1 生理学研究所の現状ならびに将来計画

1.1 生理学研究所の現況

生理学研究所は人体基礎生理学研究機関として全国唯一のものであり、人体の生命活動の総合的な解明を究極の目標としている。ここでは分子から細胞、器官、システム、個体にわたる各レベルにおいて先導的な研究を行うと共に、それらのレベルを有機的に統合する研究を行うことを使命としている。

2007年度より岡田泰伸が所長を務めており、2010年度で第1期の任期を終えるが、再任が決まり2012年度まで引き続き務めることになった。岡田所長により生理学研究所の使命が見直され、より詳細に以下の3つに絞られた。

  1. 世界トップレベル研究推進:生理学研究所は、分子から細胞、組織、器官、そしてシステム、個体にわたる各レベルにおいて先導的な研究、世界トップレベルの研究をすると共に、それら各レベルにおける研究成果を有機的に統合し、生体の働き(機能)とその仕組み(機構:メカニズム)を解明することを第1の使命とする。この第1の使命の遂行・達成こそが、次の第2、第3の使命の達成のための前提条件となる。
  2. 共同利用研究推進:生理学研究所は、全国の国公私立大学をはじめとする国内外の他研究機関との間で共同研究を推進するとともに、配備されている最先端研究施設・設備・データベース・研究技術・会議用施設等を全国的な共同利用に供することを第2の使命とする。その共同利用・共同研究推進のために多彩なプログラムを用意する。
  3. 若手研究者育成・発掘:生理学研究所は総合研究大学院大学・生命科学研究科・生理科学専攻の担当や、トレーニングコースや各種教育講座の開催によって、国際的な生理科学研究者へと大学院生や若手研究者を育成すること、そして全国の大学・研究機関へと人材供給すること、更には人体の働き(機能)とその仕組み(メカニズム)についての初等・中等教育パートナー活動や学術情報発信活動によって未来の若手研究者を発掘することを第3の使命とする。

これらの使命をすべて全うするためには、現在の部門・施設数やスタッフ数ではもちろん充分とはいえないが、限られた力を有機的に発揮することによって能率よく目的達成を果たすことの出来る研究組織体制を(改組を適宜行いながら)作るようにしている。

生理学研究所の研究教育活動の概況

現在の生理学研究所の活動状況を上記の使命ごとに要約した。

1) 生理学研究所は分子から個体に至る各レベルでの研究者を擁し、人体の機能とそのメカニズムに関する国際的トップレベルの研究を展開し、先導的研究機関としての使命を果している。その研究の質の高さは、生理学研究所がカバーする生物学・医学分野や神経科学分野において総研大(その神経科学研究室の殆どは生理研)と生理研(全体)が大学ランキングの第1、2位にを占めていることからも伺える(朝日新聞出版発行の「2011年度大学ランキング」より引用)。また、生理学研究所の科学研究費補助金(科研費)採択率もトップクラスである。

さらに、生理学研究所は文科省国立大学法人評価委員会により、生理研の研究活動の状況は「期待される水準を大きく上回る」と評価された(2009年3月 国立大学法人評価委員会「第一期中期目標・中期計画評価」)。

現在在籍している専任教授16名の内で、何らかの形で脳・神経の研究に携わるものは15名、バイオ分子センサーの研究に携わるものは11名であり、この2つを主軸にして研究が進行している。生理学研究所は特定領域研究「細胞感覚」を中核的に推進し、また特定領域研究「統合脳」(2010(平成22)年3月終了)や「神経グリア回路網(2008(平成20)年3月終了)」においても重要な役割を果たし、これらの研究分野の形成・発展に貢献してきた。このように最先端の実験装置・技術を配備・駆使しながら優れた生理科学研究を行う世界的トップランナーであり続けることが、大学共同利用機関としてのミッションを真に果たしていくための前提要件である。

2)生理学研究所の大学共同利用機関としての使命は、次のように多様な形で果されている。

第1に、世界唯一の生物専用の超高圧電子顕微鏡や、脳科学研究用に特化改良された全頭型の脳磁計、またヒトや実験動物において計測可能な3テスラ磁気共鳴装置である機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)など、他の機関には配備されていないような優れた特徴をもつ最高度大型機器を多数(2009年度35件、2010年度46件公募採択)の「共同利用実験」に供している。また、2009年度の補正予算で、同時計測用高磁場磁気共鳴画像装置(dual fMRI)が導入できたので、本年度より現有fMRIとともに共同利用実験に供している。このことにより、現有機をさらに動物用に共同利用する機会を増やすことができた。さらに、岡崎統合バイオサイエンスセンターから申請していた500 kV位相差低温トモグラフィーも2009年度補正予算で導入できたので、岡崎統合バイオサイエンスセンターと協調して共同利用研究に供している。

第2には、世界最高深部における生体内リアルタイム微小形態観察を可能とした2光子励起レーザ顕微鏡や、無固定・無染色氷包埋標本の超微小形態観察を世界で初めて可能とした極低温位相差電子顕微鏡などの装置と、生理学研究所自らが開発した高度の研究技術を中核に、多数(2009年度74件、2010年度75件の公募採択)の「一般共同研究」および各種「計画共同研究」(遺伝子操作モデル動物の生理学的、神経科学的研究; バイオ分子センサーと生理機能; 位相差低温電子顕微鏡の医学・生物学応用; 多光子励起法を用いた細胞機能・形態の可視化解析; マウス・ラットの行動様式解析; 近赤外線トポグラフィーを用いた脳機能解析)に供している。またコミュニティからの強い要望に応えて、2011年度から新たな計画共同研究「マウス・ラットの代謝生理機能解析」を開始する。加えて、「日米科学技術協力事業脳研究分野(日米脳)共同研究」の日本側中核機関として、主体的に参加すると共に、全国の研究機関と米国研究機関との共同研究(毎年7--8件)を共同利用的に支援している。

