6発達生理学研究系

6.1認知行動発達機構研究部門

当部門では、手指の巧緻運動と眼球のサッケード運動を制御する神経回路機構とその部分的損傷の後の機能代償機構について研究を行っている。特に前者については、マカクザルを用いて、頚髄レベルで皮質脊髄路を損傷した際に、手指の精密把持運動は一次的に損傷を受けるが訓練によって2-3週から1-3ヶ月で回復するというモデルを用い、その機能回復に関わる大脳皮質などの上位中枢の関与、脊髄レベルでの神経回路の再編などについてPET(陽電子断層撮影装置)による脳機能イメージング、電気生理学、行動の解析、神経解剖学的手法、さらには遺伝子発現の網羅的検索などを組み合わせて研究している。一方、後者のサッケード運動系については、その制御の中核を担う中脳上丘の局所神経回路をスライス標本を用いて解析するとともに、覚醒マウスのサッケード運動の解析、さらには覚醒マカクザルにおいてサッケード運動に反映される注意や意識などの認知機能の神経基盤の解明を目的とする研究を行っている。以下に2007年に発表した主要な発表論文の概要を記す。

1. Nishimura Y, Onoe T, Morichika Y, Perfiliev S, Tsukada H, Isa T (2007) Time-dependent central compensatory mechanism of finger dexterity after spinal-cord injury. Science 318: 1150-1155.

大脳皮質の運動野からの主たる運動指令の出力システムである皮質脊髄路は反対側の脊髄側索背側部を下行し、ヒトやサルなどの霊長類においては運動ニューロンと直接結合する。これまで、皮質脊髄路を損傷されたサルにおいて親指と第二指の対立把持で小さな物体をつまむ「精密把持」が永久に失われるといった所見などから、皮質脊髄路と運動ニューロンの間の直接結合が霊長類における手指の巧緻性の基盤であると考えられてきた。しかし、最近我々は霊長類において皮質脊髄路から運動ニューロンに至る経路には、直接経路の他に、運動ニューロンより吻側の頚髄C3-C4髄節に存在する中継ニューロンを介する間接的な経路が存在することを明らかにした。これら間接経路が脊髄の白質内で皮質脊髄路とは異なる部位を走行することから、間接経路は残して直接経路のみを選択的に切断して、サルの行動を観察した。すると切断後手指の精密把持運動は一過性に障害されるが、訓練によって1-3ヶ月以内にはほぼ完全に回復することが明らかになった。このような回復過程は脳による学習であると考え、機能回復の際の大脳などの上位中枢の活動様式に変化をPETによるイメージングによって解析した。3頭のサルでの解析結果から、損傷後の回復初期(1ヶ月前後)においては両側の一次運動野の活動が増加すること、そしてそれに対して回復過程が安定してくる3ヵ月後では同側の一次運動野の活動増加は消失する一方で反対側の一次運動野の活動領域が増大、さらに両側の運動前野の活動が増加することが明らかになった。さらにこれらの活動領域が実際に機能回復に貢献しているかどうかを明らかにするためにこれらの領域にムシモルを微量注入して効果を調べたところ、回復してきた精密把持運動に障害が見られたことから、これらの領域が実際に機能回復に寄与していることが証明された。

2. Lee PH, Sooksawate T, Yanagawa Y, Isa K, Isa T, Hall WC (2007) Identity of a pathway for saccadic suppression. Proc Natl Acad Sci USA 104: 6824-6827.

本研究において、我々は上丘からのサッケード運動指令の出力層である中間層に存在する抑制性ニューロンが直接、浅層の視覚系視床への投射細胞を抑制することが明らかにした。まずSooksawate、伊佐らは、柳川らによって作成された、GABA作動性ニューロンがGFP蛍光を発するGAD67 GFP ノックインマウスの上丘のスライス標本を作製し、中間層においてGABA作動性ニューロンからホールセル記録を行い、細胞内にバイオサイチンを注入し、細胞の形態を解析したところ、一部のニューロンは浅層に向けて軸索を投射し、そこで終止していることを明らかにした。そこでLeeとHallは中間層のニューロンの細胞体ないしは樹状突起をケージドグルタミン酸のレーザー光によるアンケージング法によって選択的に刺激、活性化したところ、その背側部の浅層において、動きの情報を検出し、視覚系視床へ投射することが知られているwide field vertical cellにおいてGABAA受容体を介する抑制性シナプス電流が検出された。しかし一方、興奮性シナプス電流はほとんど観察されなかった。このようにして洗練された遺伝子改変及び電気生理学的実験技術と高解像度の神経細胞の染色法の組み合わせによって、これまで明らかでなかった上丘中間層から浅層出力細胞への抑制性経路を初めて明確に示された。サッケード遂行中に網膜上に生じる物体の動きの視覚刺激がさらにサッケードを誘発することはないが、本研究はこのような「サッケード抑制」が、運動出力系が内部フィードバック経路によって視覚入力を比較的初期の段階で抑制することによって実現されていることを強く示唆するものである

6.2生体恒常機能発達機構研究部門

当部門では、発達期および障害回復期における神経回路機能の再編成機構の解明を主なテーマに研究を行っている。本年度は主に以下の2項目を中心に研究を推進した。

  1. 抑制性神経回路機能の発達および障害による変化。GABAおよびグリシン作動性回路の発達、抑制性回路再編成制御因子の発達変化、および細胞内クロールイオン調節機構の発達・障害による変化と機能発現機構。
  2. 多光子顕微鏡を用いたin vivoイメージング法による発達・障害回復にともなう大脳皮質回路変化の観察。

