脳からの信号を四肢に伝える経路である脊髄を損傷すると、損傷領域以外の脳や下肢に問題が無くても歩行障害が生じます。この歩行障害の改善には損傷した脊髄を繋ぎなおす必要がありますが、これまで実現できませんでした。今回、自然科学研究機構生理学研究所の西村幸男准教授を中心とした、笹田周作研究員(現所属:相模女子大学)、福島県立医科大学の宇川義一教授、及び千葉大学の小宮山伴与志教授らの研究グループは脳から上肢の筋肉へ伝えられる信号をコンピュータで読み取り、その信号に合わせて腰髄を非侵襲的に磁気刺激することにより、脊髄の一部を迂回して人工的に脳と腰髄にある歩行中枢をつなぐことで下肢の歩行運動パターンを随意的に制御することに世界で初めて成功しました。本研究結果は、The Journal of Neuroscience誌(2014年8月13日号オンライン)に掲載されます。 |
ヒトが歩くときの脚の運動リズムや左右肢の交代的な運動パターンは片方の脚の複数の筋肉が複雑に協調して、更にそれが左右脚で連携して活動することによって出来上がっています。この複雑な筋活動は腰髄に存在する下肢歩行中枢によって生み出されており、私たちが歩くときは脳から下肢歩行中枢への指令によって歩行運動パターンが制御されていると考えられています。研究グループは、脊髄損傷による歩行障害の多くは脳と下肢歩行中枢との繋がりが切れたことが問題であって、脳も腰髄にある下肢歩行中枢もその機能を失っているわけではないということに着目しました。そこで、脳活動の情報が内在している生体信号をコンピュータで読み取り、下肢歩行中枢へ伝えることで、脳と下肢歩行中枢を人工的に接続することが出来れば、脊髄の一部を迂回して下肢の歩行運動パターンを随意的に制御できると考えました(図1)。
研究グループは神経や四肢に障害のない健常人を対象に、脳活動の情報が内在している電気的信号を手や腕の筋肉から記録しました。それをコンピュータで読み取り、その信号に合わせた刺激パルスをリアルタイムで下肢歩行中枢の存在する腰髄へ、非侵襲的に磁気刺激することによって、コンピュータによる脊髄迂回路を形成し、脳と下肢歩行中枢を人工的に神経接続しました(図2)。
神経や四肢に障害のない健常人にコンピュータによる脊髄迂回路を適用したところ、被験者が下肢をリラックスしている状態であっても、コンピュータによる脊髄迂回路によって下肢の歩行運動パターンを意図的に誘発し、止めることが可能でした(図3)。さらに、その歩行サイクルを速くしたりゆっくりしたりと、随意的に歩行の運動パターンを制御可能であることがわかりました。この結果は脳から上肢筋へ伝えられる信号が脊髄の一部を迂回して腰髄にある歩行中枢へ伝えられたことを意味します。
西村准教授は「この技術により、脊髄損傷の患者自身の損傷されずに残った機能を利用して、手術なしで随意的な歩行を再建できる可能性を示すことができたと考えています。しかしながら、現段階では脚が障害物にぶつかった際の回避運動や立位姿勢の保持は制御できないのが大きな課題です。今後は、慎重に安全性を確認しながら、臨床応用に向けて研究開発を進めて行きます。」と話しています。
本研究は JST 戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)の「脳情報の解読と制御」研究領域(研究総括:川人 光男 (株) 国際電気通信基礎技術研究所 脳情報通信総合研究所 所長)における研究課題「人工神経接続によるブレインコンピューターインターフェイス」(研究者:西村 幸男)及び文部科学省科学研究費補助金の一環として行われました。
1.健常被験者にて、コンピュータを介した脊髄の迂回路によって、自分の意思で下肢の歩行運動パターンを制御することに成功した。
2.脊髄損傷患者への随意歩行再建の可能性を示した。
ヒトの歩行運動は脊髄にある歩行中枢によって運動のリズムやパターンが作られ、この下肢歩行中枢は脳から脊髄を経由して伝えられる下行性指令によって駆動、制御されていると考えられています。従って脳から随意的に制御できる信号をコンピュータで読み取り、下肢歩行中枢へ伝えることで、その取り付けられたコンピュータが人工的な神経経路として機能し、脊髄の一部を迂回して下肢の歩行運動を随意的に制御できると考えられます。本研究では、脊髄の信号ではなく手や腕の筋肉の電気的信号を利用する事で、脳から下肢歩行中枢への迂回路を作製することを目指しました。
コンピュータによる脊髄迂回路は、脳から上肢筋への信号を筋電図として読み取る記録部(青色)、記録された信号を処理して刺激パルスに作り変える制御部(橙色)、及び生成された刺激パルスを皮膚表面に当てる磁気コイルで刺激を行う刺激部(赤色)で構成されます。記録及び刺激は非侵襲性で、腰髄へ磁気刺激することにより下肢の歩行中枢を制御しました。
図3Aは被験者が上肢の腕振り運動中にコンピュータによる脊髄迂回路をオフした場合を表しています。被験者が腕振り運動をしていてもリラックスしている下肢には何も運動は出現しません。図3Bはコンピュータによる脊髄迂回路をオンにして、上肢の腕振り運動を被験者が意図的に行い、その筋電位信号によって磁気刺激を制御した場合です。被験者には下肢をリラックスするように伝えていますが、コンピュータによる脊髄迂回路によって、腕の運動に合わせて下肢の歩行運動が生じます。この結果はコンピュータによる脊髄迂回路によって下肢の歩行運動パターンを意図的に制御できることを意味しています。
電極を埋め込まない方法で、脊髄損傷患者の随意歩行を再建できる可能性を示した。
Volitional walking via upper limb muscle-controlled stimulation of the lumbar locomotor center in man.
S. SASADA, K. KATO, S. KADOWAKI, S. GROISS, Y. UGAWA, T. KOMIYAMA and Y. NISHIMURA.
The Journal of Neuroscience. 2014年 8月13日オンライン掲載
<研究について>
自然科学研究機構 生理学研究所 認知行動発達機構研究部門
准教授 西村幸男(ニシムラユキオ)
<JSTの事業に関すること>
科学技術振興機構 戦略研究推進部
<広報に関すること>
自然科学研究機構 生理学研究所 研究力強化戦略室
科学技術振興機構 広報課