5 4次元脳・生体分子統合イメージング法の開発

社会的機能まで含めたヒト脳は最も高度かつ複雑な生物器官である。その複雑さは空間的、時間的階層構造と各階層における構成ユニット間のネットワーク構造に起因する。一方脳の働き(機能)を見ると階層毎に個別機能はあるものの統合されれば知覚などに見られるように高次単一機能として立ち現われる。ある意味で単純である。超複雑システムとしての脳階層ネットワーク構造に支えられた脳機能の統合的単純さを最先端脳科学は脳内信号の情報処理機構として理解する立場を取っている。脳内物理化学信号は``モノ''として計測可能であり、それが脳内情報生成と直接結び付くと考えられている。コンピュータのアナロジーである。しかしコンピュータ的固い論理機械に脳機能の本質はないだろう。外界に応答し自律的に神経セルアセンブリを形成し、情報生成に至る脳の働きは階層をまたいでダイナミックに出現する創発系のように見える。この創発系は外部入力に応答し内部状態を再定義し変容する階層化ネットワークシステムである。

生理学研究所では、このような階層化ネットワークシステムを解析する手法の一つとして、4次元脳・生体分子統合イメージング法の開発を目指している。本開発では脳科学の根源的問題「脳情報の自発的生成」解決のため各階層のネットワーク動作原理の解明とその上に立つ情報生成原理の解明をターゲットする。そのために各階層の脳内信号の時空記述と情報生成の基本である階層間統合を可視化し得るシームレスイメージング開発システムの構築と全国的利用体制の構築を行う。これによりヒト固有の社会性の理解もにらんだ時空統合的な脳機能の理解が可能となる。

階層間をつなぐ研究機器として、光学・電子ハイブリッド顕微鏡は永山が既に開発を進めている。分子レベルから脳回路をシームレスに繋ぐ方法としては、重本や川口が凍結割断レプリカ免疫電子顕微鏡法やコネクトミクス法を機能的アッセイと組み合わせる手法を開発している。今年度は、異なる重金属による標識とEDX-走査透過型電子顕微鏡を凍結割断レプリカ免疫電子顕微鏡法に適用し、複数の蛋白質分子を細胞膜上で検出する方法を開発して報告した(Loukanov et al. Ultramicroscopy 2010)。また本年には、永山研究室で開発された位相差電子顕微鏡法を超高圧領域に応用するための500 keVの全く新しい手法を導入したクライオトモグラフィー超高圧電子顕微鏡が設置された。これと細胞内蛋白質の同定のための蛍光Qdotや化学プローブを用いた新しい標識法とを組み合わせ、神経細胞や脳組織への応用が発展することが期待される。位相差電子顕微鏡を用いた膜電位イメージングについては永山が海外との共同研究を進めている。超解像光学顕微鏡法については根本(北海道大学・生理研)が、古典的な光の回析限界を超えることに成功しており、日本発の技術の実用化を目指している。また、2光子励起顕微鏡技術は、鍋倉らは世界最深部の観察に成功し、脳科学研究において先導的役割を確立するとともに、補償光学を用いた多様な部位への応用展開を図っている。得られた各階層レベルのイメージの統合化手法については、昨年度に発足した自然科学研究機構新分野創成センターイメージングサイエンス研究拠点で研究が進んでいる。

さらに、4次元脳・生体分子統合イメージング法の開発において重要となるのはイメージングにおける計測・操作技術開発とその利用体制の構築である。例えば上記のような生理研で進められている開発に加え、脳内深部観察に通じた多光子音響顕微鏡(京都府立大学)、MRIを利用した生体電流イメージング(九州大学)、分子標識プローブや操作プローブの開発(理研、北海道大学)や光感受性チャネル(東北大学)など多数の要素的技術間をつなぐ包括的計測システムの枠組みが不可欠である。そのためにシームレスイメージング開発体制を全国的ネットワークの共同利用体制の中で実現していくことが求められている。

マクロレベルにおいては、ヒトの高次脳機能を動的かつ大局的に理解することを目指して、機能的MRI, 近赤外線分光法、脳磁図などの非侵襲的脳機能イメージング法を駆使して、研究を進めている。その重要な対象のひとつとして、社会能力がある。これは他者と円滑に付き合う能力をさし、言語性・非言語性のコミュニケーション能力を基盤とした高次脳機能である。その重要な要素のひとつである顔認知処理の発達過程を明らかにするため、近赤外線分光法を用いて乳幼児の神経活動計測を行っている(Nakato et al. Early Hum Dev 2011)。さらに、2個体間の相互作用とその神経基盤を研究する目的で、2台の高磁場(3テスラ)MRI装置を用いた脳機能同時計測手法を開発し、共同注意の神経基盤を明らかにすると共に、アイコンタクト時に局所脳活動(右前頭前野)の共鳴現象を発見した(Saito et al. Front Integr Neurosci 2010)。今後、複雑な人間の社会行動の神経基盤とその発達機構解明に資することが期待される。


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