第3には、「行動・代謝分子解析センター」の「遺伝子改変動物作製室」において、遺伝子改変マウスやラットを「遺伝子改変動物計画共同研究」(2009年度5件、2010年度4件公募採択)に供している。更には、「ニホンザル・ナショナルバイオリソースプロジェクト」の中核機関を2002年度より担当し、実験動物としてのニホンザルを全国の実験研究者に供給することを2006年度より開始している。このプロジェクトは2007年度からさらに5年間更新され、供給数を増加させる体制も整った。実績として2008年度には51頭、2009年度には66頭供給を行った。しかし、2010年度については京都大学霊長類研究所で明らかになったニホンザルの「血小板減少症」による死亡が多発した件について原因究明がなされるまで供給を一次停止していたため、26頭のみの供給となった。しかし、2011年度については検査体制が整ってきたので、これまで供給事業をさらに拡大させたかたちで実施できる見込みである。

第4には、研究会やシンポジウム開催のための「岡崎コンファレンスセンター」をはじめとする各種会議室、および岡崎共同利用研究者宿泊施設(「三島ロッジ」と「明大寺ロッジ」)をフル稼働させて、多数(2009年度25件、2010年度22件公募採択)の「研究会」を全国の大学・研究機関の研究者からの希望を募って開催している。これらを通じて全国的な共同利用・共同研究の促進をはかり、新たな研究分野の創出や特定領域研究の立ち上げなどを生み出してきた。特に2008年度からは新たに国際研究集会を発足させ、公募による研究会の国際化も図った。2008年度から毎年1件づつ開催した。

第5には、最新の生理科学研究・教育情報を生理研ホームページから発信し、高い国民からのアクセス数(2009年度2766万件、2010年度も推計3000万件)を得ている。2007年度より広報展開推進室を立ち上げ、准教授を1名採用し、広報アウトリーチ活動を積極的に展開している。具体的には、科学冊子「せいりけんニュース」の発行(8500部を隔月で無料配布)、岡崎市保健所と連携した「せいりけん市民講座」、医師会・歯科医師会における学術講演会、中学校等への出前授業、小中学校教員むけの国研セミナーや、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)への協力などを行っており、こうした活動を通じて、市民・医師・歯科医師・小中学校教師・小中高校生に対する学術情報発信につとめている。2008年には広報展示室を開設、年間500名を超える市民や小中高校生の見学の受け入れを行っている。また、2010年には、中高校生向けの理科教材「マッスルセンサー(簡易筋電位検知装置)」を開発、「体の動く仕組み」の体験教材として教育現場で広く活用されている。

3)総合研究大学院大学生命科学研究科生理科学専攻を担当する生理学研究所は、国際的に第一線の生理科学研究者を育成・供給する使命を果している。ちなみに、2009年度は21名の学位取得者を生み、今年度も10名が取得した。毎年2~3名の留学生の入学があるが、従来国費留学生枠で入学する者がほとんどであった。しかし、生理学研究所が独自に留学生のサポートを強化したことに伴い、その数が増加した。本年度の留学生は、2011年度入学に対して応募者数11名、その内合格者数は6名であった。これらの留学生は課程修了後、生理学研究所のみならず国内外の研究機関に職を得て国際的生理科学研究者への道を歩んでいる。生理学研究所は、他大学からの大学院生の教育・指導も多数受け持っている。また、生理学研究所では若手生理科学研究者の育成にも重点を置いており、生理科学研究者のキャリアパスの場としても重要な役割を果たしている。また、生理科学専攻が主体となって総合研究大学院大学より申請した運営費交付金特別経費において、「脳科学研究の社会的活用と人間倫理の双方を見据えることができる分野横断的な研究者の養成」が本年度より認められた。これを受けて「脳科学専攻間融合プログラム」を開始し、様々な専攻が一緒になって脳科学およびその関連領域分野の講義を行なった。これには生理科学専攻以外の大学院生も参加した。脳科学は今後幅広い知識を有する人材を育成しなければならないため、このような取組みは注目されている。

生理学研究所は内部昇進を基本的に認めておらず、大学院生だけではなく若い研究者をも育成して他大学等に転出させている。2009年度および本年度ともに1人の准教授を教授として、また2009年度5人、今年度3人の助教を准教授もしくは講師として転出させた。助教が全員で31名しかいないことを考慮すると、現状況においては著しい成果であると言えよう。さらには、毎夏「生理科学実験技術トレーニングコース」を開催し、毎回約150名の若手研究者・大学院生・学部学生に対して多種の実験技術の教育・指導を行うなど、全国の若手研究者の育成に種々の形で取り組んでいる。2008年度から新設した多次元共同脳科学推進センターにおいても多次元トレーニング&レクチャー「運動制御回路の構造と機能」講義を開催し、若手脳科学研究者に幅広い知識をつける領域横断的な講義を行なっている。さらに、今年度はNeuro2010連携レクチャー:「In vivo細胞機能計測・操作技術」を開催し、専門分野が少し違う学会発表に対して質問できる人材を育成した。

