平成27年度~31年度 文部科学省科学研究費補助金新学術領域研究(研究領域提案型) 温度を基軸とした生命現象の統合的理解(温度生物学)

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温度生物学トピックス

皮膚からの温度情報に反応して体温を調節する中枢ニューロンの同定

文献紹介者;名古屋大学 大学院医学系研究科 統合生理学 教授
中村 和弘

紹介論文:
Warm-sensitive neurons that control body temperature.
Tan CL, Cooke EK, Leib DE, Lin YC, Daly GE, Zimmerman CA, Knight ZA.
Cell (2016) 167:47–59.

 体温は脳からの指令によって制御され、その中枢は、視床下部の一部である視索前野にある。この体温調節中枢には、皮膚の温度センサーで感知した環境の温度情報が伝達され(Nakamura and Morrison, Nature Neurosci, 11:62, 2008; PNAS, 107:8848, 2010)、その情報と深部体温の情報が統合されることにより、この中枢から様々な体温調節反応の指令が出力される。その結果生じる調節反応としては、筋肉のふるえ熱産生、褐色脂肪組織の代謝熱産生、皮膚血管の収縮(皮膚血流を調節することで体から環境中へ放散される熱の量を調節する)、発汗などがある。これまでに、こうした体温調節機能を担う脳の神経回路システムの骨格が明らかとなってきた(Nakamura, Am J Physiol, 301:R1207, 2011)。しかし、このシステムの司令塔である視索前野の中でどのような情報処理が行われているのかは知られていない。その一因として、視索前野の中で体温調節を担う神経細胞を同定するための分子マーカーがわかっていなかったことが挙げられる。

 今回紹介するTanらの研究では、マウスを暑熱に曝露し、活性化された神経細胞でリボソームS6蛋白質がリン酸化されることを利用して、暑熱曝露後の視索前野からリン酸化S6蛋白質を免疫沈降し、それに結合したmRNAの配列を調べた。その結果、特に高い発現が見られた2つの神経ペプチド遺伝子、pituitary adenylate cyclase-activating polypeptide (PACAP)とbrain-derived neurotrophic factor (BDNF)を同定した。そして、視索前野の中でも正中部と腹側部に、この2つの遺伝子の両方を発現する神経細胞群が多数分布することを見出した。Fiber photometryを用いたカルシウムイメージングによってこの神経細胞群の活動を測定すると、マウスに約30°C以上の暑熱刺激を与えたときに活動が上昇することがわかった。この温度閾値は、マウスが暑熱逃避反応を始める温度と良い一致を示す。一方で、25°C以下の冷覚刺激を与えても活動に変化が見られなかった。また重要なことに、視索前野には脳組織自体の温度上昇を直接感知して発火活動が上昇する温ニューロン(warm-sensitive neuron)が存在し(Nakayama, Science, 134:560, 1961)、これによって深部体温を反映した体温調節を実現していると考えられているが、今回同定した神経細胞群に温度感受性は見られなかった。したがって、この神経細胞群は皮膚からの温覚の入力に反応するが、深部体温を感知する役割を担うものではないとみられ、論文タイトルの“warm-sensitive neuron”を同定したような表記はミスリーディングであると感じる。一方、別の最近の論文(Song et al., Science, 353:1393, 2016)では、TRPM2チャネルを発現する視索前野の神経細胞群が温感受性を持つことが報告された。しかし、TRPM2欠損マウスの体温調節に異常がないことから、体温調節に機能する温度感受性ニューロンの実体についてはまだ明らかになったとは言えない。

 しかしそれでも、Tanらが同定したPACAP/BDNF発現神経細胞群は体温調節機能を持つことが明らかとなった。光遺伝学の手法を用いて、この神経細胞群選択的にその活動を活性化すると、褐色脂肪組織での熱産生が抑制されるとともに、皮膚血流が増加(熱放散が増大)し、深部体温が低下した。これは、暑熱環境で起こる典型的な体温調節反応である。この神経細胞群は軸索をいくつかの興味深い脳領域へ投射することがわかったが、Tanらはその中でも褐色脂肪熱産生に関与する視床下部背内側部へ伸びる軸索終末を選択的に光刺激した。その結果、褐色脂肪熱産生が抑制されたが、皮膚血流の増加や温度選択行動の変化は生じなかった。皮膚血管の調節は延髄への神経伝達を介するのではないかと考えられる(Nakamura et al., J Neurosci, 22:4600, 2002)。視床下部背内側部へ信号を送るPACAP/BDNF発現神経細胞群の大部分は抑制性神経伝達物質GABAを放出するものであった。これらの結果は、視索前野からの下行性の抑制信号のトーンを増減させることによって熱産生やその他の体温調節反応を微調整するという、これまでに私達が提唱してきた神経回路モデル(Nakamura Am J Physiol, 301:R1207, 2011)を支持するものである。

 この論文の特段の新規性は、視索前野が行動性体温調節に関わることを明確に示した点にある。暑いときに涼しい場所を探すなどの体温調節行動の発現に視索前野が関与するかについては、否定的な論文(Almeida et al., PLoS One, 1:e1, 2006)もあり、これまで議論が続いていた。今回、PACAP/BDNF発現神経細胞群を選択的に光刺激するとマウスが寒冷環境を選択するようになることが示され、視索前野のこれらの神経細胞群が行動性体温調節に関わることが明らかとなった。褐色脂肪熱産生や皮膚血流調節などの自律性体温調節と行動性体温調節が同じ神経細胞群によって制御されることは生理学的に理にかなっていると考えられる。一方で、今後の研究に向けた、数多くの新たな疑問が生じてくる。例えば、こうした多様な体温調節反応の調節に関わるこの神経細胞群が上位の神経細胞からどのように制御されるのか?その仕組みの中で、深部体温の情報はどのように統合されるのか?この神経細胞群からどのような神経伝達が行われて体温調節行動が生み出されるのか?今後のこの研究分野の大きな発展が期待される。

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