1. 抑制性神経回路の発達および障害における変化

音源定位に係わる聴覚中性路核である聴覚中継路外側上オリーブ核には、同側内耳音情報がグルタミン酸作動性として、反側音情報を未熟期にはGABAとして入力しており、発達とともにグリシンへとスイッチする。幼若期には、外側上オリーブ核神経細胞自体、および抑制性入力神経終末にはGABAB受容体および代謝型グルタミン酸受容体が機能的に発現している。発達に伴い減少し、聴覚発生後ラットでは、両部位からGABAB受容体機能が消失する。伝達物質のGABAからグリシンへのスイッチングの意義の解明のため、幼若期にのみGABAB受容体が発現している意義について、GABAB受容体ノックアウト動物を用いて検討を行っている。また、未熟期において、興奮性入力から放出されたグルタミン酸によって、ヘテロシナプス的に抑制性終末に存在する代謝型グルタミン酸型が活性化し、GABA/グリシン放出を抑制する。この抑制は発達とともに、終末の代謝型グルタミン酸型の発現消失によって減少・消失する。これは、タイミングが重要な音源定位機能回路の特性を獲得することが考えられる (Nishimaki et al. Eur J Neurosci 2007)。

シナプス後細胞における抑制性シナプス応答制御である細胞内クロールイオン濃度調節主要因子であるカリウムークロール共役担体(KCC2、神経細胞内クロールイオンくみ出し分子)は、傷害、酸化ストレス、脳由来成長因子や神経細胞の過剰興奮負荷によって、急速な機能消失が起こる。これはKCC2の脱リン酸化によって、まず細胞膜表面の発現が消失し、その後蛋白発現自体が時間単位で消失する。そのため、GABAは障害後早期から神経細胞に脱分極を引き起こす。KCC2を過剰発現した細胞では、各種障害後に細胞死が抑制されたことから、KCC2機能消失は細胞死を促進する可能性がある(Wake et al. J Neurosci 2007)。現在, KCC2細胞膜局在と機能連関について検討を加えている。

2. 多光子顕微鏡を用いたin vivoイメージング法による発達・障害回復にともなう大脳皮質回路変化の観察

高出力近赤外線超短パスルレーザーを利用した多光子励起法を生体に適用して、生きたマウスの脳内微細構造および細胞活動の観察法を確立した。さらに、レーザー光路、光学導入系の改良、レーザー導入のための生体マウス頭蓋骨アダプターの改良を行い、各種細胞に蛍光蛋白が発現している遺伝子改変マウス大脳皮質において、大脳表面から1 mm以上の深部の大脳皮質全層にわたる全体像、さらには1 μm以下の微細構造の安定したイメージング取得に成功している。また、同一微細構造の長期間観察を試み、現在マウスにおいて2カ月までの繰り返し観察することが可能となった。また、細胞活動をカルシウム動態として生体内で観察している。この技術を利用して、現在、1)ミクログリアによるシナプス監視動態、および急性脳障害時における変化、2)ミクログリアの障害部位への突起伸展と遊走、3)未熟期における大脳GABAニューロンの細胞移動の観察、4)障害時おけるスパイン構造の変化などを、生体内で観察している。順次、論文として発表していく予定である。

6.3生殖・内分泌系発達機構研究部門

当研究部門では、生体恒常性維持に関わる視床下部の調節機能、レプチンやアディポネクチンの代謝調節作用に焦点を当て研究を行っている。以下、2007年の主要な発表論文の内容を記す。

1. AMPキナーゼ(AMPK)活性を調節するレプチンの作用とその伝達機構

レプチンが、レプチン受容体を介してα2AMPKを活性化し、脂肪酸酸化を促進することを、骨格筋細胞株C2C12細胞を用いて証明した。またβ2サブユニットを持つα2AMPKが、活性化すると核に移行してPPARαなど脂肪酸代謝関連遺伝子の発現を高めることを見出した。これに対して、β1サブユニットを持つα2AMPKはミリストイル化によってミトコンドリア膜に留まり、ミトコンドリアにおいて脂肪酸酸化を促進することを見出した(Suzuki A et al. Mol Cell Biol 27:4317-4327, 2007)。

2. 骨格筋AMPK活性に及ぼす脳内メラノコルチン受容体の調節作用

私どもはこれまでに、レプチンが視床下部-交感神経系を介して骨格筋のAMPKを活性化し、その結果脂肪酸酸化を促進して骨格筋での過剰な脂肪の蓄積を防ぐことを明らかにしている。今回、このレプチンの作用に脳内メラノコルチン受容体が関与することを見出した。また、その作用はレプチンと異なり、レプチン抵抗性を持つ肥満マウスにおいても正常に機能することを見出した(Tanaka T et al. Cell Metabolism 5:395-402, 2007)。

3. 視床下部AMPK活性と摂食行動に及ぼすアディポネクチンの調節作用

脂肪細胞産生ホルモンであるアディポネクチンが、視床下部に調節作用を及ぼしてAMPKを活性化し、摂食量を亢進させることを明らかにした(Kubota N et al. Cell Metabolism 6:1-14, 207)。

4. 摂食調節神経回路の発達に及ぼす転写因子Dmbx1の調節作用

AgRPは、摂食を強力に促進する視床下部神経ペプチドである。AgRPの摂食促進作用が成長後正常に作動するためには、転写因子Dmbx1が胎生期に脳幹において一過性に発現することが必須であることを見出した。(Fujimoto W et al. Proc Natl Acad Sci USA 104:15514-15519, 2007)。