組織図
図1. 現在の生理学研究所組織図

現在の管理体制

生理学研究所の管理運営は、所長が運営会議(所外及び所内委員より構成)に諮問し、その答申を得ながらリーダーシップを発揮して執り行っている。その実施の役割分担を2007度より改組し、予算と企画立案を担当する1名の副所長と、点検評価と労務管理を担当する1名の研究総主幹、また共同研究担当、学術情報発信担当、動物実験問題担当、安全衛生・研究倫理担当、教育担当の5名の主幹がその任にあたっている。今年度は総合研究大学院大学の脳科学専攻間融合プログラムを担当する主幹を新設した。研究所の運営、研究及び教育等の状況については、自己点検・評価及び外部評価を行い、研究所の活性化を図っている。

運営会議では、点検評価委員会を設置し、評価を実施している。その実施の責任者には、研究総主幹があたっている。この点検評価報告書に基づき、所長は副所長と協議の上、問題点の解決にむけた企画・立案作業を進め、運営会議に諮りながら所長のリーダーシップのもとに評価結果を活かした管理運営を行っている。

点検評価においてはそのための資料の整理蓄積が重要であり、2007度これを強化するため点検連携資料室を設置した(研究総主幹が室長を併任)。また、点検評価結果を中期計画や年度計画に更に強力に反映させていくために、常設の企画立案委員会を設置している。副所長が委員長を務めている。

現在の研究組織体制

国立大学法人法(平成15年法律第112号)の施行により、「大学共同利用機関法人」が2004年4月より設立され、生理学研究所は国立天文台、核融合科学研究所、基礎生物学研究所、分子科学研究所と共に自然科学研究機構を構成している。

生理学研究所の研究組織体制は、2008年度「多次元共同脳科学推進センター」を新設・改組して図1のような体制となっている。本センターの活動は後ほど詳細に報告する。2005年に新設した「行動・代謝分子解析センター」は生理学研究所における遺伝子改変動物について、神経活動や代謝活動などのデータに基づいて行動様式を解析するとともに、同センターが管理する施設・設備・動物を研究所内外の研究者の共同利用に供することを目的にしている。2005年度に「遺伝子改変動物作製室」、2009年度には「行動様式解析室」、本年度に「代謝生理解析室」を立上げた。これで当初予定していた全室が揃い共同利用体制が整った。遺伝子改変動物作製室では遺伝子改変マウスのみならず遺伝子改変ラットを作製し、計画共同研究「遺伝子操作モデル動物の生理学的、神経科学的研究」を通じて全国大学共同利用に供している。また、行動様式解析室ではマウスの行動様式を多角的・定量的に解析しているが、2009年度より計画共同研究「マウス・ラットの行動様式解析」を担当している。今年度立ち上がった「代謝生理解析室」は、現在行われている遺伝子改変動物の行動解析とともに、その動物の代謝、生理機能を解析することによって、標的遺伝子の機能と行動変異の関連を明らかにする。2011年度より計画共同研究「マウス・ラットの代謝生理機能解析」を担当する。

常勤職員としては所長1、専任教授17、准教授20、助教36、技術職員29、計103のポストがあり、現在選考中の教授・准教授・助教若干名をのぞき、殆どのポストが充足している。更に2005年度から、数名の特任助教を、2007年度から特任准教授を、2008年度より「多次元共同脳科学推進センター」に特任教授を採用し、目的に特化した人事を行っている。

技術課は課長の下に研究系と研究施設を担当する2つの班で構成され、課員は各研究部門・施設・センターに出向して技術支援を行うと共に、課として研究所全般の行事の支援や労働安全衛生に力を注ぎ、全国の技術者の交流事業の中核を担っている。

現在の財務状況

自然科学研究機構への2010年度の運営費交付金の予算配分額は、5研究所、本部、特別経費(旧特別教育研究経費)を合わせて29,577,000千円であり、その内生理学研究所へは総計1,316,459千円の配分があった。運営費交付金の人件費と物件費には税収減に伴う臨時的削減として1%の減額がなされた。また、特別経費(旧特別教育研究経費)については総額で昨年度より17%の減額のうえ全て一般経費に組替えられ、運営費交付金全体として28,031千円の減額となった。

ここ2年間の運営費交付金に占める常勤職員人件費の割合は58%であり、非常勤職員人件費をあわせると人件費が71%を占めた。(実際には各種外部資金や総合研究大学院大学運営費交付金からも非常勤職員人件費が支出されているので、人件費総額は更に大きなものとなる。)

総合研究大学院大学の2010年度運営費交付金からの生理学研究所への配分は57,382千円であり、これらはすべて(大学院生の研究費以外の)大学院教育関係経費に支出された。特に、RA経費として2010年度に18,851千円を配分した。

競争的資金

2010年度の外部資金の獲得状況は、寄付金17件、科学研究費補助金(厚生労働科研費含む)125件、受託研究17件(文部科学省4件、科学技術振興機構12件、その他1件)、共同研究19件、受託事業3件、研究開発施設共用等促進費補助金が3件である。なお、生理学研究所(統合バイオを除く)の2010年度の新規科研費の採択率は36.4%であった。(獲得件数は1月現在)

概算要求

特別経費の要求(概算要求)は継続事項として、①生理学研究所に全国の異分野研究者が参加し、共通の目標に向かって研究と教育を行うネットワーク機構を構築し、研究プロジェクトを推進するとともに人材養成を行うことを目的とした「脳科学推進のための異分野連携研究開発・教育中核拠点の形成」、新規事業として、②超高圧電子顕微鏡、生理動態画像解析装置(fMRI)、SQUID生体磁気測定システム(MEG)、多光子レーザー顕微鏡及び近赤外線分光法に関わる実験経費としての「統合ニューロイメージングシステムによる生体機能解析共同利用実験」、③日米脳科学共同研究に関わる「日米科学技術協力による脳機能の要素的基礎と統合機構の解明」の3事業について要求したところ、全て採択されたが2010年度より一般経費化され、総額で昨年度より17%を減額されたものとなった。その他に、自然科学研究機構全体から申請された「自然科学における国際的学術共同研究拠点の形成」が新たに採択され、その中で生理学研究所は「脳神経情報の階層的研究」と「機能生命科学における揺らぎと決定」の2事業を担っている。また、他の研究所が担っている事業にも生理学研究所の多くの研究者が参加している。

