20 文部科学省 脳科学研究戦略推進プログラム

高齢化、多様化、複雑化が進む現代社会が直面する様々な課題の克服に向けて、脳科学に対する社会からの期待が高まっている。このような状況を踏まえ、『社会に貢献する脳科学』の実現を目指し、社会への応用を明確に見据えた脳科学研究を戦略的に推進するため、2008年度より「脳科学研究戦略推進プログラム」を開始することとした。

現在、プログラムの課題A~Dが施行されているが、 脳科学研究戦略推進プログラムは2010年度も新規課題「心身の健康を維持する脳の分子基盤と環境因子(健康脳)」(課題E)が開始し、東京医科歯科大学の水澤英洋教授を拠点長とするグループが採択された。さらに2011年度も予算増を得て、「健康脳」の枠の拡大及び新規課題の発足が計画されている。文部科学省ライフサイエンス課と連携してプログラム全体を統括する事務局が当初より生理学研究所に設置され、室長以下5名のスタッフが専属で業務に従事している。事務局プロジェクト全体の運営や、様々なアウトリーチ活動に幅広く従事し、文字通り、今や脳科学の最大のファンディングソースとなった「脳プロ」を縁の下の力持ちとして下支えている。さらに新規課題の増設とともに2011年度は東京に事務局支部を設置する計画もあり、業務はますます拡大する見込みである。

20.1 「ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)の開発」研究開発拠点整備事業(課題A)

拠点整備事業(課題A)は、「ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)の開発」(株)国際電気通信基礎技術研究所(ATR) 脳情報研究所の川人光男所長(生理学研究所客員教授)を拠点長するグループが採択され、生理学研究所も南部篤教授を中心とするグループが参画機関として研究に参加することとなった。感覚フィードバックを行うことでより正確な制御を可能にするBMI、及び刺入式電極より侵襲の少ない表面脳波(Electrocorticogram = ECoG)を高密度に配置する高機能BMIの開発に向けた実験を進め、今年度、複数のECoG電極を組み合わせた信号を用いることにより、深部神経活動の推定精度が著しく向上することを明らかにし、新規開発した高密度ECoG電極の有用性を示した。また、多チャンネル記録による感覚エンコーディング・デコーディング及びECoG記録から皮質深層の神経活動を推定するアルゴリズムの開発についても顕著な成果が得られつつある。

20.2 「独創性の高いモデル動物の開発」研究開発拠点整備事業(課題C)

一方、「独創性の高いモデル動物の開発」の拠点整備事業(課題C)には、生理学研究所の伊佐正教授が拠点長に選ばれ、コモンマーモセットを用いてトランススジェニック動物を作製することやマカクザル等においてウィルスベクターを用いた遺伝子導入法を用いて脳における遺伝子発現を操作し、高次脳機能とその分子基盤を解明する研究を推進している。動物実験センターに霊長類を対象とするP2Aレベルの遺伝子導入実験室を整備し、マカクザルに対するレンチウィルスないしはアデノ随伴ウィルスを用いた遺伝子導入実験が本格始動し、本年度は神経活動の操作による、行動制御に成功している。また基礎生物学研究所にコモンマーモセットの飼育・繁殖を行う施設も設置し、本年度は専任スタッフによる、ウィルスベクターを用いた遺伝子ノックダウン実験なども開始された。

20.3 「社会的行動を支える脳基盤の計測・支援技術の開発」研究開発拠点整備事業(課題D)

現代社会において、社会的行動の障碍が大きな問題となっており、これらに対する客観的な生物学的指標を開発し、適切な支援策を講じることが喫緊の課題である。「社会的行動の基盤となる脳機能の計測・支援のための先端的研究開発」(課題D)拠点整備事業については、2009年度に東京大学の狩野方伸教授を拠点長とするグループが採択された。課題Dでは、分子、神経回路、脳システムに関連する多次元の生物学的指標(ソーシャルブレインマーカー)の候補を開発することで、社会性・社会的行動の基盤となる脳機能を理解し、その機能を計測・評価し、さらにはその障害や異常の克服の支援に貢献することを全体の達成目標とする。この目標を達成するために、3つの研究項目、

