ご挨拶

2009年6月   伊佐 正 

5月18日に私の留学先の先生だったAnders Lundberg先生が亡くなられたとの知らせを受けました。89歳でした。
ご存知の方も多いと思いますが、Lundberg先生は脊髄の神経生理学の大家、というよりは20世紀を代表する神経生理学者の一人であったと言っても過言の無い人で、その魅力的なお人柄と活発な研究活動で世界中から多くの研究者をスウェーデンのイェテボリ大学にひき寄せ、Sherrington-Eccles-Lundbergと続く脊髄神経生理学の大きな流れ、school(学派)を形成した人でした。Lundberg先生の経歴と、業績の中でも特に歩行中枢の部分に関する部分は昨年のBrain Research Review誌に弟子のDouglas Stuart教授(アリゾナ大)とHans Hultborn教授(コペンハーゲン大学)の2人によって発表された総説:
Stuart DG, Hultborn H (2008) Thomas Graham Brown (1882--1965), Anders Lundberg (1920-), and the neural control of stepping. Brain Res Rev 59: 74-95.
の中でGraham Brown博士の業績とともに紹介されています。
Lundberg先生は1920年にスウェーデンのイェテボリに生まれ、ルンド大学で医学を学びました。医学生の時には、夜中にスウェーデンの浜辺で当時ナチス占領下であったデンマークから逃れてくるユダヤ系デンマーク人を救援する活動に従事し、戦後デンマーク国王 Frederick9世から感謝のメダルを授与されました。このようにとても「熱い心」を持った人なのです。
大学院はストックホルムのカロリンスカ医科大学で後にノーベル医学生理学賞を授与されるGranit教授のもとで交感神経節における神経線維の特性に関する研究を行い、1949-50年には米国ニューヨークのロックフェラー大学のLorente De No教授のもとに留学します。Lorente De Noとの共同研究はあまり上手くいかなかったようですが、そこで隣の研究室におられた脊髄の信号伝達に関する研究で著名なDavid Lloyd教授とそこに留学していた、後に筋紡錘の研究で著名な業績を挙げるフランスのLaporte博士との交流を通じて、その後Lundberg教授が脊髄の研究に移るきっかけを作ることになります。スウェーデンに帰国後、カロリンスカ医科大学では交感神経節におけるシナプス伝達に関する業績を挙げ、母校のルンド大学の助教授になります。そしてルンドに移動後、神経接合部やさまざまな神経節における信号伝達に関する細胞内記録法を用いた研究でその名を知られるようになり、さらにLaporte博士の協力を得て、脊髄の神経回路に関する研究を開始しました。そして1956-57年に当時世界の脊髄研究にとどまらず神経生理学のメッカであったオーストラリアのキャンベラのEccles教授のもとに留学し、脊髄反射回路の研究に従事します。Eccles教授もその後ノーベル医学生理学賞を授与されましたから、Lundebrg先生はGranit, Ecclesという2人のノーベル賞受賞者に師事したことになります。その後、ルンド大学に戻り、1961年にイェテボリ大学に移り、そして世界中からの研究者を集めて巨大な脊髄研究学派をそこに形成することになります。業績は多岐に亘りますが、ひとつにはそれまでのSherringtonによる、「運動ニューロンをfinal common pathwayとする」運動制御に関するそれまで支配的であった概念(図2B)を革新したこと、つまり図2のように脊髄介在ニューロン系に対する入力の収束を解析する手法(図2A)を駆使して上位中枢からの下行路と末梢からの入力を明らかにし、「下行路は脊髄反射を調節する、ないしは末梢からの入力によって中枢からのコマンド修飾を受ける」という今日誰もが疑うことにない概念(図2C)を確立したことにあります。上述の総説には、薫陶を受けた14名の大学院生と61名の共同研究者・弟子の名前が記されていますが、そこには故Olov Oscarsson, Sten Grillner, Hans Hultborn, Bengt Gustafsson, Bror Alstermarkといった綺羅星のように続く大学院生とともにElzbieta Jankowska他著名な研究者が共同研究者・弟子として並んでいます。日本人も本郷利憲先生、故有働正夫先生、田中励作先生、佐々木成人先生、そして私は一番最後のあたりにつらならせていただいています。
1988-90年に私が留学したときにはLundberg先生は既に定年は過ぎておられ、私は先生が少し小さめの研究チームを維持しつつ研究者としてactiveに仕事をされていた一番最後の時期に指導を受けたことになります。研究室も全盛期は過ぎていたのかと思う気持ちも幾分ありましたが、その厳しくも暖かく、一方で若々しくダイナミックな発想を巡らされる研究者としての人となりに接することができたのは私のかけがえのない一生の財産であり、今日も私の研究者としての背骨になっています。今回悲しいお別れをすることになってしまいましたが、先生のご冥福を祈りつつ、先生のような立派な研究者になって少しでもご恩に報いたいと今更ながらに思う次第です。

 (図1)Lundberg先生(40歳代と80歳代)              (図2)脊髄介在ニューロンに対する入力の収束

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 伊佐 正 教授 
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