寳珠山 稔(名古屋大学医学部保健学科)
感覚情報は刺激の種類(モダリティー)によらず,感覚受容器の閾値を越えた刺激は末梢から脳へと神経信号として伝えられる。しかし,脳に伝えられた全ての神経信号が意識される情報として処理されるわけではなく,感覚情報処理過程各段階での閾値により最終的に認識され意識に上る情報は実際の刺激とは必ずしも一致していない。
これまで我々は,高い時間分解能と高い精度で空間的情報が得られる生体磁気計測装置 (Magnetoencephalography, MEG) の利点を生かし感覚情報が処理され意識にのぼる課程を明らかにするため,ミリ秒単位の刺激に対応した脳反応の記録を行ってきた。体性感覚誘発脳磁場(Somatosensory evoked magnetic field, SEF) においては,2つの刺激に1ms以上の時間差があれば脳はそれぞれの刺激に対応して反応しており,それらは第一次感覚野での反応であることが明らかにされた。しかし,実際にヒトが短い時間間隔で与えられた2つの刺激を個々の刺激に弁別するためには2つの刺激に20ms程度の間隔が必要であった (Hoshiyama et al., 2004) 。SEFで観察される成分のうち,刺激を与えてから約20ms後に出現する第一次感覚野での成分が,2発の刺激の間隔が20msより長くなった場合に出現が明らかとなることから,SEF成分のうち意識される刺激の弁別や認知に関連する可能性のある成分とそうではない成分が考えられた。
加えて,本年度は視覚について,識別することのできない早い周波数で顔を含むいくつかの画像を呈示した後の事象関連脳磁場 (Event-related evoked magnetic field, ERF) を記録し,意識されない刺激処理が一定時間後の脳反応に影響を与えるのかについて観察し,その情報処理において顔認知処理の優位性を検出した (Hoshiyama et al., in submission) 。これは,意識されない情報の一部が記憶に関連した処理過程に進んでいる可能性を示唆するものであった。
感覚情報処理過程において意識に至る情報処理と記憶処理との関連は重要な要素であり,今後の研究につなげていきたい。
【追加情報】(調査月2007年8月、記入月2008年6月)
発表論文
関係論文
大岩昌子(名古屋外国語大学)
【目的】本研究では,日本語に特殊モーラとして存在する長音に注目し,母語に長音を持たないフランス語話者と日本語話者における聴覚野の活動パターンに対する母語の影響を脳磁図 (MEG) を用いて生理学的に検討することを目的とした。なお本研究では,指標としてミスマッチフィールド (MMF) という,1秒前後の短い間隔で繰り返し提示される同一の音(標準刺激)の中に,それとは異なる音響的特性を持つ逸脱刺激がまれに挿入された場合に,逸脱刺激に対して特異的に出現する誘発脳磁場成分を用いた。
【方法】被験者は日本語を母語とする右利き,聴力健常な成人7名(男性4名,女性3名)およびフランス語を母語とする右利き,聴力健常な成人6名(男性5名,女性1名)。日本語話者(男性)によって発声された無意味単語「エレペ」および「エレーペ」を聴取している(試行間間隔 800 ms)際の脳磁場反応を,全頭型306チャンネルSQUID 脳磁計 (Neuromag) によって記録した。手続きとして,(1)「エレーペ」を逸脱刺激 (15%),「エレペ」を標準刺激 (85%) としたシークエンス,(2)「エレペ」を逸脱刺激 (15%),「エレーペ」を標準刺激 (85%) としたシークエンスの2つを設けた。各刺激音に対する加算平均波形を算出し,同一刺激音に対する逸脱刺激-標準刺激間の差分波形からMMNm成分を同定した。
【結果および考察】日本語話者,フランス語話者ともに逸脱刺激「エレーペ」に対するMMNm(Long条件),逸脱刺激「エレペ」に対するMMNm(Short条件)が左右大脳半球の側頭部に認められた。Short条件でのダイポール強度 (|Q|) は,フランス語話者で,左右半球間に有意差は認められなかった。日本語話者においては,左半球におけるダイポール強度 (|Q|) が右半球より大きく,Wilcoxonの符号順位検定を用いて比較した結果,半球間に有意な差が確認された (p < 0.02) 。一方,Long条件におけるダイポール強度 (|Q|) は,フランス語話者では,左半球の方が右半球より大きい傾向が認められた (p <0.08) 。日本語話者では左右半球間に,有意差は認められなかった。このように日本語話者,フランス語話者において差が認められ,母語に弁別的な長母音を持つか持たないかで聴覚野の反応が異なることが示唆された。
中村みほ(愛知県心身障害者コロニー 発達障害研究所)
渡辺昌子
柿木隆介
Williams 症候群は7番染色体に欠失を持つ隣接遺伝子症候群であるが,その認知機能のばらつきが大変に大きいことが知られており,認知能力のばらつきを脳機能との関連の元に明らかにすることは患者の療育ならびにQOLの改善の上から重要である。また,同時に,特異な症状をもたらす原因を脳機能の観点から検討する過程においてヒトの脳機能の解明に寄与しうる知見が得られる可能性がある。
