ピックアップコンテンツ
ブレイン・ミステリー

第10回 生き物らしさとは何か?

2010.1 vol.13

東京大学 立花隆ゼミ 酒井寛

これまで「ブレイン•ミステリー」では、さまざまな脳に関する研究、それによって解き明かされた脳の不思議な働きについて紹介してきました。脳にまつわるいろんなミステリーを解明するには、それを解き明かそうとする研究者の努力と情熱が不可欠なのですが、もうひとつ重要なものがあります。それは“技術”です。これまで紹介したノックアウトマウスであると遺伝子を操作するための“技術”、また脳のなかのどの部分が活動しているのかを詳しく調べることの出来るfMRIやMEGという脳のなかを測定する“技術”など、脳の不思議にせまり、それを解明するには不可欠なものです。今回はそんな“技術”の開発し、日々改善の努力をしている研究者を紹介します。

「二光子励起顕微鏡」って?

bm10_1.jpg

顕微鏡と言えば、小さいものを大きく拡大して見るというみなさんもなじみの深い器具だと思います。今回紹介する根本先生はある「特殊」な顕微鏡を使うことで、これまで誰も出来なかった「生きている生物の脳の奥深くまで、細胞一つ一つの様子を分かりやすくきれいに見る」ことに成功したのです。

図を見れば分かるのですが、非常に綺麗な写真ですね。この写真が賞を取ったというのも納得です。この写真は多くの種類がある顕微鏡の中でも「二光子励起顕微鏡」というもので撮られたものなのです。これまで見れなかったものを見ることを可能にし、なおかつ美しい映像を撮れる「二光子励起顕微鏡」とは一体どのようなものなのでしょうか?

(1)蛍光
まずは蛍光についてです。物質は普段は「基底状態」という状態なのですが、紫外線や可視光線(目に見える光のこと)などを照射して一定以上のエネルギーを与えると「励起状態」という状態になります。そしてそれが元の状態に戻るときに吸収したエネルギーを放出するのですが、そのエネルギーが私たちの目に見える光として放出されることがあります。それが「蛍光」です。専門的で難しい説明をしてしまいましたが、分かりにくかった人は簡単に「蛍光を出す物質に光などを使って一定以上のエネルギーを与えると、蛍光が出る。」と覚えてもらえれば十分です。蛍光を利用した顕微鏡は、蛍光を出す物質を観察したいものにくっつけて、そしてレーザーを当てるとそのときに出る光を見ているのです。

(2)「光子」
「光子」とは光の粒のことです。レーザーや紫外線などの「光」は、この光子がそれぞれ独特の規則性のある震え方をしながら前に進んでいるものとかんがえられていて、この光子を吸収するとその光の持っているエネルギーが吸収した物質に与えられます。

ではいよいよ「二光子励起顕微鏡」の特徴についてお話します。この顕微鏡の大きな特徴は、これまでの蛍光を利用した顕微鏡は、蛍光を起こすのに十分なエネルギーを持った光子1つを蛍光物質に吸収させて蛍光を起こさせていました。しかし二光子励起顕微鏡は「フェムト秒パルスレーザー」という超短時間(なんと千兆分の1から十兆分の1秒!!)のみエネルギーをもつ特殊なレーザーを使い、またさらにそのレーザーをレンズでうまくコントロールして観察の対象に当てることで自然には普通は起こるはずの無い「2つの光子を同時に蛍光物質に与えて蛍光を起こさせる」現象を起こすのです。なぜ、わざわざ2つの光子を特殊なレーザーを使い、またわざわざ巧みなレンズ操作を行って蛍光を起こさせるのでしょうか?

