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他者からもたらされる情報を統合する脳内部位を特定
− 他者の感情を推測する脳内神経機構の解明へ向け一歩前進 −

プレスリリース 2015年11月 5日

内容

 他者の感情を推測する能力は、社会を形成し、他者と共生をしていく上で大切な能力と言えます。他者が自分へ向ける感情を可能な限り正しく理解するため、我々は顔の表情や身振りなどといった、相手の様々な外的情報を統合し、判断・推測を行っています。このように他者の様々な情報をまとめ、他者の感情を推測する一連の認知判断処理活動は、脳のどの部位の働きによってもたらされるのか、その詳細は殆どわかっていません。今回、生理学研究所の高橋陽香(総合研究大学院大学院生(当時))、北田亮助教、定藤規弘教授の研究グループは、他者が「悲しんでいる」と推測される状況に焦点を当て、顔の表情と流れる涙の描写から得られる悲しみの情報を脳内で統合し、推測に至る過程の脳活動を、機能的磁気共鳴画像法(functional Magnetic Resonance Image:fMRI)(用語1)を用いて計測しました。結果、他者が悲しんでいると推測している際、大脳皮質の内側に位置する内側前頭前野や楔前部・後部帯状回などといった部位が、顔の表情と涙の描写の情報の統合に重要な役割を担っていることを明らかにしました。本研究成果は他者の感情を推測する上で、他者から得られるさまざまな情報を統合するために重要な脳部位を世界で初めて同定した研究であり、今後「他者の感情は脳のどこで、どのように推測されているのか」、その全容を解明する上で重要な一歩となると考えられます。

研究の背景

 他者の気持ちを可能な限り正しく推測しようとすることは、我々が社会生活を営む上で非常に重要な能力のひとつです。しかし相手の気持ちを正確に理解することは非常に困難であるため、我々は常に相手の表情や行動などから相手の気持ちを理解するためのさまざまな手がかりを探し、その手がかりを頼りに感情を推測しながらコミュニケーションをとっています。例えばスポーツ競技場などで涙を流している人がガッツポーズをしていれば、それはテレビ越しであったとしてもその人物の感情が喜びに溢れていると推測できますし、反対に涙を流している人がうなだれていれば、その人物が悲しんでいると推測できます。このように他者から発せられる多種多様な情報(涙・ガッツポーズ・うなだれた姿勢など)をまとめあげる(統合する)過程は、相手の感情を推測する上で特に重要であるといえます。
これまでの脳研究では、相手の感情の推測には多くの脳部位が関わることが知られていました。中でも大脳皮質の内側に位置する脳内側部に位置する前頭前野と楔前部・後部帯状回、そして外側部に位置する側頭-頭頂接合部が形成するネットワークが、感情の推測を行う上で重要であると考えられています。しかしこのネットワークのうち、他者から発せられる様々な情報を統合する際に必要な脳部位の詳細については、これまでよく分かっていませんでした。そこで本研究では、他者が「悲しんでいる」と推測される状況に焦点を当て、他者の顔の表情と流れる涙の描写の情報を統合し、悲しみの感情が推測される過程の脳活動を調べました。

研究の内容

 61名の健常成人女性を対象に実験を行いました。被験者にはfMRIの計測中さまざまな他者の顔の画像を呈示し、相手の悲しさの度合いを回答してもらいました。呈示した顔の画像の表情は「悲しい表情」と「無表情」の2種類であり、さらに各々の表情に「涙の描写がある場合」、「涙に似た黒丸が描写された場合(偽涙)」、そして「何も描写されていない場合」の3条件を加えた、計6種類の画像を呈示しました。(図1)。
結果、悲しい表情の顔を呈示した際、大脳皮質の内側に位置する内側前頭前野と楔前部・後部帯状回が強く活動することがわかりました。この活動は特に涙の描写を付与した際に強く現れるだけでなく、これらの脳活動部位において「悲しい表情」と「涙の描写がある場合」の間で相乗効果(用語2)を示しました(図2)。相乗効果は、悲しみ表情と涙の情報が統合されていることを示唆しています。
これに対し大脳皮質の外側部ではこのような相乗効果はみられず、涙の描写がある画像を呈示した際にのみ活動が確認されました。以上の結果から、顔の表情と涙の描写の統合には、脳の内側部が重要な役割を果たしているといえます。

