平成27年度~31年度 文部科学省科学研究費補助金新学術領域研究(研究領域提案型) 温度を基軸とした生命現象の統合的理解(温度生物学)

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研究報告

低温適応における精子から頭部神経へのフィードバック制御

 温度は生体反応に直結する環境情報であるため、温度に対する応答や適応は生命にとって重要である。本研究では、温度適応に関する分子生理メカニズムを明らかにするために、シンプルな動物である線虫C. エレガンス(Caenorhabditis elegansC. elegans))を使って解析を行った。その中で、精子が頭部の温度受容ニューロンの感度を調節するという現象が見つかった。

はじめに

 生体が寒さに馴れることで耐性をもつ機構は、高等動物だけでなく、植物や昆虫など様々な生物でも研究が進められてきている。低温に対する耐性機構として、植物から昆虫まで共通してみられる現象として、生体膜の不飽和脂肪酸の含有量を増加させ膜の流動性を高め、細胞の凍結を防ぐ機構が知られている。また,細胞内に低分子量のグリセロールやソルビトールなどの糖アルコールや、トレハロースやグルコースなどの糖を蓄積させ、低温や凍結に対する組織を保護することも50年以上前より知られている。そのような耐性を引き起こす体内変化が知られている一方で、温度の感知から耐性を引き起こすまでの分子情報伝達の過程については未知の点が残されている。
 C. エレガンスの低温適応とは、20℃で飼育された個体は、2℃で死滅するのに対して、15℃で飼育された個体は、2℃で生存できる現象である(図1)(参考文献1)。この現象は、温度応答行動の解析をしていた際に偶然に見つけた現象であり、2011年の研究室スタートの時に、この新しい現象を指標に解析を開始した。これまでに、分子遺伝学的解析から、頭部に左右1対存在するASJと呼ばれる光を受容する感覚ニューロンが温度を受容し、Gタンパク質経路で伝達し、ASJのシナプスからインスリンを分泌することで、腸に働きかけ低温適応が制御されることが分かってきている(図2)。


図1 線虫C. elegansの低温適応
C. elegansは、20℃飼育後に2℃に48時間置かれると死滅するが、15℃飼育後に2℃に48時間おかれても生存できる。



図2 低温適応の制御機構

 温度情報は頭部の感覚ニューロンASJで受容され、三量体Gタンパク質経路で伝達され、シナプス領域からインスリンを分泌する。感覚ニューロンASJは光やフェロモンを受容することで知られているが、温度の受容体は明らかとなっていない。三量体Gタンパク質経路では、αサブユニットGPA-3やグアニル酸シクラーゼODR-1が関与することが明らかとなっている。
感覚ニューロンASJから分泌されたインスリンは腸や神経系で受容され、最終的にFOXO型転写因子DAF-16が遺伝子発現を変化させ、低温適応をコントロールすることが明らかとなっている。参考文献1より改変して転載。

研究内容

 低温適応に関わるさらなる遺伝子を同定するために、インスリン経路の下流ではたらく分子をDNAマイクロアレイ解析で調べた(参考文献1, 2)。具体的には、野生株とインスリン受容体の変異体(daf-2)に温度刺激(15℃飼育後に25℃の温度刺激)を与えたとき発現変動する遺伝子を同定した。その結果、すでに低温適応に関わることが分かっている神経と腸の遺伝子以外にも、生殖に関わる組織で発現変動する遺伝子が多く、特に、精子で発現している遺伝子が多数含まれていた。 このことから、腸のインスリン経路の下流で精子の遺伝子の発現が調整されている可能性が得られた。精子が低温適応に関与するか調べるために、精子の形成や運動に関わる遺伝子の変異体の低温適応を測定した。その結果、精子形成や精子運動に関わる精子特異的プロテインフォスファターゼPP1が欠損しているgsp-3gsp-4の変異体において、20℃飼育後に2℃に置かれても生存できる異常が観察された。この異常は、温度受容ニューロンASJの温度情報伝達や腸のインスリン受容体の変異体で見られる異常と類似していた。さらに、gsp-4変異体の雌雄同体に、野生型の雄を交配させ、健康な精子をgsp-4変異体に導入したところ、低温適応の異常が部分的に回復しました。これらの結果から、精子が低温適応に関与すると考えられた。

 精子と、既知の低温適応の組織との関係を調べるために、遺伝学的エピスタシス解析や定量的PCR解析を行った。腸の変異としてインスリン受容体daf-2を使い、精子の変異として精子特異的プロテインフォスファターゼPP1 (gsp-4) をもちいて、それらの二重変異体を解析した。その結果、daf-2 ; gsp-4二重変異体は各々単独の変異体と同じ異常を示した。さらに、定量的PCR解析、インスリン受容体daf-2変異体において、精子のgsp-4遺伝子の発現が上昇していた。つまり、腸のインスリン経路の下流で、精子が低温適応に関与している可能性が考えられた。
 次に、ASJ温度受容ニューロンの変異と、精子の遺伝子変異の関係を遺伝学的エピスタシス解析と定量的PCR解析で調べた。精子に異常をもつgsp-4変異体は、20℃飼育後に2℃で生存できる異常を示したが、この異常は予想外にも、ASJ温度受容ニューロンの温度情報伝達に関わる三量体Gタンパク質(GPA-3)の変異によってサプレスされた(図3)。さらに、定量的PCR解析から、gsp-4変異体においてodr-1遺伝子の発現が低下していた。これらのことから、遺伝学的に精子の下流に頭部の温度受容ニューロンが位置する可能性が考えられた。

