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ダウン症モデルラットの作製に成功
~ダウン症の脳病態のメカニズム解明に期待~

プレスリリース 2022年1月25日

ポイント

  • ・ダウン症候群(ダウン症)注1)の病態研究のためにダウン症モデルマウスがこれまでに数多く作製されているが、一部の病態を示すにとどまっており、より優れたモデル動物の作製が求められていた。
  • ・独自の染色体工学技術を用いて、ダウン症の発症に関わるヒト21番染色体をラットに導入することにより世界で初めてダウン症モデルラットの作製に成功し、これまでにモデルマウスでは観察されていなかった小脳小葉の分岐形成過程に障害があることを明らかにした。
  • ・マウスに比べてラットはより複雑で高度な神経回路を構築していることから、本モデルラットはダウン症の脳病態のメカニズム解明に貢献すると期待される。
 鳥取大学医学部生命科学科/染色体工学研究センター 香月 康宏准教授、自然科学研究機構生理学研究所 平林 真澄准教授らのグループは、染色体工学技術を用いて、新たなダウン症候群(ダウン症)モデルラットの作製に成功しました。
 これまでのダウン症モデル動物は全てマウスで作製されていますが、再現された病態表現型は限られたものでした。本研究グループは、独自の染色体工学技術を用いて、ヒト21番染色体を1本移入したラットES細胞(胚性幹細胞)注2)を樹立し、子孫に伝達することが可能なヒト21番染色体を保持するラット系統の樹立に成功しました。
 このラットは、ダウン症様の種々の症状(脳全体の矮小化、小脳の矮小化、特徴的な顔形、心室中隔欠損、記憶学習能力の低下、不安様行動の増加)が観察されました。特に小脳については矮小化に加えて、小葉の分岐形成が低下していました。この現象はモデルマウスでは認められずモデルラット特異的でした。
 本研究成果はダウン症の様々な症状に対する原因遺伝子の解明や種々の症状改善のための治療法、治療薬開発に貢献するものと期待できます。
 本研究は、Johns Hopkins大学のFeng J. Gao博士、Roger H. Reeves博士らと共同で行いました。
本研究成果は、2022年1月24日(米国東部時間)に米国科学誌「American Journal of Human Genetics」のオンライン版で公開されました。
本成果は、以下の事業の支援を受けて実施しました。
科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 CREST
研究領域:「ゲノムスケールのDNA設計・合成による細胞制御技術の創出」(研究総括:塩見 春彦)
研究課題名:「ヒト/マウス人工染色体を用いたゲノムライティングと応用」(研究代表者:香月 康宏)

自然科学研究機構 生理学研究所計画共同研究
研究課題名:「染色体工学技術による疾患モデルラットの作製」(研究代表者:香月 康宏)

三菱財団自然科学研究助成
研究課題名:「染色体工学技術によるダウン症候群モデルラットの作製と原因遺伝子の探索」(研究代表者:押村 光雄)

<研究の背景と経緯>
 ダウン症候群注1)は身体および精神の発達遅延、特徴的な顔形、先天性心疾患や白血病の頻度が高いなどの様々な症状を呈します。一方、これら症状の病態メカニズムは不明な部分が多く、有効な治療法がないのが現状です。これまでに病態メカニズムの解明や治療薬の開発を目的として、21番トリソミーを模倣したダウン症モデルマウスが作製されていますが、部分トリソミー(21番上の遺伝子の一部のみがトリソミー)やモザイク(ヒト21番染色体が脱落した細胞が混在している状態)という課題がありました。2020年、我々はヒト21番染色体長腕領域(21番染色体上の93%の遺伝子をカバーしている)を搭載したマウス人工染色体ベクター注3)を用いて、これまでで最も多くの21番上遺伝子がトリソミー化され、しかも非モザイク型のモデルマウスの作製に成功しています。
 これまで発生工学的技術開発がマウスで先行していた関係から、疾患モデル動物の作製はマウスが中心でした。しかし、マウスとともに古くから小型実験動物として用いられているラットは体のサイズも大きく、解剖や外科的処置が容易であり、解析のためのサンプル採取も容易であることから、病理学的、行動薬理学的な研究に汎用されており基礎データが蓄積されています。加えて、脳発生についてはマウスよりヒトに近く、マウスより複雑な神経回路を構築し、学習能力が高いことから神経科学分野での知見も数多くあります。ラットを用いた本疾患モデルはマウスでは観察・検出できなかった事象を具現化できる可能性が期待されます。
 そこで本研究ではマウス人工染色体ベクターは用いていませんが、マウスで成功したのと同じヒト21番染色体をラットに移入することにしました。マウスでは21番染色体上の短腕領域は導入できていませんでしたが、ラットではヒト21番染色体の短腕と長腕を含む全長を導入することにしました。