1.2 生理学研究所における研究の当面の柱

生理学研究所はその第1の使命「世界トップレベル研究推進」を果たすために、当面の間、次の6つを柱にして脳と人体の機能と仕組みの基礎的研究を推進していく(図2参照)。


図2. 研究の柱

1)機能分子動作・制御機構解明
―主として分子・細胞レベルの研究によって分子・超分子から細胞への統合を―}

すべての細胞の働き(機能)は分子群の働きとそれらの協同によって支えられており、生理学研究所では、その詳細の解明を目指している。

特に、チャネル、レセプター、センサー、酵素などの機能タンパク質と、それらの分子複合体(超分子)の構造と機能及びその動作・制御メカニズムを解析し、細胞機能へと統合し、それらの異常・破綻による病態や細胞死メカニズムを解明する。また、神経系細胞の分化・移動や脳構造形成などに関与する機能分子を見いだし、その動作メカニズムを解明する。また、その分子異常による病態を明らかにする。

2)生体恒常性維持・脳神経情報処理機構解明
―主としてマウス・ラットを用いた研究によって細胞から組織・器官・個体への統合を―

生体恒常性維持と脳神経情報処理の働きは、不可分の関係を持ちながら人体の働きにおいて最も重要な役割を果たしている。それゆえ、生理学研究所ではそれらのメカニズムの解明に、最も大きな力を注いでいる。

特に、疼痛関連行動、摂食行動、睡眠・覚醒と体温・代謝調節などの生体恒常性維持の遺伝子基盤及びそれらの環境依存性・発達・適応(異常)の解析を、そしてシナプス伝達機構とその可塑性や、神経回路網の基本的情報処理機構とその発達、およびニューロ-グリア-血管ネットワーク連関などの解析から、脳の可塑性(とその異常による病態)の解明を、主としてマウスとラットを用いて行う。

3)認知行動機構解明
―主としてニホンザルを用いた研究によって脳と他器官の相互作用から個体への統合を―
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ヒトの脳機能の多くと相同性を示すのは、ニホンザルなどのマカクザル以上の霊長類であり、生理学研究所はニホンザルを用いての脳研究に力を入れている。 特に、視覚、聴覚、嗅覚、他者の認知、注意や随意運動などの認知行動機能の解明には、ニホンザル(などのマカクザル)を用いた脳と他の感覚器官や運動器官との相互関係に関する研究が不可欠である。これらは、パーキンソン病をはじめとする神経難病の病態解明や、脊髄や大脳皮質一次視覚野の損傷後の回復機構の解明や、ブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)の基盤技術の開発につながる基礎研究となる。脳機能(ソフトウエア)と脳構造(ハードウエア)の対応の因果律的解明は、生理学の目標の1つであるが、マシン表現可能な脳内情報抽出の基礎研究や、霊長類動物脳への改変遺伝子発現法の開発によって、これを実現する大きなステップを与える。

4)高度認知行動機能解明
―主としてヒトを対象とした研究によって脳機能から体と心と社会活動への統合を―

より高度な脳機能の多くは、ヒトの脳のみにおいて特に発達したものであり、生理学研究所では、非侵襲的な方法を用いて、ヒトを対象とした脳研究を展開している。

特に、ヒトにおける顔認知、各種の感覚認知や多種感覚統合、言語、情動、記憶及び社会能力などのより高度な認知行動とその発達(異常)についての研究は、ヒトを用いた非侵襲的な研究によってのみ成し遂げられる。これらの研究によってヒトのこころとからだの結びつきを解明する。また、ヒトの精神発達過程における感受性期(臨界期)を明らかにし、脳・精神発達異常解明のための基礎的情報を与える。更には、ヒトとヒトの脳機能の相互作用の解明から、ヒトの社会活動における脳科学的基盤を解明する。

5)4次元脳・生体分子統合イメージング法開発
―階層間相関イメージング法の開発によって分子・細胞・神経回路・脳・個体・社会活動の6階層をシームレスに繋ぐ統合イメージングを―

生理学研究所では、分子・細胞から脳・人体に適用可能な各種イメージング装置を配備して共同研究に供している唯一の共同利用機関であり、脳と人体の働きとその仕組みを分子のレベルから解明し、それらの発達過程や病態変化過程との関連において、その4次元的(空間的+時間的)なイメージング化を進める(図3参照)。

図3. 統合イメージングの開発

法人化後の第1期(2004--2009年度)においては、超高圧電子顕微鏡(HVEM)、極低温位相差電子顕微鏡、2光子レーザー顕微鏡、機能的磁気共鳴断層画像装置(fMRI)、近赤外線スペクトロスコピー(NIRS)、SQUID生体磁気測定システム(脳磁計MEG)等の最先端イメージング装置を駆使しての各階層レベルにおける研究と共同利用実験を推進してきた。第1期の最終年度である2009年度にはdual fMRIの配備が行われ、これを用いての“社会脳”研究にも踏み出した。

