環境の温度を感じることは命を守る上でとても重要です。これまでの研究で、我々の体の中には、多くの温度センサーが存在することが発見されてきましたが、それらの温度センサーがどのようにして作られ、温度感覚がどのように維持されているのか、その詳細は明らかではありませんでした。今回、自然科学研究機構 生理学研究所/生命創成探究センター/総合研究大学院大学の曽我部准教授およびDeng Xiangmei特任研究員の研究グループは、感覚神経における温度センサーの発現が脂質代謝を介して調節されているという予想外の結果を突き止めました。本研究結果は、Communications Biology誌(日本時間2025年5月29日18時解禁)に掲載されました
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温度感覚はあらゆる生物にとって、生育に適した温度を探す上で欠かせない機能です。これまでに様々な動物において数多くの温度センサーが報告されており、2021年のノーベル賞生理学・医学賞は温度センサーTRPチャネルが対象となりました。感覚神経などに存在する温度センサーが適切に機能し続けることで、私たちは暑さ・寒さを避けることができますが、これらのセンサーはタンパク質でできているため、適宜代謝されてしまいます。これらのセンサーが神経において、どのようにして次々と発現し、その機能が維持されているのかは、非常に重要な問題ですが、不明な部分も多いのが現状です。
研究グループは、これまで感覚機能の研究ではあまり注目されてこなかった脂質に着目。脂質の合成や分解に関わる様々な遺伝子について解析しました。通常、ショウジョウバエ(以下ハエ)の幼虫を温度勾配のあるプレート上で自由に行動させると、好きな温度(24℃)に集まってきます。一方でジアシルグリセロール(注1)という脂質を合成する遺伝子が働かなくなった変異体の幼虫を使って同じ実験を行ったところ、涼しい温度(~21℃)に集まることが分かりました(図1)。その行動が、あたかも暑さを避けているように見えたことから、その遺伝子に「避暑」の中国語読みであるbishu(ビシュウ)という名前を付けました。
図1 bishu(避暑)遺伝子が働かないと、温度感覚に異常が生じる

(左)正常な幼虫を8℃から35℃の温度勾配をつけたプレート上に離すと24℃を中心に分布します。しかし、bishu遺伝子が機能しない変異体の幼虫は全体的な分布が涼しい温度の方(青矢印)にシフトしました。
次に、bishu遺伝子が欠損した場合に、感覚神経で何が起こっているかを明らかにするため、幼虫の頭部にある、三対の感覚神経(図2上)を低温で刺激する実験を行いました。その結果、bishuが欠損した神経では低温に応答しにくくなっていることが分かりました(図2下)。そこで、bishuが欠損したハエの感覚神経において、低温センサーの発現を詳しく調べたところ、2つの低温センサーIR25aとIR21a(注2)の発現量が正常な神経の半分しかないことが分かりました。これらの結果は、低温センサーIR25aとIR21aが発現するために、 bishu遺伝子が重要な働きをしていることを示しています。さらに、低温センサーの発現を調節する転写因子としてbroadを発見し、その発現量も半分に減少していることを明らかにしました。これらの結果より、bishu遺伝子によるジアシルグリセロール合成経路がbroadを介して低温センサーの発現を維持していることが明らかになりました(図3)。
曽我部准教授は「今回の研究で、温度センサーの発現が脂質合成経路によって維持されていることがわかりました。遺伝子の発現調節に脂質が関わっていることはこれまで知られていない予想外の結果であり、人で温度感覚を正常に保つために、脂質を使った新しい医療技術の開発が期待できるかもしれません。」と話しています。
図2 bishu(避暑)が欠損した神経では低温応答が弱まる

(上)bishuは幼虫の頭部先端にある3対の低温受容神経で機能していました。この神経には低温センサーとしてIR25aとIR21aが発現しています。(下)低温受容神経に24℃から18℃への低温刺激を与えると、正常な神経に比べてbishuが変異した神経では応答が弱くなっていました。左は3つの低温受容神経の応答をイメージング技術で計測し、応答レベルに応じて疑似カラー表示した画像です。右はその応答を数値化し、温度変化による神経応答を示したものです。24℃のときに神経応答は最小になり、低温になるにつれて応答が強まります。bishu変異神経は正常の神経の半分程度しか応答しませんでした。
図3 bishu(避暑)は脂質合成を介して低温センサーの発現を制御する

bishuはジアシルグリセロールを合成し、何らかの経路を介して転写因子broadの発現を維持します。broadは低温センサーIR25aとIR21aの発現調節領域に結合してこれらの遺伝子の発現を制御します。正常な幼虫ではこのメカニズムによって低温センサーの機能が保たれるので、24℃より低い温度を感じて避けようとします。bishuが働かなくなると、上記の経路を介して低温センサーの発現が低下するため、幼虫は温度を感じにくくなって低い温度に滞在するようになります。この変異体の表現型から、この遺伝子を中国語読みの「避暑(ビシュウ)」と名付けました。
用語説明
注1)ジアシルグリセロール:主に細胞膜にある脂質の一種で、細胞内シグナル伝達に関わる重要な分子であり、エネルギー貯蓄に関わるトリアシルグリセロールの材料にもなる。
注2)IR25aとIR21a:イオノトロピック受容体(Ionotropic Receptor)の一種で、昆虫類で温度や化学物質のセンサーとして働く。哺乳類にも構造の似たイオンチャネル型グルタミン酸受容体が存在する。
助成金など
本研究は文部科学省科学研究費補助金(課題番号17H07337、18K06495および21H02531)、日本医療研究開発機構 革新的先端研究開発支援事業(AMED-PRIME:24gm6510014h0003)、および武田科学振興財団の補助を受けて行われました。
今回の発見
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ショウジョウバエの温度受容に関わる脂質代謝遺伝子を同定しました。
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この脂質代謝遺伝子は低温を感じる感覚神経の応答に必要でした。
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この脂質代謝遺伝子は低温センサーの発現を調節することが分かりました。
この研究の社会的意義
感覚機能を正常に保つ新しい手法の開発に期待
温度感覚に必要なセンサーの発現を保つための全く新しいメカニズムが明らかになりました。この脂質を介した発現調節メカニズムは様々な神経にも存在すると考えられ、温度だけでなく、幅広いセンサーの維持に働いている可能性があります。将来的に、感覚機能障害の改善や予防に役立つかもしれません。
論文情報
Monoacylglycerol acyltransferase maintains ionotropic receptor expression for cool temperature sensing and avoidance in Drosophila.
Xiangmei Deng, Takuto Suito, Makoto Tominaga, Takaaki Sokabe
Communications Biology 日本時間2025年5月29日18時解禁
DOI:
https://doi.org/10.1038/s42003-025-08154-0
お問い合わせ先
自然科学研究機構 生理学研究所 研究力強化戦略室
自然科学研究機構 生命創成探究センター(ExCELLS)研究力強化戦略室
総合研究大学院大学 総合企画課 広報社会連携係
【研究者情報】
自然科学研究機構 生理学研究所 行動・代謝分子解析センター 感覚生理解析室
自然科学研究機構 生命創成探究センター 温度生物学研究グループ
総合研究大学院大学 生理科学コース
准教授 曽我部 隆彰 (ソカベ タカアキ)
リリース元

自然科学研究機構 生理学研究所
生命創成探究センター
総合研究大学院大学
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