3 認知行動機構の解明

3.1 総括

生理学研究所においては、脳機能のシステム的理解を目指して、主に感覚認知情報研究部門、認知行動発達機構研究部門、生体システム研究部門の3部門が取り組んでいる。それぞれの研究室で独自の研究を行なっているが、以下のように研究課題や手法に共通点も多い。①感覚・認知・行動・運動といった高次脳機能やそれに関係する意志、注意さらに意識といった問題についての理解を得るために研究を行なっている。②そのために、ヒトに近縁で、脳活動を直接記録する上で代替のない優れたモデル動物であるサルを実験動物として用いている。③時間・空間分解能が優れた電気生理学的手法を中心に、神経解剖学、薬理学、遺伝子導入、fMRIなど様々な方法を組み合わせて脳活動を計測している。

感覚認知情報部門は、視知覚および視覚認知の神経機構を研究対象として、主にサルの視覚野からニューロン活動を記録し、視覚情報の脳内表現や、認知による行動制御のメカニズムを調べている。具体的には、①物体の表面の属性(色や明るさ)の脳内表現、②それらの情報がどのように知覚や行動に関係しているのか、③視野の離れた場所に存在する要素刺激を統合して一つの物体として認知する仕組み、④さまざまな向きの局所の輪郭の情報がどのように組み合わされて図形パターンが表現されるのか、⑤麻酔サルの機能的時期共鳴画像法(fMRI)による視覚関連脳活動の解析、などである。

認知行動発達機構研究部門は、脳による運動制御、とくに眼球のサッケード運動と手指の精密把持運動を対象として、神経回路の構造と機能、および神経回路が損傷された後の機能代償機構について研究を進めている。具体的には、①サッケードの制御の中枢である中脳上丘の局所神経回路、および上丘を中心とした対規模神経回路の機能解析、②大脳皮質運動野(V1)を損傷したサル(盲視モデル)のサッケード回復メカニズム、③皮質脊髄路を損傷したサルにおける手指の精密把持運動の機能回復メカニズム、などである。

生体システム研究部門は、随意運動の脳内メカニズムを明らかにするために,正常な動物における大脳基底核を中心とした運動関連脳領域の構造と働き、大脳基底核疾患の病態生理、さらにそのような障害の治療メカニズムなどについて研究を行なっている。具体的には、①大脳基底核を中心とした線維連絡の解析、②課題遂行中のサルからの神経活動記録、③パーキンソン病やジストニアなどの大脳基底核疾患モデル動物およびヒト患者から神経活動記録、④それらのモデル動物に治療を加えた際の神経活動解析、などである。

認知行動発達機構研究部門と生体システム研究部門は、脳科学研究戦略推進プログラムに参加しているが、その詳細については「脳科学研究戦略推進プログラム」の項を参照頂きたい。感覚認知情報部門は、科研費新学術領域「質感認知の脳神経メカニズムと高度質感情報処理技術の融合的研究」を代表として新規に平成22年度から立ち上げた。本領域は、日常生活で極めて重要だがこれまで研究が進められてこなかった「質感認知」の機能を取り上げ、その性質やメカニズムの理解を分野融合的に進めることを目的としている。このような新しいテーマの研究を進める場合、脳科学分野だけではなく、心理物理学や工学といった他の分野との共同作業が極めて重要で、生理研研究会を通じて培ってきた異分野間の研究者ネットワークが有効であった。

3.2 展望

いずれの研究室においても固有の問題について、着実に研究が進展しており知覚や行動、運動制御のシステムレベルでの理解につながる成果が得られつつある。これら3研究部門は、電気生理学的手法とくに、覚醒動物からのユニット記録という手法を基本としている。これは古典的な方法であるが、時間・空間分解能とも優れ、信頼性も高い方法であるので、これを堅持、発展させることが重要である。一方、習得に時間がかかる技術でもあるので、後継者を育てることも必要である。

さらに、以下のような新たな手法も積極的に用いている。

  1. 神経活動から情報を抽出して外部機器を操作したり、逆に情報を注入して脳活動を操作するブレイン・マシーン・インターフェイス(BMI)の開発にかかわる基礎研究を行っている。情報抽出は神経情報の脳内表現そのものであり、多点同時記録などの記録技術も有用である。また、情報注入により、因果関係の実証にも踏み込める。
  2. ウィルスベクターを用いて霊長類の脳での遺伝子発現を操作することにより、特定の神経回路の活動性を変化あるいは除去したり、受容体などの物質発現を操作する。本方法により、特定の神経回路やニューロンが担う神経情報を明らかにすることを通じて、高次脳機能の物質的基盤が明らかになると期待できる。
  3. fMRIのサルへの適用は、広い脳領域で特定の刺激や行動に関わる活動をマッピングする上で極めて有効な手段であり、高次脳機能研究に広く応用可能である。生理学研究所は動物実験のできるMRI装置があるという国内では数少ない環境であり、将来的に共同利用の一つの有力なリソースとして期待される。


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