第2期(2010--2015年度)においては、分子、細胞、脳のスケールを超えた統合をしていくために、各階層レベルの働きを見る特異的イメージング法とその間をつなぐ数々の相関法の開発を成し遂げていく(図3参照)。神経情報のキャリアーである神経電流の非侵襲的・大域的可視化はその重要性が指摘されながらも未踏である。サブミリメートル分解能を持って非侵襲的に刺激を与えながら脳内電気シグナルを計測しうる新しい生体電磁気計測システム(アクティブEEG/MEG)法がこの未踏技術に近い。これらの研究を進め、神経回路レベルと脳レベルの接続を実現する。更には、無固定・無染色標本をサブミクロンで可視化して細胞・分子活性を光操作しながら観察しうる多光子励起レーザー顕微鏡法を開発し、細胞・シナプスレベルから神経回路網レベルの接続を実現する。また、無固定・無染色のレーザー顕微鏡用標本をそのままナノメーター分解能で可視化することができる低温位相差超高圧電子顕微鏡トモグラフィーを新規開発して、分子レベルと細胞レベルを接続させる。一方、分子レベルからヒト個体レベルを接続するための相関法として、分子イメージングを可能とするMRI 分子プローブ法を開発していく。分子レベルから脳・神経ネットワークレベルへの接続は、当面は網羅的行動様式解析によっておこない、将来的には(プロトンのみならず炭素やリンのイメージングも可能な)超高テスラfMRIの開発やPETの配備によって実現することを計画している。これらの三次元イメージングの統合的時間記述(4次元脳・生体分子統合イメージング)によって、精神活動を含む脳機能の定量化と、分子レベルからの統合化、およびそれらの実時間的可視化を実現する。

6)モデル動物開発・病態生理機能解析
―主として病態モデル動物を用いた研究によって病態生理機能の解明を―

統合的な生理学研究を推進していくために、病態基礎研究も組み込んだ研究を進めていく。この研究を、遺伝子改変マウス・ラットや遺伝子導入サルにおける病態表現型を用いて進めるとともに、ヒトの病態に関する知見とも照らし合わせていくことも必要である。これによって、分子からヒトの個体そして社会活動に至る6階層を繋ぐ研究が可能となる。生理学研究所では、これまで多数のトランスジェニック(TG)マウスやノックアウト(KO)マウスを作製・供給してきたが、これらにおいて病態表現型を示すものが多くなってきた。生理学研究所ではこれらの遺伝子改変マウスの他に、TGラットの作製・供給にも大きな実績があったが、更に2010年には待望のKOラット作製技術の確立も「遺伝子改変動物作製室」によって実現された。今後、これらの遺伝子改変ラットにおいても、病態表現型を示すものが得られてくると考えられる。ラットはマウスよりも賢く、脳の大きさも大きく、in vivo電気生理学的研究の対象ともしやすく、これまでの生理学的研究成果の積み重ねも多いため、病態生理学的研究に優れたモデルとなる。更には、「霊長類遺伝子導入実験室」が稼働しはじめ、病態モデル霊長類動物の開発も期待できるようになった。これらのモデル動物を用いての行動レベル表現型の網羅的解析を「行動様式解析室」で、代謝生理機能レベルの表現型の網羅的解析を「代謝生理解析室」で行っていくことが必要である。病院や臨床部門を持たない生理学研究所は、他の臨床的医学研究機関との連携や共同研究が、必要である。これらの研究は、2011年度から開始の特別経費プロジェクト「ヒトとモデル動物の統合的研究による社会性の脳神経基盤の解明」によって支えられる。

1.3 生理学研究所における共同利用研究

生理学研究所はその第2の使命「共同利用研究推進」を果たすために、次の8つを軸にした共同利用研究を推進している:

1)最高度大型および最新開発のイメージング機器による共同利用研究 (図4参照)

世界唯一の生物専用機であり、常時最高性能に維持されている超高圧電子顕微鏡(HVEM)や、脳科学研究用に特化改良された全頭型の脳磁計(MEG)や、ヒトやニホンザルにおいて計測可能な3テスラ磁気共鳴装置である機能的MRI生理動画像解析装置(fMRI)など、他の国内機関では配備されていないような優れた特徴を持つ最高度大型イメージング機器を、「共同利用実験」に供する。ヒトの社会的相互作用時における神経活動描出のために2009年度に配備した2台のfMRIで構成される同時計測用高磁場磁気共鳴画像装置(dual MRI)も2011年度より「共同利用実験」に供していく。

世界最高深部における生体脳内リアルタイム微小形態可視化を可能とした2光子励起レーザー顕微鏡や、無固定・無染色氷包埋標本の超微小形態観察を世界で初めて可能とした極低温位相差電子顕微鏡などの、生理学研究所が自ら開発した最新のイメージング装置とその周辺技術をコミュニティにオープンし、その使用を特定した形の「計画共同研究」を、全国の研究者からの公募によって実施している。

これら生理学研究所が具有するイメージング技術・設備・装置を、全国の国公私立大学・研究機関の研究者からの公募によって実施する「一般共同研究」にも広く供し、発掘された問題への解答や萌芽的な研究の育成にも資するように努めている。

図4. 大中型機器・最先端技術・モデル動物の提供

2) 異分野連携共同研究ネットワークの中心拠点の形成(図5参照)

「脳がいかに形成され、どのような原理で作動しているのか」という脳研究の中心課題の解明には多くの異分野の研究者による多次元的連携が不可欠である。このような異分野連携的脳科学研究を推進するために、2008年4月に設置した「多次元共同脳科学推進センター」において、全国の多様な分野の脳科学研究者の共同研究・若手研究者育成ネットワークの中心拠点を担っている。