我々の体は、目に見える光よりも長い波長(エネルギーの低い)の赤外線の方を良く通します。脳は細胞でつくられた層が重なった構造をしているので、どのように細胞が層を作っているのかを細かく観察するためには深くまで観察せねばなりません。しかしエネルギーの強いレーザーを用いる場合は、私たちの体のあまり深くまで観察できない上に、強いエネルギーを与えるせいで観察したいものを傷つけてしまう可能性もありました。

bm10_2.jpg

二光子励起顕微鏡はそういった様々な問題を解決しながら観察が出来ます。なぜなら2つの光子を同時に蛍光物質に吸収させる二光子励起顕微鏡の場合は、一つの光子が持つエネルギーは蛍光を起こさせるのに必要なエネルギーの半分でよいのです。エネルギーの低いレーザーを使えば、これまでに比べて深いところまで光をとどけることができます。深い、といってもなんと1mm程度の深さなのですが、これまで50μm程度の深さまでしか観察できなかったのに対して20倍も深いところを観察できるわけです。また超短時間しかエネルギーをもたないフェムト秒パルスレーザーを使うおかげで、観察する対象にかける負担も少ないので、対象を傷つけにくくなるメリットもあるのです。そんなフェムト秒パルスレーザーですが、エネルギーを持つ時間、つまりはエネルギーをもつ光子の密度が高い時間が非常に短いのでレンズやレーザーを巧みに操作して、ピンポイントで二光子の吸収がおこるのに十分な光子密度をつくらなければならないという大変繊細で難しいコントロールが必要になります。しかし根本先生は見事にこのコントロールを達成し、二光子励起という特殊な現象を起こすことに成功したのです。

二光子励起顕微鏡は特殊レーザーをうまくコントロールすることによって、「細胞を傷つけにくい」「深いところまでレーザーが届くので観察したいものが厚くても深い箇所を観察することができる」「2つのレーザーを使うので、一定以上のエネルギーを与える場所をピンポイントで操作できる」という利点を持っていて、生きている生き物の体を観察するのに最適な道具としてあるのです。その二光子励起顕微鏡を巧みに使いこなして、様々なこれまで不可能であった観察を可能にしてきた根本先生は「光使いのマジシャン」と言ったところでしょうか?

ではここで二光子励起顕微鏡があったからこそ達成できた、根本先生も協力した研究のひとつを紹介します。

「ミクログリア細胞の働きを解明」

ミクログリア細胞、というのはほとんどの人が初めて聞く名前であると思います。実はこれは脳のなかに非常に多くある細胞のことで、その数はなんと脳の神経細胞の50倍である言われています。このミクログリア細胞は傷ついた神経細胞の治療や不要になった神経細胞の除去を行っている、いわば「脳のお医者さん」であると考えられてきました。しかしこれまで誰もグリア細胞が具体的にどのようにして神経細胞を"治療"しているのかを確認することは出来ませんでした。そこで二光子励起顕微鏡の登場です。観察した結果、ミクログリア細胞は脳のつなぎ目であるシナプスを一時間に5分間、あたかも聴診器をあてて調べているかのように直接触り、傷ついたシナプスについてはなんと1時間もまるでじっくり調べているかのように触って検査している様子が確認されました。この発見は、二光子励起顕微鏡を使ったからこそ出来たものであると言えます。二光子励起顕微鏡は生きている生き物が観察する対象であっても観察できる上、脳の深い部分まで鮮明に見ることができるので、生きている状態でなければ見ることができないグリア細胞の実際の"治療"の様子を見ることができたのです。

根本先生の疑問 ~「生き物らしさの本質」って何なんだ?~

bm10_3.jpg

光を巧みに扱って、これまで見ることの出来なかった「生きている動物の体内での細胞の活動」の観察を可能にしてきた根本先生。「生き物らしさというものの本質を知りたい。生きているものと死んでいるものの違いは何なのか、その疑問に対して『光を使った新しい神経科学』をつくることで答えを見つけたい」と先生は語ります。光を武器に脳の機能ばかりではなく、「生き物らしさとは何か?」という壮大な問題に立ち向かおうとしている根本先生の挑戦と冒険はこれからも続きます。

ブレイン・ミステリー 過去のアーカイブ