池中先生からのメッセージ

Prof. Ikenaka

分子神経生理部門研究内容の詳細

もう少し具体的なテーマについて、特に平成19年度およびそれ以降の年度に採択されている研究費補助金を中心にお話しします。平成19年度は分子神経生理研究部門として、特定領域研究2件、文部科学研究費補助金基盤研究A1件、同基盤研究B2件、同萌芽研究2件採択されました。

1)神経幹細胞の発生機構

成人神経幹細胞が発見されて以来、この細胞をどのようにして目的細胞に分化させるか、という研究が先行していますが、どのようにして神経幹細胞が産生されるのか、どのようにしてこの細胞を成人になるまで維持できるのか、その数はどのようにして制御されているのか、など神経幹細胞の根本的な理解はまだまだ不足しています。われわれは神経幹細胞の発生機構について理解を深めています。このテーマでいろいろと研究費補助金を獲得してきましたが、今年度は文部科学研究費補助金萌芽研究(成体脳での神経新生を促す微小環境の解明をめざしたスクリーニング系の開発)に採択されました。最近、ストレスが成人神経幹細胞数を現象させることが明らかとなり、ストレスが脳の構築にある程度非可逆的な変化を与えることが考えられます。興味深いことに、気分障害の治療に用いられる薬剤が神経幹細胞数を増加させることも明らかとしました。神経幹細胞数と精神疾患とが関連するものなのか、もし関係があるならどのような分子機構を介しているのか、などに興味をもって研究しています。この研究は特定領域研究・病態脳(課題名:神経幹細胞に対する気分安定薬の薬理作用と作用機序の解析)および文部科学研究費補助金・基盤研究B(気分・情動に対する生体脳神経細胞新生の役割の解析)に採択されています。

2)グリア細胞の細胞系譜

先に話したようにグリア細胞がいろいろな機能を持ち、重要な働きをしていることが明らかになって来たのですが、グリア細胞の分類は極めておおざっぱです。アストロサイト(星状膠細胞)、オリゴデンドロサイト(希突起膠細胞)、ミクログリア(小膠細胞)に分かれている程度です。神経細胞は小脳においてもプルキンエ細胞、顆粒細胞、バスケット細胞、ゴルジ細胞、星状細胞など、別々の呼び方で呼ばれて分類されており、それぞれの機能について議論されます。そこで、グリア細胞の機能を理解しようとする時、アストロサイトの細胞系譜オリゴデンドロサイトの細胞系譜をきっちりと把握し、それぞれの系譜の細胞がどのように機能別に異なるのか明らかにすることが極めて重要なのです。分子神経生理部門ではこのことを組織的に行おうとして文部科学研究費補助金基盤研究Aに申請して採用されました。(課題名:グリア細胞発生ドメインマップの作製−グリア細胞機能多様性の細胞生物学的基盤)平成16年より19年まで4年間きっちりと研究を行います。

3)転写因子による分化機構の調節

神経細胞やグリア細胞に発達段階から多様性があることが段々と分かってきましたが、ではどのようにしてそれぞれの細胞系譜へのコミットメントが行われるのか、次の疑問になります。現在、分化誘導は数種の転写因子の働きによって遺伝子発現を調節することで起こると考えられています。われわれもOlig1, Olig2, Olig3といった新しい転写因子群を発見し、その遺伝子ノックアウト動物の解析を行っています。Olig2やOlig3のノックアウトマウスの解析は論文として発表しました。Glial cells missing (gcm) 遺伝子に関しても神経発生における役割を解析しています。文部科学研究費補助金萌芽研究(Glial Cells Missing遺伝子ノックアウトマウスにおけるグリア細胞産生)が採択されました。研究室内ではDNAマイクロアレー解析も動いているので、今後も新しい分化に関与する転写因子を発見していきます。

