ご挨拶

2008年11月   伊佐 正 

11月になりました。
あっという間に今年もあと2か月です。
先週29-31日と新しく始まった脳科学研究戦略推進プログラムの分科会とワークショップを京都で開催しました。課題A,Bの「BMI」では実験脳科学、臨床医学、計算論、デバイス開発など、課題Cの「霊長類モデルの開発」においても神経生理学、神経解剖学、分子遺伝学、発生工学、ウィルス学という幅広い分野を融合して研究を推進することが、もうお題目ではなく必要不可欠な前提となっています。従って会合は、本当にヘテロな人たちがヘテロな話題を紹介しあうという、ダイナミックで頭の中を引っ掻きまわされるような楽しいものでした。このように、脳科学の中で異なる階層をつなぐ研究をするだけでなく、さまざまな異分野との融合、というのが今後の脳研究には欠かせない一つの流れであろう、ということを強く実感します。現在文部大臣の諮問によって設置された脳科学委員会の作業検討部会でとりまとめている今後の脳科学の推進のための報告書でも、このような異分野融合はひとつの柱として議論されています。
会でいろいろな話を聞いていると、鳥瞰的に、広くいろいろな分野を見渡して理解するためには、ある程度詳細がわからなくても、まずはこだわらずに「スルーしてしまえる」能力も必要だと思います。一方で、一つ一つのことの詳細をきちんと押さえなくてはいけないと思う自分もます。このように、「スルーできる能力」と「スルーしない力」をうまく組み合わせることが、異分野融合を行っていくためには強く求められるように思います。昨日までの会合で会った大学の2年後輩のJ大学のKさんから「医学生だったころは、医学部の勉強はわからないところは取り敢えずスルーしないと、覚えなくてはいけない膨大な情報を処理しきれないので、そればっかり身につけてしまって困ったことだなあと思っていたのが、大学院に入ってやっときちんとものを考えられるようになった。けれど最近またスルーすることばっかりで・・・」とお互いに苦笑いをして話していました。以下は私見ですが、どうやればこのように「概略を大づかみにする能力」と「詳細をきちんと押さえる能力」をうまく組み合わせる力を養えるか、というと、それは本来大学の教養学部レベルや高校くらいで習ういわゆる「リベラルアーツ」をいかに学んだかが重要だと思うのです。実は私は今そこで少々苦労しています(だからこそ申し上げるのですが)。そこでは何でこんなに役に立つかどうかわからないようなことをやるのかなと思いがちですが、広くいろいろなことを習うというのはそういう頭の訓練なのだと思います。これまで個体の脳の働きを詳細に研究していたのが、いきなり「社会脳」のパラダイムを考える、なんていう切り替えはまさしくそういうことです。・・・ということで、ここで少し次元を変えて私が言いたいのは、一時期大学改革と称して教養部をなくしてしまったり、大学の入試の科目を減らしてしまって高校で習うことの幅を狭めてしまったことが、今後の科学の発展や社会に貢献する人材の育成という意味で大変まずいことだったのではないか、ということです。思えばこの10-20年間、様々な「改革」が大学や研究者の社会では行われてきました。例えば、大学の医学部でも旧来の講座名を廃して本当にもともと何だったのかわからないような名前に変えられてしまいました。「生理学教室」をやめて「統合機能生物学講座」にしたりとか(これはまだましな方)・・・しかし、近年、従来の「生理学教室」「生化学教室」「解剖学教室」に戻してしまった大学もいくつか出てきていると聞いています。明治維新後、貧しい状況を何とかして欧米先進国に追いつき追い越そうと懸命に努力してきた先人達が作り上げてきたシステムが本当にそんなに悪かったのか?・・・・と、いわゆる一連の「改革」の功罪について一度見直し、現代の文脈で本当の人材育成のあり方を考え直す時期に来ているのではないか、と思うこの頃です。

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 伊佐 正 教授 
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