  1. 社会性を制御する分子と社会性・社会的行動の機能発達に関する研究、
  2. 社会性を制御する報酬・情動系に関する研究、
  3. 社会性障害の理解・予防・治療に向けた先導的研究、
を設定し、代表機関である東京大学と7つの参画機関(生理学研究所、理化学研究所、大阪大学、東京医科歯科大学、京都府立医科大学、横浜市立大学、及び大阪バイオサイエンス研究所)で研究・開発を行うこととなった。

研究項目1では、(1)個体間の認識とコミュニケーション、及び(2)生後発達過程における他者との関係の樹立に着目し、社会性・社会的行動の要素的側面の分子的基盤を研究することによりその生物学的指標の候補を同定し、さらには発達過程においてそれらを制御する方策について研究開発を行う。

研究項目2では、情動とその記憶、嗜癖、及び報酬・意志決定にかかわる神経回路とその分子基盤を明らかにし、その制御方策と新たな生物学的指標の候補を開発する。

研究項目3では、広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)や統合失調症の脳画像解析、遺伝子解析及びモデル動物での研究を推進して、社会的行動障害の克服への道筋を明示することを目標とする。

生理学研究所では、「社会能力の神経基盤と発達過程の解明とその評価・計測技術の開発」との題目の下、実際のヒト社会行動における社会能力計測技術として、集団の脳機能・視線・行動計測法を開発することを目指す。詳細は以下のとおり。

【目的】

①社会能力要素過程の神経基盤解析
(1)自己認知 (2)模倣 (3)「心の理論」 (4)共感 (5)信頼について、機能的MRIなどで実行可能な課題を作成し、脳機能計測を行うことにより、自他相同性、自己認知、「心の理論」、共感に関わる領域を明らかにする。さらに、ヒトの対面コミュニケーションにおいて重要な顔表情処理の神経基盤とその発達過程、ならびに顔情報と聴覚情報の統合過程について、ヒトの脳機能イメージングを用いて検討する。

②集団の視線・行動計測法および複数個体の脳機能同時計測法の開発
頭部と手の動きを連続的に計測できる光学反射式3次元動作解析装置(モーションデータキャプチャ)と、視線を連続的に計測するための眼球運動計測装置により、複数個体の動作と視線を同期して計測する。まず、個々人の視線と頭部、ならびに手の動きを表す時系列データ間の関係性を、多変数自己相関モデルを用いて定量化する。さらに2個体同時計測MRIシステムを用いて社会的相互作用時の脳機能計測を行う。

③東京大学精神科との連携
機能的MRIを疾患群へ適用するための課題を開発する。具体的には、平成21年度より検討を加えてきた相互模倣課題につき、健常群での検証を進めるとともに、疾患群へ適用する際に必要な調整について検討を加える。

【進捗状況】

  1. 社会能力要素過程の神経基盤解析
    模倣の基盤となる運動共通表象(common representation of the movement)の神経基盤を明らかにする一方、相互模倣時の脳活動計測を行ない、extrastriate body areaの賦活程度が自閉症のsocial brain markerになりうる可能性を示した。比喩や皮肉のように字義通りでない言語使用(語用論)時に、心の理論に関連する領域が大きく関与することを明らかにした。また、社会的承認としての社会的報酬は、受け取る際のみならず、向社会行動を行うという意思決定時にも、金銭報酬と同様線条体(報酬系)を活性化することを示した。
  2. 集団の視線・行動計測法および複数個体の脳機能同時計測法の開発
    2個体同時MRI計測法を用いて、共同注意の神経基盤を明らかにすると共に、アイコンタクト時に局所脳活動(右前頭前野)の共鳴現象を発見した。
  3. 東京大学医学部附属病院精神科と連携して、顔表情を用いた相互模倣課題を作成した。

【今後の計画】

  1. 機能的MRIやMEGを用いて、顔を介した社会的信号の処理基盤をヒトで調べる。
  2. NIRSを用いて、顔表情処理の神経基盤の発達過程をヒトで調べる。
  3. 社会能力の行動計測技術としての集団の脳機能・視線・行動計測データの統計処理手法を開発する。
  4. 東京大学医学部附属病院精神科と連携して、機能的MRIを自閉症患者群へ適用して、社会能力に関与する神経基盤の違いを明らかにする。

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