 ASJ温度受容ニューロンの神経活動が、精子の変異によって変化するかを、細胞内カルシウムイメージングで測定した(図4)。プローブとして遺伝子によってコードされているカルシウムインディケーターであるカメレオンを使った。20℃で飼育した野生株に温度刺激を与えたところ、ASJ温度受容ニューロン内のカルシウム濃度の変化が観察された(図4)。一方で、ASJの温度情報伝達に関わる変異体では、このカルシウム濃度の変動が顕著に低下していた(参考文献2)。同様に、精子特異的プロテインフォスファターゼPP1の変異体(gsp-4)では、この温度に対する応答性が低下していた(図4)。このASJ温度受容ニューロンの神経活動の異常は、gsp-4変異体の精子特異的にgsp-4cDNAを発現させることで回復した(図4)。これらの結果から、精子が頭部のASJ温度受容ニューロンの神経活動に影響を与えることが示唆された。また、ASJニューロンから腸をつなぐ情報伝達に関わるステロイドホルモン受容体としてNHR-88とNHR-114が新たに見つかった。


図3 精子遺伝子の変異体の低温適応と、ASJ温度受容ニューロンの遺伝子変異との遺伝学的関係

 精子運動や形成に異常を持つgsp-4変異体は、低温適応が上昇する異常を示す。この異常は、ASJ温度受容ニューロンの温度情報伝達に関わる三量体Gタンパク質のαサブユニットの変異であるgpa-3によって抑圧される。 エラーバーはSEM。**はp<0.01。当該論文より改変して転載。


図4 精子変異体の温度受容ニューロンASJのカルシウムイメージン

 頭部に存在する温度受容ニューロンASJのカルシウム濃度変化の測定。温度受容ニューロンASJ特異的にカルシウムインディケーターであるカメレオンを発現させた系統を用いた。20℃飼育した野生株は温度刺激を与えることで細胞内カルシウム濃度が変化した(カラーグラディエントはYFP/CFPのレシオ変化値)。それに対し、精子特異的プロテインフォスファターゼを欠損するgsp-4変異体では野生型に比べて温度に対するカルシウム濃度の変化が低下した。また、gsp-4変異体の精子特異的にgsp-4cDNAを発現させた遺伝子導入系統では温度に対する応答性が回復した。 **はp<0.01。当該論文より改変して転載。

おわりに

 今回、精子が頭部の温度受容ニューロンをフィードバック調節するという現象が見つかった(図5)(参考文献1)。これまでの結果から、個体内での温度適応の情報伝達モデルとして、以下のモデルが考えられる。まず温度受容ニューロンASJが温度を受容し、インスリンとステロイドホルモンを分泌し腸へ温度情報を伝達する。さらに腸から精子へと情報が送られ、その後、精子がASJ温度受容ニューロンの神経活動を調節していると考えられる(図5)(参考文献1)。この仕組みは精子が減少した個体において、温度受容ニューロンの感度を調節することで、個体として生き残れる方向に調節し、少なくなった精子を次世代により伝達しやすくする仕組みではないかとも考えられる。
 温度適応に精子が関わることが見つかってきたため、飼育温度によってエピジェネテックに温度適応が変化するかについても、興味をかき立てられる。また、これまでの解析から、ASJニューロンから腸への情報伝達はインスリンを介して行われることが分かっている。しかし低温適応において、精子と腸や、精子と神経系をつなぐ分子は分かっていない。現在、ステロイドホルモンの可能性を考え、その受容体である核内受容体NHRを調べている。
 線虫C. エレガンスは下等動物であり、ヒトと共通しない部分も多数あるが、これまでに線虫の研究者が6名ノーベル賞を受賞しているように、ヒトと線虫の間に共通する生体調節メカニズムも多数見つかっているため、高等動物における温度適応メカニズムにおいても何らかの共通性が見つかることが期待される。


図5 低温適応の組織ネットワークモデル

 頭部の温度受容ニューロンASJで受容された温度情報は、インスリンとステロイドホルモンを介してパラレルに腸へ伝達され、精子に影響を与え、その後、精子からASJへのフィードバックが行われると考えられる。

当該論文

Sonoda, S., Ohta, A., Maruo, A., Ujisawa T., Kuhara, A.
Sperm affects head sensory neuron in temperature tolerance of Caenorhabditis elegans
Cell Reports, DOI: 10.1016/j.celrep.2016.05.078, 2016

参考文献

1. Ohta, A., Ujisawa T., Sonoda S., Kuhara, A.
Light and pheromone-sensing neurons regulate cold habituation through insulin signaling in C. elegans.
Nature commun. 5: 4412, 1-12 (2014)

2. 久原 篤, 宇治澤 知代, 太田 茜: 線虫 Caenorhabditis elegans の温度適応を制御する神経と腸を介した情報処理.
比較生理生化学, 32(2): 67-75 (2015)

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