我々は従来より,本症候群における視覚認知機能のばらつきに着目し検討を続けている。今年度も視覚認知腹側経路の機能の一つである顔の認知についての検討を継続した。これまでの我々の検討から,本症候群患者においては,正立の顔刺激に対しては健常成人と同様の脳磁場反応が確認されるのに対し,倒立の顔刺激に対しては健常成人に見られるような倒立効果【反応潜時の遅れ】が見られないことが確認されているが,今年度はさらにその点に関して再検討し,従来の結果を追認した。
さらに倒立効果の欠如をもたらす原因として,顔認知処理にかかわるファクターの関与の度合いのばらつきが影響している可能性があると考え,以下の検討を開始した。顔の認知処理においては顔の構成要素の配置や相互の位置関係の認知処理にかかわるとされるconfigural processingと,構成要素の個々の形の認知処理にかかわるとされるlocal processingが想定され,倒立顔の処理においてはlocal processingが優位であると一般に考えられている。そこで,本症候群における顔の認知処理においてlocal processingとconfigural processingの関与の程度にばらつきがあるか否か,もしあればいずれが優位であるか,その結果が倒立効果の欠如を説明しうるものであるか否かについて検討を開始した。今年度は第一段階として,顔の構成要素の相互の位置関係の変化を認識することと構成要素の形の変化を認識することの難易を健常成人と対象患者について心理物理実験により比較検討することを開始し,健常成人においてlocal processing とconfigural processingが同等の難易度を示す課題の作成に着手している。
【追加情報】(調査月2007年8月、記入月2008年6月)
発表論文
川田 昌武(徳島大学工学部電子工学科)
本研究課題では,誘発脳磁場に対してウェーブレット変換 (Wavelet Transform) を用いた時間周波数成分可視化を行い,その発現機序について新たな知見を得ることを目的としている。
これまでに,ウェーブレット変換を用いたヒト脳波(運動関連脳電位)の時間周波数可視化を独自に進めた結果,本手法が脳波の発現機序を解明する上で有効であることを示した。本手法による結果の一例として,閉眼時の右人差し指のタッピング運動開始前後において,発生する周波数10Hz前後(α波帯域)の成分は,運動前が非同期,運動後が同期成分であることを明らかにした。なお,周波数5Hz前後(θ帯域)の成分は,運動開始前後ともに同期する成分であり,運動開始後に減少することを明らかにした。すなわち,この時間周波数成分の運動開始前後の相違により,運動開始時間が推定できると考えられる。
現在,脳磁図データに対して本手法を適用するためのプログラム作成(全頭型306チャンネル,信号発生源特定)を進めている。また,本研究課題では,誘発脳磁場発生源の特定精度も重要となることから,他の信号処理手法(Adaptive Beamformer法,MUSIC法,独立成分分析法等)の調査,比較研究も進めている。
Masatake Kawada and Richard M. Leahy (2006) : Fundamental Research on Electrical Brain Mapping of Motor Imagination, 第7回脳磁場イメージング研究会,p13 (貴研究所主催研究会発表)
【追加情報】(調査月2007年8月、記入月2008年6月)
関係論文
佐々木和夫(岡崎国立共同研究機構)
逵本 徹
これまでの研究から,前頭葉のシータ波活動が,ヒトやサルの或る種の脳高次機能に関係している可能性が示唆されている。このシータ波活動の本質をさらに解明することを目指して研究を行っている。サルの大脳皮質から直接記録を行うと「注意集中」に関連すると解釈可能なシータ波活動が前頭前野9野と前帯状野吻側端32野に観察されるため,ヒトで観察されるシータ波活動も,それに相当する部位の機能を反映している可能性が高い。しかし一言で「注意集中」と言っても多様なものを含んでいると考えられるため,その主たる要素を抽出することが望まれる。それにはヒトを対象として研究すれば,動物実験におけるような精密な脳活動測定は困難であるが,そのかわりに主観的内観を報告できるというメリットがある。このような観点から,ヒトが各種作業課題を行う際の脳磁場を解析し,シータ波の発生要因の検討と発生源推定を行った。その結果,時間の持続感覚や意識集中に関連すると考えられるシータ波活動が脳磁場計測でも認められ,主観的な集中の度合いとシータ波の発生はよく一致した。またその発生源は前頭葉背外側部および内側部に推定された。これはサルでの結果と矛盾しない。未解明である「意識」と前頭葉シータ波の関連を示唆する結果である。成果の一部は (1) 国際誘発電位学会・市民講座(2004年10月6日福岡国際会議場)「脳と禅」講演,(2) 臨床神経生理学会・シンポジウム22・「律動脳波の基礎と臨床」(2004年11月19日ホテル日航東京)で発表した。また,NHK総合「ものしり一夜づけ」(2004年10月26日放送)で紹介された。