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2013年12月 伊佐 正 |
SfN所感 もうしばらく経過してしまったが、今年の北米神経科学学会(SfN; 11月9-13日)はSan Diego(写真)。 SfNの期間中は、勿論自分たちの発表、そしていろいろなトークやポスターでの情報収集もあるが、いろいろな人と会うスケジュールが目白押しになる。夜については、最初と最後の夜は研究室の皆や日本人の知己の人たちと食事に出かけたが、後はsection editorを務めているjournalの編集会議とdinner、研究支援財団のdinner。これから共同研究を始めるグループとの会食。昼は昼、午後は午後で毎日会場内ないしは会場周辺で色々な人とのmeeting & discussion。例えば共同研究者との論文の相談、データについてのdiscussion、研究員候補者との面接等々。勿論skypeでもある程度できるのだけれど、face-to-faceでのdiscussionに勝るものは無い。相手も様々で、世界をまたにかけるそれぞれ一国を代表するような研究者達から独立したての若い米国人のPI、長年米国にいたのだけれど何とか帰国してPIになろうとしているアジア人のポスドク・・・・。SfNという場所には、皆、神経科学の研究での新しい発見を純粋に目指しながらも、それぞれ色々な形での現実の問題(論文をどうやって通すか、動物実験反対運動への対応、研究費、人、ポジション、家族・・・)と日々格闘している人たちの膨大なエネルギーが集まる場所である。そういう空気に触れていることが自分は嫌いではないのだなとも思ったりする。一方、こういった合間にメールベースや、会場で日本人同士で会って、日本の用事のあれこれも同時並行でこなさなくてはいけないのはなかなかタフなのだけれど。 最近思うことだが、よく自分が経験した部分だけを見て十派ひとからげに「アメリカは・・・日本は・・・」と言う人がいるが、実際には米国といってもHarvard, Stanfordといった中核にいる人たちと地方の州立大学では環境も研究者のマインドも大きく違う。学生・ポスドクの質も大きく違う。ヨーロッパもそれぞれの国での違いもあるが、ここもやはり国の中で様々である。むしろ近頃はそういった差の方がアメリカ、ヨーロッパ、日本の違いよりも大きいのではないかとさえ思うこともある。globalなレベルでの人の動きがそうさせているように思う。今回よく耳にしたのが、アメリカの研究費の逼迫状況で、RO1の採択率の低さや昨今の政府機関のshut downがアメリカの、特になかなか取りにくくなった人々のメンタリティに与えている影響がとても大きいような印象を受けた。また、米国のシステムにおいては、funded PIとfundされなくなった人、ポスドク、学生のヒエラルキーがとても明確であるように思う。お互いをfirst nameで呼び合う表向きの親密さとは別に、それぞれの研究内容に対する裁量・自由度の範囲が厳格であり、皆その役割分担にとても忠実に見えるのに対し、一部の日本のラボの方がPI、助教クラス、ポスドク、学生の敷居が低いと思われる場合も散見される。また米国の研究費での申請内容による縛りの強さに対して日本の科学研究費の方が当たってからの自由度が高いのではないかと思わせることも多い。それは決して悪いことではない(と彼らも言っている)。一方で、勿論言語の問題が大きいのだけれど、まだまだ日本の研究者達は本来の学力の高さを研究に活かし切れていないのではないか、と思うこと、つまり大学、大学院レベル以降の教育がそれぞれの個人の能力を十分に活かす方向に機能していないのではないか、という点は相変わらずかなと思う・・・システムの問題もあるが、まあ私は私にできることをやっていくしかないのかな、といつも思ってしまうのだけれど・・・
「ご挨拶2013年11月」 |
伊佐 正 教授 ![]() |
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