4)細胞移動の制御機構

神経細胞やグリア細胞は神経幹細胞から産生された後、自分の最終目的地まで移動します。この距離は非常に長いものになることもあります。例えば大脳皮質のオリゴデンドロサイトは線条体になる領域で生まれ、長い距離を移動して大脳皮質に至ることが明らかにされました。どのようにして細胞が自分の生まれたところから最終目的地へ到達できるかを研究することは、脳の構築原理を知る上で最も重要なテーマの一つです。オリゴデンドロサイトや菱脳唇に由来する神経細胞をモデルとしてきましたが、さらに脳室層内での細胞の位置変化 (ventricular mixingと呼ばれています)にも注目しその制御機構を明らかにしています。このテーマは文部科学研究費補助金基盤研究B(Ventricular mixingの意義と制御機構)に採択されました。これまでに、オリゴデンドロサイトの限局した起源とその後の移動や、菱脳唇に由来する細胞の正中交叉移動を、実験形態学的に明らかにしています。このような細胞の動きの解析から、脳の機能的な組織構築形成における細胞移動の共通原理を探ろうとしています。この課題は機構内連携研究に取り上げられ、「脳室層細胞のmixing運動とjunctional complexの解析」のテーマで参加しています。

5)神経回路網形成の制御機構

細胞移動により組織構築の大枠が形成されると、これを連絡する神経回路網の形成が必要となります。回路網形成は、神経細胞の軸索の伸長によるもので、細胞表面分子や分泌性分子により制御されています。これまでに多くの分子が報告されており、これらの分子が厳密なタイミングで発現を始め、また発現を終えることにより、神経突起の伸長にgoもしくはstopシグナルを提供しています。脊髄神経節を始めとする感覚性伝導路をモデルとして、回路網形成の制御機構を明らかにしきました。今後は、精密な形態学的解析をベースに回路網形成と細胞移動との相互作用を明らかにすると共に、転写因子による回路網形成の制御機構にも注目して行きたいと考えています。これまでの研究課題に対して、多くの研究助成を受けて来ました。あわせて、関連領域の研究者との連携により研究を広げています。

6)アストロサイトと精神疾患との関わり

グリア細胞の一種であるアストロサイトは神経回路網にいろいろな影響をあたえることが分かってきました。特に神経回路網間の連絡をしている可能性があります。このように大事な機能を有するアストロサイトですが、アストロサイトの異常に端を発する精神・神経疾患はごく少数しか見つかっていません。神経変性疾患では神経回路網そのものを働かなくなるのに対して、アストロサイトの機能異常ではよりマイルドな神経回路網間の統合の異常が生じるのではないかと予想されます。しかもアストロサイトは再生可能ですので、可逆的な変化であることも予想されます。一方、精神疾患の多くは、再発と寛解を繰り返すという経時的な特徴(可逆的変化?)と、明らかな行動・情動の異常(神経回路間の統合異常?)を呈します。そこで、アストロサイトと精神疾患の関わりについて研究しています。特定領域研究・グリア神経回路網においてアストロサイトの病態モデルを作製し、解析しています。

7)脱髄性疾患の病態解明および治療法の開発

当部門ではミエリンプロテオリピド蛋白質遺伝子(このものはミエリン構成蛋白質です)を過剰発現させるマウスを作製しました。このマウスは、ひとたび形成されたミエリン(髄鞘)膜が壊れていく病態、すなわち脱髄性疾患の良いモデルです。脱髄性疾患の治療法の開発を目指し、このモデルマウスを用いて、神経幹細胞を移植したり、内因性の神経幹細胞を刺激したりしています。

8)糖蛋白質糖鎖発現制御機構の解析

われわれが開発した方法でN−結合型糖蛋白質糖鎖を解析すると驚くべき事が分かってきました。人の脳でも(マウスの脳でも)糖蛋白質糖鎖発現パターンにほとんど個人差がないのです。(ヒト-マウス間も!)一つの糖鎖結合部位に結合している糖鎖でもバラエティーがあるので、この発見は本当に信じられないことでした。糖鎖の生合成過程は20段階ほどあり、それぞれ別々の遺伝子でコードされた酵素蛋白質が関与しています。どのようにしてこのように複雑に生合成されるものを一定に維持するのか、またそれが一定に維持出来ない時どのようなことが起こるのか興味をもって研究しています。最近、糖鎖構造決定の微量化に成功し、1μgの糖蛋白質から糖鎖構造を決定できるようになりました。また、この系を用いて三菱化学株式会社と共同研究を行っています。テーマは「癌の早期診断のためのマーカー探索研究」です。

同じ年齢のヒト脳の糖鎖発現パターンは保たれていますが、発達過程においてはダイナミックに変化することも分かってきました。それでは積極的に糖鎖発現パターンを変えたら、神経発生にどういう影響が現れるのか興味がわいてきます。