本研究は、文部科学省「脳機能研究戦略推進プログラム」の一環として実施され、日本科学協会「笹川科学研究助成」並びに文部科学省科学研究費補助金の補助を受けて行われました。
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<用語解説>

用語1. 機能的磁気共鳴画像法(functional Magnetic Resonance Image:fMRI)
ある脳部位の神経細胞が活動すると、その周辺の血管を流れる血液では、酸素を各組織へ運搬する役割を持つ赤血球中のヘモグロビンという成分の性状が変化します。ヘモグロビンには酸素を持つ酸化ヘモグロビンと、酸素を持たない還元ヘモグロビンがあり、神経細胞が活動すると、その周辺の血管を流れる血液中の酸化ヘモグロビンと還元ヘモグロビンの相対量が変化します。fMRIは、この相対量の変化を計測する手法です。非侵襲的に脳活動を計測することができます。
用語2. 相乗効果
複数の異なる感覚情報が統合されるとき、統合に関わる脳部位の活動は各情報が引き起こす活動の和よりも増強されます。例えば、映画を鑑賞する際、俳優の声(聴覚)と口の形(視覚)は一体として知覚されます。大脳皮質感覚野は、聴覚や視覚、触覚など、入力される刺激の種類によってそれぞれ特定の部位が情報処理を行っているため、視覚刺激の情報処理を行う部位は聴覚刺激では反応しません。しかし、高次の情報処理を担う脳部位は、複数の感覚情報を統合する際、その入力される刺激が何であるかに関係なく反応します。さらにこの脳部位では、視聴覚の情報を同時に知覚したときの反応が、聴覚のみに対する反応と視覚のみに対する反応の和より大きくなります。この現象を相乗効果といい、本研究では社会的信号の統合の評価に用いました。

今回の発見

1.顔の表情と涙の描写より「悲しみ」を推測する過程では、大脳皮質の内側に位置する内側前頭前野と楔前部・後部帯状回が「表情」の情報と「涙の描写」の情報の統合に関与していることを明らかにしました。
2.本研究は、「他者の感情は脳のどこで、どのように推測されているのか」、その全容を解明する上で重要な一歩となると考えられます。

図1 実験に用いた刺激

20151105pressTakahashi_1.jpg実験参加者はfMRIによる脳活動の測定中に他者の顔表情を観察し、その他者がどの程度悲しいと思われるかを評定しました。実験では実写画像を使用しています。

図2 悲しみ表情と涙の相乗効果を示した脳部位

20151105pressTakahashi_2.jpgオレンジ色の部分は、悲しみ表情と涙による相乗効果を示した脳部位を表しています。内側前頭前野と楔前部・後部帯状回は、悲しみ表情と涙が統合した時に強く活動しました。また、棒グラフは相乗効果を示した脳部位の活動量を図示しています。

この研究の社会的意義

 精神疾患における対人コミュニケーションの障害の病態解明につながる研究
精神疾患に罹患している場合、他者の感情の推測が困難になることがあります。本研究成果は、対人コミュニケーションの障害を抱える様々な精神疾患の病態解明の一助となると考えられます。

論文情報

'Brain networks of affective mentalizing revealed by the tear effect: the integrative role of the medial prefrontal cortex and precuneus'
Haruka K. Takahashi, Ryo Kitada, Akihiro T. Sasaki, Hiroaki Kawamichi, Shuntaro Okazaki, Takanori Kochiyama, Norihiro Sadato
Neuroscience Research (印刷中)

お問い合わせ先

<研究について>
自然科学研究機構 生理学研究所 心理生理学研究部門
教授 定藤 規弘 (さだとう のりひろ)

助教 北田 亮 (きただ りょう)

<広報に関すること>
自然科学研究機構 生理学研究所 研究力強化戦略室
特任助教 坂本 貴和子
 

リリース元

生理学研究所・研究力強化戦略室

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