎮痛薬では効果が乏しく、多くの患者さんが本疾患で苦しんでいます。痛みの性状として痛覚過敏、自発痛、そしてアロディニアが挙げられます。
2) アストロサイト
中枢神経系に存在するグリア細胞の一種。神経細胞を補助する作用が知られていましたが、近年はシナプスの形成・除去に作用し、神経回路を組み換える作用が注目されています。
3) シナプス
神経細胞同士のつなぎ目。シナプスにより情報が伝達されます。
4) 一次体性感覚野
大脳皮質の一部で、末梢からの触覚や疼痛などの感覚情報を処理する部位。末梢神経障害時には神経回路の編成を起こすことが示されています。
5) 経頭蓋直流電気刺激
頭蓋骨の上から微弱な直流電流を流して脳を刺激する方法。うつ病などの治療に用いられています。アストロサイトの活動を起こすには更に微弱な電流での刺激となります。
6) DREADD
人工的な受容体で、内在性の物質には反応せず、人工的に合成された特定の物質のみに反応するように作られています。
7) 異痛症(アロディニア)
触刺激(触った等)が痛みとして感じられる状態。
今回の発見
- 慢性疼痛に対して一次体性感覚野アストロサイトの活動を人為的に操作する治療法を確立。
- アストロサイトを活性化させることで、疼痛関連のスパインが除去され、痛覚過敏を起こさない神経回路への組み換えができることを明らかにした。
図1 アストロサイト活動操作治療における作用機序の模式図

図左:通常のマウスでは触覚回路と痛覚回路が分かれているが、末梢神経を障害することで神経回路の編成が起こり、痛覚関連神経回路が形成される。
図右:痛覚関連神経回路は触刺激により痛みを誘導するが、末梢からの痛みの入力を抑制した上で一次体性感覚野のアストロサイトを活動させると、触刺激により痛みの誘導が起こらなくなる。この作用機序として疼痛関連神経回路の形成時期に形成されたスパインを多く除去し、疼痛関連神経回路から新たな回路への組み換えが示唆される。
この研究の社会的意義
慢性疼痛の新しい治療戦略の提唱本研究により難治性の疼痛に対してのアストロサイトの活動操作により神経回路を組み換える新たな治療戦略を確立しました。これらは臨床応用可能な方法を用いており、人への治療応用が期待されます。
論文情報
Controlled activation of cortical astrocytes modulates neuropathic pain-like behaviourIkuko Takeda, Kohei Yoshihara, Dennis L. Cheung, Tomoko Kobayashi, Masakazu Agetsuma, Makoto Tsuda, Kei Eto, Schuichi Koizumi, Hiroaki Wake, Andrew J. Moorhouse, Junichi Nabekura
Nature Communications. 2022年 7月14日
doi.org/10.1038/s41467-022-31773-8
お問い合わせ
<研究について>自然科学研究機構 生理学研究所
所長 鍋倉 淳一(ナベクラ ジュンイチ)
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自然科学研究機構 生理学研究所 研究力強化戦略室
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