この「多次元共同脳科学推進センター」に多数の客員教授と併任教授を迎え、当面はBMIの「医工連携」的開発に不可欠であるマシン表現可能な脳内情報の抽出に関する基礎研究を行う「脳内情報抽出表現研究」と、脳病態モデル霊長類動物の作製に不可欠であるニホンザル脳・マーモセット脳への遺伝子発現技術の開発を進める「霊長類脳基盤研究開発」、そしてわが国における今後の脳科学研究のあり方を考究して新しい研究領域を開拓する「脳科学新領域開拓研究」を推進する。更には、2009年4月に新設した「流動連携研究室」において、他機関の研究者が、サバティカル制度等を利用して、客員教授・客員准教授・客員助教として3-12ヵ月間岡崎に滞在し、生理研の大型機器・研究施設を活用して集中的に共同研究し、新しい切り口での研究に挑み、次なる研究展開を図る機会と場を提供する。

全国の脳科学者と討論して「多次元共同脳科学推進センター」の今後の運営方針を決定し、「文理融合」的なアプローチによる情動、社会能力などの「からだとこころの相互関係」の解明を異分野連携的に推進する中核拠点ともなっていく。新しい4次元脳・生体分子統合イメージング法の開発によって、分子からこころへと脳機能を統合的に理解し、脳科学に求められている種々の社会問題・教育問題からの要請にも異分野連携的共同研究の展開で応えていくことができる。

また、生理学研究所は、「岡崎統合バイオサイエンスセンター」の一翼を担い、基礎生物学研究所、分子科学研究所と連携協力しながら“分子-分子間相互作用と分子-環境間相互作用による生命体機能形成の統合的研究”を推進し、更には「機構内分野間連携事業」を積極的に担い、更に広い研究領域とも連携して異分野連携共同研究を推進している。


図5. 異分野連携共同研究ネットワーク

3)モデル動物の開発・供給とその行動様式・代謝生理機能解析システムの共同利用 (図4参照)

「多次元共同脳科学推進センター」にNBR事業推進室を置き、「ニホンザル・ナショナルバイオリソース(NBR)プロジェクト」の中核機関として、脳科学研究用実験動物としてのニホンザルを全国の研究者に安定的に供給している。更には、ニホンザルやマーモセットの脳の特定部位への遺伝子発現法を開発しているが、その技術やそのための「霊長類遺伝子導入室」を共同利用研究に供していく。そして将来的には、脳病態モデル霊長類動物を作製し、これを全国共同利用研究に供給することも目指す。

「行動・代謝分子解析センター」の「遺伝子改変動物作製室」において、遺伝子改変マウスのみならず、遺伝子改変ラットを共同で作製して供給するための「計画共同研究」を推進している。また、それらの遺伝子改変マウス/ラットの行動様式と代謝生理機能の網羅的な解析システムを「行動様式解析室」と「代謝生理解析室」に配備し、「計画共同研究」に供していく。

4)研究会、国際研究集会、国際シンポジウムの開催

保有している各種会議室、共同利用研究者宿泊施設をフル稼働させて、多数の「研究会」、「国際研究集会」、「国際シンポジウム」を全国の国公私立大学・研究機関の研究者からの公募・審査採択によって開催している。これらを通じて、新しい人材の生理学・神経科学分野への参入の促進と、全国的・国際的共同研究の更なる促進をはかると共に、全国の研究者による新たな研究分野の創出にも寄与している。

5)長期滞在型国内共同利用研究の推進

他機関の研究者がサバティカル制度等を利用して、「流動連携研究室」の客員教授・客員准教授・客員助教として3-12ヶ月間岡崎に滞在し、生理学研究所の大型機器・研究施設を活用して密に共同研究し、新しい切口での研究に挑み、次なる研究展開を図る機会と場を提供している。

6)長期滞在型国際共同利用研究の推進

諸外国研究機関においてポストを有する優れた研究者を、サバティカル制度等を利用して、外国人研究職員として3--12ヶ月間岡崎に招聘し、国際的共同利用研究を密に推進している。

7)日米脳科学共同研究の推進

「科学技術における研究開発のための協力に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」に基づき、日米科学技術協力事業の非エネルギー分野の一つとして、脳科学に関する共同研究を実施し、我が国の脳科学分野の研究水準の向上と、日米間の共同研究関係をさらに発展させるために、共同研究者派遣、グループ共同研究、情報交換セミナーの3事業を、全国からの公募によって推進する。

8)各種研究技術・データベースの共同利用的供給

生理学研究所が持っている最先端で高度の研究技術や研究手法や研究ソフトウエアなどをすべてデータベース化しはじめている。また、脳と人体の働きと仕組みについての正しい教育情報についてもデータベース化していく。これらのデータベースはすべてホームページ上で公開し、共同利用に供していく。

1.4 若手生理科学者・若手脳科学者の育成

生理学研究所は、その第3の使命「若手研究者育成・発掘」を果たすために、多様なプログラムを提供して、次の5つの取り組みを推進していく:

1)総合研究大学院大学生命科学研究科生理科学専攻としての大学院教育

総合研究大学院大学の基盤機関として、めぐまれたインフラとマンツーマン教育を可能とする豊富な教員数を生かして、5年一貫制大学院教育を行い、国際的生理科学・脳科学研究者を育成し、全国・世界に人材を供給している(図6参照)。脳科学専攻間融合プログラムを中心的に担い、他専攻(基礎生物学、遺伝学、情報学、統計科学、生命共生体進化学、メディア社会文化等)の協力を得て、新たなカリキュラムを作成・実施し、分野を超えた脳科学教育を推進している(図6参照)。更には、他大学からの受託によっても多数の大学院生の教育・指導を行っていく。


