脳虚血やてんかん等の脳病態では、異常なpH(水素イオン濃度)が観察されており、生体の脳内pHを超高解像度で計測することによって、新たな病気の仕組み解明や治療法に結びつく可能性があります。今回、自然科学研究機構 生理学研究所の堀内浩特任助教、鍋倉淳一所長ならびに豊橋技術科学大学の澤田和明教授らは生体への適用が可能な高精細pHイメージングツールを開発しました。脳のpHをリアルタイムに可視化することで、微小環境におけるpHが神経活動に伴ってダイナミックに変化する様子を捉えることに世界で初めて成功しました。今後の病態研究に応用することで、病気のメカニズムの解明が期待されます。本研究結果は、Nature Communications誌(日本時間2020年2月5日午後7時解禁)に掲載されました。 |
健康な脳内のpHは、生体が恒常性を維持しようとするメカニズムにより、ある範囲内で厳密に調節されています。一方、てんかんや脳虚血などの病気では、脳細胞の外側でpHが大きく範囲を超えて変化し、脳の異常活動を引き起こすことから、病気とpHの関連性が指摘されてきました。pHの異常が脳のどこで起きているのかがわかると、病気の原因の理解や新たな治療法に結びつく可能性があります。従来のpHを計測する方法は、pH電極を用いた極めて局所の“点”の計測に限られてきました。そのため、計測箇所以外の領域において、pHがどのように違うのか、脳の活動に応じてpHが時空間的にどのように変化しているかなどの大域的な情報は得られませんでした。これまで核磁気共鳴画像法 (MRI) を用いたpHイメージングの手法はありましたが、脳神経活動がミリ秒単位で起こることや神経細胞体の大きさが約50µmであることを考えると、その時空間分解能はとても低く(時間分解能 6秒, 空間分解能 4mm)、神経活動によって起きる素早いpH変化を計測することは困難であり、神経細胞や局所神経ネットワークレベルの空間スケールでの変化が見落とされていた可能性がありました。そこで、新たな高時空間分解能を持つ生体イオンイメージングツールの開発が求められていました。
今回、生理学研究所および豊橋技術科学大学の研究グループは、CMOS(注1)を応用した高精細生体pHイメージセンサーを開発することに成功しました。今回開発したセンサーは時間分解能20ミリ秒, 空間分解能23.55mという非常に高い時空間分解能に加えて、センシングエリアの小型・薄型化によって、マウスなどの小動物の小さな脳にも使用することが可能な優れた性質を持っています(図1)。また、小型ながら幅0.72 mm、長さ3.00mmというセンサー範囲を確保することで、マウスの脳内において約50µmの微小な神経細胞体の活動を測定領域とするpHイメージングを行うことが可能となりました。
神経活動に伴う脳内pHの変化が、どれくらいの時空間スケールで生じているかを検証するため、様々な視覚パターンをマウスに見せたときに、一次視覚領域と呼ばれる脳領域におけるpH変化をイメージングしました(図2)。その結果、視覚パターンごとに異なる脳内空間パターンでpH変化が観察されました(図2中央)。さらに、変化のあった領域に注目することで、神経活動によって脳内pHがミリ秒単位の時間スケールで刻々と変化することを明らかにしました(図2右)。このように、これまでの手法では実現できなかった空間的・時間的に高精細な生体脳pHイメージングに世界で初めて成功しました。
今回研究グループが新しく開発したセンサーは、今後、新たな病気の仕組みの解明や治療開発の研究において重要なツールになると考えられます。
本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)の一環として行われました。
注1)CMOS:Complementary Metal Oxide Semiconductor の略。メモリ、マイクロプロセッサはCMOSで作製される。低消費電力であり、最も汎用に用いられている半導体技術である。現在携帯電話などに入っているイメージセンサーもCMOS技術を用いており、CMOSイメージセンサー技術により高精細に高速で画像化が可能。
(a), センサー全体像。赤丸がセンシングエリア
(b), センシングエリア拡大像。幅0.72 mm × 3.00mm、厚さ0.1mm
(c), 1画素の拡大像。23.55µmの高空間解像度および20ミリ秒の高時間分解能を達成
(a), 大脳皮質の視覚領域のpHイメージング中に、様々な視覚パターンをマウスに提示し、目から脳への情報の流入を通じて、広範な神経細胞を刺激した
(b), 格子の移動方向・方位によって、脳内でも異なるパターンでpHが変化した
(c), 視覚刺激によってミリ秒単位でpHが変化した
てんかんや脳虚血などの脳疾患だけでなく、がんなどpHの関与が指摘される病態における広範な応用によって、新たな病気の仕組みの解明や治療標的の発見に結びつくと期待されます。本研究グループは今後もさらなるイオンセンサーの性能向上ならびに生体応用への最適化を目指します。
CMOS-based bio-image sensor spatially resolves neural activity dependent proton dynamics in the living brain
Hiroshi Horiuchi†, Masakazu Agetsuma†, Junko Ishida, Yusuke Nakamura, Dennis Lawrence Cheung, Shin Nanasaki, Yasuyuki Kimura, Tatsuya Iwata, Kazuhiro Takahashi, Kazuaki Sawada*, Junichi Nabekura*
Nature Communications. (日本時間2020年2月5日午後7時掲載予定)
(†: Co-first authors *: Corresponding authors)
<研究に関すること>
自然科学研究機構 生理学研究所
所長 鍋倉 淳一 (ナベクラ ジュンイチ)
豊橋技術科学大学
教授 澤田 和明 (サワダ カズアキ)
<JST事業に関すること>
川口 哲(カワグチ テツ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 ライフイノベーショングループ
<広報に関すること>
自然科学研究機構 生理学研究所 研究力強化戦略室
豊橋技術科学大学 総務課広報係
科学技術振興機構 広報課
自然科学研究機構 生理学研究所
豊橋技術科学大学
科学技術振興機構 (JST)