<研究の内容>
 我々は染色体工学技術(相同組換え、染色体導入)を駆使して、ヒト21番染色体長腕の動原体付近の非翻訳領域に緑色蛍光タンパク質遺伝子(EGFP)を挿入し、この21番染色体をラットES細胞に移入しました(図1A)。このES細胞からキメララット注4)を作製し、さらに円形精子細胞注5)を用いた顕微授精により、子孫伝達するラット系統の樹立に成功しました(TcHSA21ratと命名)。TcHSA21ratは全身で緑色蛍光を発し(図1A)、染色体解析の結果、宿主のラット染色体に挿入されることなくヒト21番染色体が独立に存在していました(図1B)。また、ラットの様々な組織において、ヒト21番染色体の保持率を検証したところ、検討した全ての組織で90%以上の高い保持率を示し、移入したヒト染色体が脱落してしまうモザイクの現象は認められませんでした(図1C)。続いて、ラットに移入されたヒト21番染色体上の遺伝子の発現制御がどのようになっているのかを明らかにするため、生後1日の産仔でRNA-Seq解析注6)を行いました。同じヒト21番染色体が移入されている生後1日のダウン症モデルマウス(TcMAC21マウス)についても同様に解析し、比較したところ、ヒト21番染色体上の遺伝子の発現レベルは大変よく似ていました(図1D)。このことは、種を越えて(マウスとラットにおいて)似たようなメカニズムでヒト21番染色体上の遺伝子は発現制御されていることを示唆しています。
 次に、TcHSA21ratの行動解析を行いました。明暗選択箱テスト、オープンフィールドテストで不安様行動・活動性を、モリス水迷路テストで記憶学習能力を調べました(図2A)。明暗選択箱テストでは、明箱での滞在時間が短く、移動回数が少なかったこと、最初に明箱に入るまでの潜時が長かったことからTcHSA21ratでは不安様行動の増加が示唆されました(図2B、C、D)。オープンフィールドテストでは過活動性が示唆されました(図2E)。モリス水迷路テストでは、泳ぐ力(スピード)に問題がなかったにもかかわらず逃避台に到着するまでに泳いだ距離が長かったことから学習能力の低下が示唆されました(図2F、G)。続けて、逃避台を取り除いた状態にしたプローブテストでは、逃避台が設置されていた領域を泳いでいた時間が短く、記憶学習能力の低下も示唆されました(図2H、I)。これまでも、ダウン症モデルマウスで記憶学習能力の低下等が報告されていますが、不安様行動および過活動を同時に示すものはありませんでした。TcHSA21ratは、ダウン症の臨床症状を最もよく反映したモデルではないかと考えられます。
 次に、脳、頭部顔面骨格、心臓の形態学的解析を行いました。脳のMRI解析の結果、TcHSA21ratでは脳全体の矮小化および小脳の矮小化が検出されました(図3A)。さらに、小脳においては小葉の分岐が低下していることがわかりました。この現象は、小脳皮質を染色できる抗カルビンジン (Anti-Calbindin) 抗体染色によっても確認できました(図3B、C)。小脳小葉の分岐低下は、他のダウン症モデルマウスでは検出されていないことから、ラットモデルを用いることにより初めて明らかにできたことになります。頭蓋骨のマイクロCT画像について、基準点40カ所を設定し、3次元的に基準点間の距離を測定した結果、TcHSA21ratの頭蓋骨は正常コントロールラットに比べて小さくなっていました(図3D)。心臓形態については、TcHSA21rat胎児の17%で心室中隔欠損が見られました(図3E)。

<今後の展開>
 新たなダウン症モデル動物であるダウン症モデルラットは、ダウン症の様々な症状に対応する原因遺伝子の探索や、症状改善のための治療法、治療薬の開発に役立つことが期待されます。また、神経変性疾患については、マウスモデルに比べてラットモデルは、より正確にヒト病態を表現していることがパーキンソン病モデルやハンチントン病モデルで報告されています。理由として、ラットはマウスに比べてヒトに近い脳発生を示すこと、などが挙げられます。加えて、モデル作製のために導入したヒト21番染色体上の原因遺伝子の働きがラットでより正確に反映されている可能性が高いと考えられています。このことから、本ダウン症モデルラットについても、ダウン症モデルマウスでは未だ報告のないアルツハイマー病の徴候など、ダウン症の脳病態を再現できる可能性が期待できます。


<参考図>
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A.  ヒト21番染色体保持ラットES細胞株樹立のためのステップを示した。相同組換え効率の高いトリDT40細胞、遺伝子導入効率、染色体導入効率の高いハムスターCHO細胞を使い分けている。異なる細胞間での染色体の移し替えは染色体導入法を用いた。ヒト21番染色体保持ラットES細胞よりキメラ作製、子孫伝達ラットを獲得した。
B.  ヒトDNAと特異的に結合するDNAプローブを用いたFISH解析像。ヒト21番染色体を赤色で検出している。内在のラット染色体42本に加え、ヒト21番染色体が余分に1本導入されていることが分かる。
C.  Bと同一手法によるFISH解析像。各臓器由来の間期細胞核の像になるが、ヒト21番染色体を保持する細胞では赤色シグナルが検出できる。正常(Eu)では全く赤色シグナルが検出されないが、TcHSA21ratでは90%以上の細胞(核)が赤色シグナル陽性であった。
D.  生後1日の産仔の前脳におけるヒト21番上遺伝子の発現レベルを、TcHSA21ratとマウスモデルであるTcMAC21とで比較した。ラットとマウスという異なる種にヒト21番染色体が移入されているが、ヒト21番上の遺伝子発現レベルは大変よく似ていた。赤がTcHAC21ratでの発現レベル、緑がTcMAC21での発現レベルである。それぞれのホスト細胞の内在するホモログ遺伝子との総和として示している。
 