図6. 総合研究大学院大学

2)博士研究員制度の充実

生理学研究所独自の博士研究員であるNIPSリサーチフェローを各部門・施設に1名配置し、特任准教授、特任助教などの若手研究者も増員し、毎年公募採択の形で若手研究者育成のための研究費や研究発表のために旅費(国内外)の支援を行っている。日本学術振興会特別研究員や、科研費やJSTなどの外部資金雇用の特任助教(プロジェクト)やプロジェクト博士研究員にも、同様の若手育成措置を講じている。

3)異分野連携若手研究者育成・大学院生脳科学教育プログラムの中心拠点の形成

多様な分野に精通した若手脳神経科学者の育成のために、全国の国公私立大学・研究機関に分散した、(基礎神経科学、分子神経生物学、工学、計算論的神経科学、計算科学、臨床医学、心理学などの)多くの異なる分野の優れた脳科学研究者を集結して、大学の枠を超えたネットワーク的「異分野連携脳科学研究者育成プログラム」を推進する中心拠点を担っていく(図5参照)。そして、本プログラムの成果や評価に基づき、全国の大学との意見調整によって必要となれば、その発展線上に総研大における「脳神経科学専攻」の新設も目指していく。

4)各種トレーニングコース・レクチャーコースの開催

「生理科学実験技術トレーニングコース」を毎夏開催すると共に、「バイオ分子センサーレクチャーコース」も開催する。また、「異分野連携脳科学レクチャーコース」や「同トレーニングコース」も開催する。これらによって、全国の若手研究者・大学院生・学部学生の教育・育成に多彩な形で取り組んでいく。

5)最新の生理科学・脳科学研究・教育情報の発信と未来の若手研究者の発掘

「広報展開推進室」を中心にして、生理研ホームページから“人体と脳のはたらきとそのしくみ”についての正しい情報の発信を行い、せいりけんニュースを通じて市民・小中学校教師・小中高校生にも最新の学術情報をわかりやすく発信している。また、岡崎市保健所との共催によるせいりけん市民講座を定期的に開催し、岡崎市医師会や岡崎歯科医師会との共催による医師会講演会を開催し、岡崎市民や医師・歯科医師へも最新の生理科学・脳科学学術情報を発信している。3年に1回「一般公開」を開催するとともに、常時「広報展示室」をオープンし、一般の方々にもこれらの学術情報の発信を行うとともに学術研究の重要性を訴えている。更には、岡崎市の小中学校の「出前授業」や、岡崎高校の「スーパーサイエンスハイスクール」への協力や、岡崎市内小中学校理科教員を対象とした「国研セミナー」の担当などを積極的に引き受けていき、未来の若手研究者としての子供達を発掘・育成している。

 

1.5 今後の生理学研究所の運営方向

上記の生理学研究所の使命を果たし、その目標に近づくために、今後の運営において次の6つの点に留意していく:

1)生理学研究所は、分子から個体へと統合していくという研究姿勢においても、研究者個人の自由発想に重きをおいて問題発掘的に研究を進めていくという研究態度においても、そして全国の国公私立大学・研究機関から萌芽的研究課題提案を広く受け入れて共同研究を行うという研究所方針においても、あくまでボトムアップ的な形で研究を推進していきたい。

2)本来、生理学は閉鎖的な学問ではなく、多くの異なる分野との交流によって絶えず自身を革新してゆくべき学問である。また、事実これまでの「ノーベル生理学・医学賞」の対象となった研究の多くは、異分野との交流や、異分野における研究・実験手法の導入によって成し遂げられてきた。従って、生理学や生理学研究所の将来の発展の道は、異分野との交流によって切り拓かれるものと考えられる。今後、自然科学研究機構 新分野創成センターとともに、異分野連携の全国的なネットワークを構築し、その中心拠点を担っていきたい(図5参照)。異分野連携の接点の場として、“膜タンパク質研究”や“バイオ分子センサー研究”などの分子レベルの研究分野のみならず、新しい“4次元脳・人体分子イメージング法”の開発というイメージングサイエンスの領域(図3参照)や、更に幅広く、“脳の形成や作動原理の解明”に広げ、特に“BMI開発のための基礎研究”や“霊長類動物脳遺伝子発現技術開発”や“社会行動神経基盤研究”などの脳科学研究にも求めていきたい(図5参照)。

3)生理学研究所はヒトの脳の非侵襲的研究のためにMEGやfMRIやNIRSなどのイメージング装置を先駆けて導入・配備して来た。これに加えて、最近、低温位相差電子顕微鏡法の開発に成功し、更にこれを発展させて低温位相差超高圧電子顕微鏡法の開発へと歩を進めている。また、二光子励起レーザー顕微鏡法を用いて、生体内で生きたままの脳のイメージングを世界最高深部において可能とする技術を開発し、更にこれを発展させて人体の任意の組織・器官における生体内イメージングと生体機能光操作を可能とする新しい多光子励起レーザー顕微鏡法の開発へと進みはじめている。今後は更に、人体や動物個体の非侵襲的生体内分子イメージングを可能とするMRI分子プローブの開発や、サブミリメータ分解能で脳神経回路活動を捉えうる新しいアクティブEEG/MEGの開発も行っていきたい。これらの開発と、マルチな装置や技術の整備とその共同利用化によって、生理学研究所を我が国における脳・人体の生体内分子イメージングの一大センターとして確立したい(図3参照)。

