要旨 |
私たちは、ヒトと相同な脳構造を持つマカクザルを用いて、不安やうつのメカニズムを研究し、新たな治療法の開発に貢献することを目指しています。不安障害やうつ病は、約25%の人々が一生の中で一度は経験する一般的な疾患です。これらの疾患は、気分や睡眠に影響を及ぼし、自殺のリスクを高め、社会的な影響も大きいとされています。私たちは、これらの疾患を理解するために、valence (感情価・価値) とarousal(覚醒度・意欲)と呼ばれる情動の2つの側面に着目しています。具体的には、行動レベルで「価値」と「意欲」を区別することのできる接近・回避葛藤課題をマカクザルに訓練し、その神経回路を操作することで、「価値」と「意欲」の制御に因果的に関与する神経回路を同定してきました。まず、前帯状皮質膝前部(pACC)を局所刺激し、「価値」がどのように変化するかを調べました。すると、刺激により計算論で導かれた「価値」のパラメータが特徴的に低下することを見つけました(Amemori & Graybiel, Nature Neurosci., 2012)。このことから、pACCの異常活動は罰の過大評価を誘導し、不安に似た悲観的な意思決定を導いたと考えられます。更に、私たちは、このpACCに順行性トレーサーウイルスを注入し、関連するネットワークを調べたところ、線条体ストリオソーム構造に優先的に投射することがわかりました(Amemori, Amemori et al., EJN, 2020)。そこで、対応する経路を齧歯類で探し、光遺伝学を用いてストリオソーム経路の選択的な抑制をおこないました。すると抑制により、ラットが罰への意識を低下させ、ストリオソームが「価値」に因果的に関わることが明らかになりました(Friedman et al., Cell, 2015)。また、マカクザルにおいて、線条体の刺激を行い、刺激が不安だけでなく、強迫性障害に似た悲観的な「価値」の固執を引き起こすこともわかりました(Amemori et al., Neuron, 2018)。こうした悲観的な「価値」判断は不安障害の特徴の一つで、これらの回路はそのメカニズムの一端を説明するものと考えられます。一方、うつ病との関連を調べるために、うつ病患者さんに葛藤課題を行ってもらい、fMRIで関連活動を調べたところ、腹側線条体(VS)の活動低下が顕著でした(Ironside, Amemori et al., Biol. Psychiat., 2020)。そこで、VSとその下流の腹側淡蒼球(VP) の経路を化学遺伝学によって選択的に抑制したところ、特に「意欲」の回復がみられ、VS-VP経路は葛藤に伴う「意欲」の低下に因果的に関わることが明らかになりつつあります。これらの実験結果から、私たちは、霊長類の大脳皮質―大脳基底核におけるドーパミン制御回路において、「価値と意欲」に対する独自の神経システムが存在し、不安障害とうつ病に関連するのではないか、と考えています。私たちは、こうした最先端の技術をもとに、マカクザルを対象として、さまざまな精神疾患にかかわる細胞群の活動を適切にコントロールすることのできる神経操作法の確立を目指して研究を進めています。
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