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A.  行動解析試験の概要
B-D.  明暗選択箱テストとは、ラットが新奇環境下で探索行動を行う性質と明るい環境を避ける性質を利用した不安様行動を評価するテスト。
E.    オープンフィールドテストとは、新規環境下での自発的な活動性を測定するテスト。ラットにとって新奇で広く明るい環境下での探索行動を記録した。70cm 70cmの正方形のオープンフィールドを用いた。
F-I.  モリス水迷路テストは、水を張った円形のプール内で、水面下に設置された逃避台をラットに泳いで探索させることで空間記憶を測定するテスト。最初に、ラットをプールと逃避台に慣れさせるために、プール周囲に目印をつけ、透明な逃避台を水面下2 cmに設置してトレーニングを4日間行った(Acquisition trials)(F, G)。その後、プールを4分割(図2HのN, E, S, W)し、逃避台はEに設置した。逃避台にたどり着くまでの時間が短縮され、逃避台位置についての学習が成立したのち、プローブテストを行った。プローブテストでは逃避台を取り除いた状態でラットを自由に探索させ、逃避台が設置されていたE領域に留まる時間の長さによって空間記憶をどれぐらい保持、想起できているかを評価した。ビデオ記録された代表的なラットの行動の軌跡をHに示し、Iではそのまとめのグラフを示した。
 
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A.   脳MRIによるT2強調画像であるが、小脳白質(髄質)を赤線でハイライトした。
TcHSA21rat (Tc)では、正常ラット (Eu)に比べて分岐が少なかった。
B, C.  小脳皮質のマーカーであるカルビンジンの免疫染色により、Tcにおける小葉分岐の低下を確認した。赤:抗カルビンジン抗体、青:DAPIによる核染色、緑:GFP。
D.  マイクロCT画像上に基準点40カ所(図中のNo.1〜No.40)を設け、距離を測定した。TsHSA21rat(Tc)で2点間の距離が正常(Eu)に比べて短かった点を線で繋いで表示している。赤線、橙線、黄線はそれぞれ13-15%、12%、10-11%距離の短縮を示している。
E.  胎齢20.5日から22.5日のTcHSA21rat胎仔で観察された心室中隔欠損の発生率を示した。

<用語解説>

注1)ダウン症候群(ダウン症):ダウン症候群はヒト21番染色体のトリソミー(正常はヒト21番が2本だが3本になること)によって引き起こされる先天性疾患である。

注2)ES細胞(胚性幹細胞):受精卵から発生が少し進んだ初期胚(胚盤胞)中に存在する将来胎児になる細胞集団(内部細胞塊)から樹立された細胞株で、あらゆる細胞に分化できる多分化能を有している。

注3)マウス人工染色体ベクター:天然のマウス染色体を相同組換え技術により、染色体維持に必要な部位以外を削除し、外来遺伝子導入用の配列を付加させた改変染色体である。

注4)キメララット:2種類以上の異系統のラットの発生初期の胚を融合させることにより、人工的に作られたラットである。

注5)円形精子細胞:精子の元である精粗細胞が2回減数分裂を行ってできた細胞が円形精子細胞である。精巣内の精細管の中から取得する。

注6)RNA-Seq解析:次世代シーケンサー(NGS)を利用した遺伝子発現量の定量方法の一つ。

論文タイトル

“A transchromosomic rat model with human chromosome 21 shows robust Down syndrome features”
(ヒト21番染色体を保持するトランスクロモソミックラットモデルは多様なダウン症候群の特徴を示す)
doi:10.1016/j.ajhg.2021.12.015

お問い合わせ先

<研究に関すること>
香月 康宏(カヅキ ヤスヒロ)
鳥取大学 医学部生命科学科/染色体工学研究センター 准教授

平林 真澄 (ヒラバヤシ マスミ)
  自然科学研究機構 生理学研究所 行動・代謝分子解析センター 准教授

<JST事業に関すること>
保田 睦子(ヤスダ ムツコ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 ライフイノベーション・グループ

<報道担当>
鳥取大学 米子地区事務部総務課広報係
 
自然科学研究機構生理学研究所
研究力強化推進室
 
科学技術振興機構 広報課

リリース元

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鳥取大学
自然科学研究機構生理学研究所
科学技術振興機構(JST)

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