6 モデル動物開発と病態生理機能の解析

6.1 モデル動物開発(げっ歯類)

生理学研究所では、トランスジェニックマウスならびにトランスジェニックラット、およびノックアウト(KO)マウスの作製サービスを提供しつつ、ラットにおいてKO動物作製技術の開発を試みている。生殖幹細胞を経由したKOラット作製法の開発(篠原隆司 教授 京都大学・院・遺伝医学講座と共同)では、個体の遺伝情報を次世代に伝えることができるラット精子幹細胞(Germline Stem Cells; GSCs)の長期間培養法を確立し、 GSCsへレンチウイルスを用いて外来遺伝子を導入することでトランスジェニックラットの作製にも成功した(Kanatsu-Shinohara et al. Biol Reprod 2008)。現在は、接着分子をコードする内在性遺伝子を相同遺伝子組換え法によって改変し、KOラットの作製を試みている。一方、ラットでは困難を極めた胚性幹(ES)細胞や人工多能性幹(iPS)細胞の樹立もここ2〜3年で可能となり、相同遺伝子組換え法によるKO個体の作出もこの8月に報告された(p53遺伝子)。生理学研究所 行動・代謝分子解析センターでもラットES細胞の樹立に成功し(Hirabayashi et al. Mol Reprod Dev 2010)、遺伝子導入細胞株からトランスジェニックラットを作製できることも確認した(Hirabayashi et al. Mol Reprod Dev 2010)。さらにごく最近、相同遺伝子組換え法により作製した変異導入ES細胞から免疫不全ラット個体を獲得することにも成功した。 今後は、KOラット作製を通して精神・神経疾患の解析、分子病態の解明や治療法の開発に貢献できるものと考えている。

6.2 モデル動物開発(霊長類)

脳科学研究戦略推進プログラム「独創性の高いモデル動物の開発」の拠点整備事業(課題C)に、生理学研究所の伊佐教授が拠点長に選ばれ、そのうち自然科学研究機構は、ウィルスベクターを用いてコモンマーモセットやニホンザルの脳の遺伝子発現を操作し、分子ツールを活用した高次脳機能の新しい研究パラダイムを構築し、高次脳機能の分子基盤を解明する研究を担当している。 現在、課題Cに参加している3研究部門(伊佐研、南部研、山森研)が明大寺地区動物実験センター本館1階の霊長類遺伝子導入実験室(P2あるいはバイオセーフティレベル2)を活用し、以下のような成果をあげている。①脊髄や大脳基底核の特定の神経経路のみを、ブロックしたり除去した。②ハロロドプシンを大脳皮質に導入し、黄色光により活動を抑制させた。③RNA干渉によって特定の受容体遺伝子の発現を減少させた。今後、他研究部門、さらには大学共同利用機関の特徴を生かして全国共同利用にも供したいと考えているが、その具体的方法や、霊長類の搬出・搬入に伴うルール作りが課題である。

6.3 病態生理機能解析

生理学研究所では、統合的な生理学研究を推進していくために、分子から個体に至るいろいろなレベルで病態生理学的な基礎研究にも取り組んでいる。

温度センサーTRPV4は表皮角化細胞において体温を感じてこの細胞同士の接着を強めることによって、皮膚のバリア機能を高めていることを明らかにした。この研究により、TRPV4ノックアウトマウスは乾燥肌のモデル動物となることを示した(Sokabe et al. J Biol Chem, 2010)。

シナプスに存在する分泌タンパク質のLGI1が、他の2種類のタンパク質(ADAM22、ADAM23)と複合体を形成してシナプス伝達を調節しており、それがLGI1変異によって家族性持発性部分てんかんを発症させる原因であることを明らかにした。これによりLGI1ノックアウトマウスがてんかんモデル動物として有用であることを明らかにした(Fukata et al. Proc Natl Acad Sci USA, 2010)。

末梢神経障害であるキランバレー症候群発症を引き起こすCampylobacter腸炎細菌から抽出したDNA結合蛋白(C-Dps)の末梢神経に対する作用を検討した。C-Dpsはミエリン鞘最外側膜とランビエ締輪に結合し、ミエリンの剥離と軸索の変性を起すことを見出した。C-Dps はsulfatideと結合するため、C-Dpsは有髄神経の締輪周囲のsulfatide機能を障害し、キランバレー症候群に見られる軸索の病態を引き 起こすことが示唆された。(Piao H et al. J Neurol Sci, 2010; 九州大学との共同研究)。

Ca2+透過性非選択性カチオンチャネルの一つであるTRPM2をノックアウトにより欠損させたマウスの解析を行い、糖負荷試験でTRPM2欠損マウスはインスリン分 泌低下による高血糖を示し、膵島からの糖およびインクレチン依存性のインスリン放出が有意に抑制されていることが明らかとなった。TRPM2は糖およびインク レチンを感知してインスリン放出をもたらしているものと考えられた(Uchida et al. Diabetes, 2011)。

ヒト肝臓から血中に分泌され、糖尿病の重症度と良く相関する新規タンパク質Selenoprotein P (Sep P)を発見した。Sep Pは肝臓AMPK活性を低下させ、インスリン感受性を低下させる。Sep Pは ``Hepatokine''という新規カテゴリーに含まれる分子として注目されている(Misu H et al. Cell Metab 2010; 金沢大学との共同研究)。

骨がんによる疼痛は、通常の外傷や炎症による疼痛よりも重篤であり、薬剤の鎮痛効果も異なる場合があることが知られている。大腿骨に腫瘍細胞を移植したマウス骨がんモデルを用いて、疼痛による脊髄後角神経細胞におけるシナプス伝達の変化を検討した。モデルマウスでは脊髄の広い部分にわたってシナプス伝達が増強しており、骨がんによる疼痛に関与していることが示唆された(Yanagisawa et al. Mol Pain, 2010; 九州大学、札幌医科大学との共同研究)。

脳梗塞周囲部(ペナンブラ)では、梗塞後には、一過性の血流減少—回復—再度の減少—血流増加と自動調節能が障害され、 24時間にわたり血流が変動した。これに対し、20-HETE合成酵素阻害薬を投与したマウスでは、脳梗塞後も脳微小血管血流の自動調節能が保たれ、血流の変動を抑制し、正常レベルに維持することができた。20-HETEは、脳微小血管を収縮させる作用があり、20-HETE 合成酵素阻害薬はこの作用を抑制することにより、脳梗塞後の血流を正常レベルに保つことにより脳保護作用を示したと思われる(Marumo et al. Br J Pharmacol; 大正製薬との共同研究)。

脳梗塞などによる大脳皮質への損傷が大人で生じると、重い後遺症としても残るが、子供では同じような脳損傷を受けても麻痺は回復していくことが知られている。幼若時に片側大脳皮質を切除したラットで、損傷と反対側の皮質錐体細胞の軸索を電気刺激すると、障害側運動ニューロンから多シナプス性活動が見られることが明らかとなり、幼若脳損傷ラットの障害側運動ニューロンへの信号伝達が、脊髄介在ニューロンへの新回路形成などによって起こっていることが明らかとなった。この脳損傷ラットは、運動機能回復手法の開発のためのモデル動物となることを明らかにした(Umeda et al. J Neurophys, 2010)。

生理学・神経科学の基礎研究の成果を社会に還元して行くためには、臨床分野、薬剤開発などの人たちとの共同研究が不可欠であり、今後そのような共同研究を一層やりやすくするための方策を検討する必要があると考えられる。


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