平成27年度~31年度 文部科学省科学研究費補助金新学術領域研究(研究領域提案型) 温度を基軸とした生命現象の統合的理解(温度生物学)

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温度生物学トピックス

イヌイットのゲノム解析から示唆されたヒトの寒冷適応進化の証拠

文献紹介者;東京大学大学院新領域創成科学研究科 准教授 中山一大

 我々ヒトの祖先は、その進化の過程の大部分をアフリカの森林やサバンナですごしてきた。アフリカ大陸で誕生したヒトは、およそ7万年前からアフリカ外への移動を本格化し、1万5千年前には極寒のベーリング海峡を超えてアメリカ大陸に到達した。暑熱環境に適応してきた生物であるヒトが、氷河期の北極圏に進出できた要因として、寒冷環境への遺伝的適応を果たしたことが考えられている。そのような過去の遺伝的適応の痕跡は、特徴的なゲノム多様性のパターンとして、現代のヒト集団の中にも受け継がれている。
 イヌイットは北極圏に適応した代表的なヒト集団で、伝統的に海獣類や魚介類を狩猟採集して生計を立てている。生理人類学的な研究から、彼らは代謝性熱産生を亢進させることによって寒冷環境に適応していることが示唆されており、この特徴は彼らの祖先が寒冷環境に適応することによって発達したものである可能性が指摘されてきた。Racimoらは、グリーンランドで生活するイヌイット191人に対してゲノムワイドな一塩基多型(SNP)の遺伝型判定実験を実施し、世界中のヒト集団との多様性パターンの相違を調査することにより、イヌイットの祖先集団が特異的に経験した適応進化の痕跡を同定しようと試みた。Population branch statisticsという、ゲノム多型の遺伝型頻度の集団間比較に基づき自然選択を検出する解析の結果、1番染色体短腕上で隣り合って存在するTBX15WARS2遺伝子の近傍のSNP群が、イヌイットの祖先集団で正の自然選択を受けた可能性が浮上した。TBX15は褐色脂肪細胞やベージュ脂肪細胞の分化に寄与することが報告されている転写因子をコードしている。ヨーロッパ人を対象としたゲノムワイド関連解析研究から、同遺伝子近傍のSNPが、体脂肪分布の個人差と強く関連していることが報告されているため、Racimoらは、これらのSNP群がイヌイットの祖先集団で褐色脂肪組織やベージュ脂肪組織の熱産生の亢進を通して、寒冷環境への適応に寄与している可能性を提示している。さらに、これらのSNPのハプロタイプ(同一染色体上の複数の多型におけるアレルの組み合わせの型)を精細に解析したところ、イヌイットで自然選択を受けたハプロタイプは非常に古い起源を持っており、デニソワ人として知られる化石人類との混血によってヒト集団中にもたらされた可能性が高いことが明らかになった。デニソワ人は、アルタイ山脈のデニソワ洞窟で発掘された化石人類で、超並列シークエンサーによるミトコンドリアおよび核ゲノム解読が成功しており、およそ60~70万年前にヒトと分岐したことが明らかになっている。デニソワ人はヒトよりも早い時代に高緯度地域への進出を果たしており、TBX15近傍のSNP群は、デニソワ人においても寒冷環境への適応に寄与していたのかもしれない。

紹介論文:
Racimo F, et al.
Archaic Adaptive Introgression in TBX15/WARS2.
Molecular Biology and Evolution. 34:509-524. 2017

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