4)生理学研究所の3つの使命の遂行が、コミュニティや国民からよりよく見える形で行われるように、「広報展開推進室」が中心となって学術情報の発信や広報活動に力を入れて行きたい。その対象の第1はコミュニティの研究者であり、第2は他分野を含めた大学院生や若手研究者であり、第3は生理学を学ぶ種々の学部の学生であり、第4は未来のサイエンティストを育成する初等・中等・高等学校の理科・保健体育の教員であり、第5はTax Payerとしての国民である。いずれの階層をも対象とできるように、ホームページを多層化して充実させ、人体と脳の働きとその仕組みについての最新で正確でわかりやすい学術情報発信をして行きたい。それらの広報をより効率的かつ視覚的なものとするために、「技術課」と「点検連携資料室」が中心となって、各種の研究・教育・技術情報をデータベース化する取り組みを推し進めている。更には、「技術課」と「点検連携資料室」と「広報展開推進室」が中心となって、将来的に空間軸に時間軸を加えた4次元脳イメージングをまず構築し、それをステップにして4次元人体イメージングの構築を目指したい。

5)生理学研究所は、広範な生理科学分野や脳神経科学分野の研究者コミュニティによって支えられている。研究所運営は、これまで通りこれらの研究者コミュニティの意向を踏まえて行っていく。更には、研究者コミュニティによる今後の学術研究の方向やプロジェクトの策定、並びに新しい研究資金の獲得方法の構築などにおいても、生理学研究所は合意形成の場・プラットホームとしての役割やハブ機関としての役割を果たしていきたい。

6)生理学研究所の使命の遂行は、研究者のみによって成し遂げうるものではなく、技術サポートを行う人々、事務サポートを行う人々、そして大学院生の方々など、研究所を構成するすべての職種の人々の協力によってはじめて成し遂げられるものである。全ての構成員が、それぞれの職務に自覚と誇りをもちながら、お互いに協力できる活気に満ちた職場環境を作り、広く研究者コミュニティに開かれた運営を行っていきたい。

1.6 付言

生理学研究所は1977年5月創設来この30数年間、多くの諸先輩および研究者コミュニティの皆様のご努力・ご尽力と、多方面の方々の強力なご支援により、数々の優れた成果をおさめながら着実な発展を遂げてきた。以下に、外部の著名研究者からいただいた最近の評価コメントの一部を紹介する:

① ドイツ マックスプランク研究所 Erwin Neher教授(1991年ノーベル生理学・医学賞受賞者)の2007年5月の生理学研究所30周年記念式典への祝辞(図7参照)にもあるように、国際的に高い評価を受けてきた: 「A National Institute of Physiology - that is what many physiologists world wide are dreaming of. Let me congratulate the Colleagues in Japan on the occasion of the 30th anniversary of SEIRIKEN. You have achieved that dream long time ago and have managed over 30 years to turn it into an excellent and internationally shining research institution.」


図7. 30周年記念式典に寄せられたNeher教授の手紙

 

② 2007年12月に行われた英国 リバプール大学 Ole Petersen教授(英国生理学会長)によるサイトビジット外部評価において、次の結語文にもあるように高い評価を頂いた: 「Final Conclusion – NIPS is an outstanding institution doing cutting-edge research over a wide range of very important areas of physiological sciences. It is one of the most visible, effective and highly regarded research institutions in Japan and compares well with the best research institutes run by, for example, the Max Planck Society in Germany and the Medical Research Council in the UK. It deserves all possible support from the Japanese government and it would be sensible to exploit the enormous potential for future work by an increase in the budget allocation to the Institute.」

③ 2010年3月に行われた国立精神・神経センター 高坂新一所長(日本神経化学会理事長)と東京大学 三品昌美教授(日本薬理学会前理事長)によるサイトビジット外部評価において、次のような評価と注文を頂いてる:「生理学研究所は国立共同研究機構の中心的施設として全国の研究機関との共同研究を推進する使命を担っており、これに付随した多くのサービス業務もあることから、国はこの為に更なる運営交付金を措置すべきである。」「個々の研究者および研究所全体の業績としては質が高く、申し分ない。ただ、5-10年後の生理学研究所の将来像をもっと明確にし、例えば重点化研究領域の設定などの提案が欲しい。」—[この高坂先生からのご注文を受け、今回の改訂版で長期展望が書き加えられた。]

「我が国の基礎研究を強力に推進し、成果を挙げるためには、高度かつ先端的な研究基盤の整備とそれを支える技術が重要である。また、大型研究機器など、個人研究では整備できないものを的確に支援し、長期的視点に立って研究資源をはじめとするリソースの整備を図ることが重要であり、生理学研究所の果たすべき役割は大きい。」「生理学研究所では生体の恒常性維持ならびに脳神経系の情報処理と認知行動の研究が進められており、これらを結合し統合的な理解を進め、ヒトのこころと体のバランスのとれた健全な発展に寄与する方向への運営が望まれる。統合的研究には臨床研究も組み込むことが必要であり、病院を有する大学医学部や精神・神経センターとの連携を進めることが望まれる。」—[この三品先生からのご注文を受け、2011年度概算要求として特別経費プロジェクト「ヒトとモデル動物の統合的研究による社会性の脳神経基盤の解明」が申請・採択され、今回の改訂版で生理学研究所の研究柱の6本目として「モデル動物開発・病態生理機能解析」が加えられた。]

これらの高い評価と期待を励みに、またこれまでの伝統と成果を基礎に、私達所員一同更に励み、生理学研究所を今後益々、世界に光り輝く研究所として発展させていく。


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