概要
京都大学大学院医学研究科 佐々木亮 助教、伊佐正 同教授(兼・京都大学ヒト生物学高等研究拠点 主任研究者)、奈良先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科 太田淳 教授、自然科学研究機構生理学研究所 小林憲太 准教授らの研究グループは、報酬とリスクを獲得するバランスの制御に関わる霊長類の戦略的意思決定の脳神経回路機構を解明しました。すなわち、意思決定に関与する主要な脳部位として、中脳の腹側被蓋野から前頭皮質、とりわけ腹外側6野と呼ばれる領域への直接経路が報酬とリスクのバランスを調節する重要回路として機能的役割を担うことを示した、初めての研究といえます。高度な認知課題を遂行しているマカクサルの意思決定を詳細に定量化し、計算論的神経科学の手法によって意思を解読し、さらに最先端の経路選択的な
光遺伝学的 (注1)活動操作により、マカクサルの意思嗜好性の操作に成功した研究は過去に見られません。過度の嗜好性をバランスよく調節し、依存症の治療などの臨床応用などへの発展の一助となることが期待されます。
本研究成果は、
2024年1月4日午後2時(米国東部標準時間)に米国科学誌「Science」にて公開予定です。
本研究イメージ図:HHとLLの経路を選ぶゲームをするサル。(実際の研究では目線で色を選ぶ二者択一課題)
本研究では、光遺伝学的操作によってライトを当てる部位(6VVまたは6VD)を調整することによって、この様な状況下のサルの選択を調整し、さらに脳の活動からサルの選択を解読することに成功した。VTA: 腹側被蓋野、6VV: 腹外側6野下端の腹側、 6VD: 腹外側6野下端の背側
1. 背景
ヒトを含めた動物は、生存のため自然環境に柔軟に適応し、戦略的に行動を選択する必要があります。例えば、人生の岐路やスポーツ戦術、採餌行動などにおいて、動物は、生得的にリスク回避的に行動しますが、報酬を得るためには、時としてリスクを受け入れる必要があります。このような状況下において、リスク(失敗確率)とリターン(報酬)のバランスをどのように取るか、すなわち目標達成のためにいずれの行動ー「高い失敗確率・高い報酬量(ハイリスク・ハイリターン:HH)」か、「低い失敗確率・低い報酬量(ローリスク・ローリターン:LL)」か―を選択するかは、その場面・状況や自他の環境などに応じた柔軟な意思決定に基づくものとなります。しかし、報酬とリスクの情報を統合し、そのバランスを柔軟に制御する脳神経回路のメカニズムについては、不明な点が多いままでした。本研究では、霊長類において意思決定に関わる個々の神経回路を特定し、意思決定の外的なコントロールが可能であることを示しました。このことにより、様々な精神神経疾患の症状を脳内神経回路ごとの機能として説明することができ、それに沿った安全な治療法の開発が期待できると考えます。
2. 研究手法・成果
まず、HHかLLか(報酬確率と報酬量の組み合わせで設定)、どちらかを選択するという単純な二者択一課題をサルに遂行させると、サルはHHをより好む傾向(リスク嗜好性)がありました。この課題遂行中に前頭前野の様々な領域を細かく分けて網羅的に抑制してみると、特に腹外側6野下端(6V)において、リスク嗜好が消失することが明らかとなりました。すなわち、6Vがリスク嗜好性を担う主要な部位である可能性が示されたことになります。そこで次に、報酬獲得に関する意思決定に重要な役割を担っている中脳の腹側被蓋野(VTA)から、この6Vへの脳回路に着目し、この経路を選択的に光遺伝学的手法を用いて刺激してみることにしました。すると、HH嗜好が高まる部位(腹側:6VV)とLL嗜好が高まる部位(背側:6VD)が見つかりました。このように個別の経路を選択的に活性化することでサルの嗜好を調節することに成功しました。さらに、この光照射による活性化が実験日を超えて蓄積する長期効果があることもわかりました。つまりVTA-6VV 経路を光照射し続けるとリスク嗜好が持続的に増強し、一方でVTA-6VD 経路を光照射し続けると、リスク嗜好が緩和したのです。また、脳活動も同時に記録して、光刺激によるHH嗜好の依存効果と脳活動の関係を比較したところ、有意な脳活動の変化が確認されました。この6V脳領野の神経活動を用いて、
神経計算論的デコーディング解析(注2)からサルの意思を解読することにも成功しました。これらの結果は、リスク嗜好的な意思決定様式が、VTA-6VV経路の繰り返し刺激による活性化により、依存的に蓄積する傾向を示唆しています。サルを用いた高度な認知課題において、光遺伝学的手法により脳回路操作の効果をロバストに観察できた前例は極めて少なく、技術的にも世界の最先端を行く先駆的な研究と言えます。さらに、光刺激による脳活動の変化を記録・解析し、行動の変化までを説明した世界で初めての研究成果となります。そして、このようなリスク嗜好性が緩和される脳領野の発見により、ギャンブル依存症などの精神神経疾患に特徴的な意思決定の障害に対して、関与する神経回路の内外因的制御によるリハビリ治療の実施など、臨床的貢献への期待が高まります。
3. 波及効果、今後の予定
霊長類における複数の脳領域間の複数神経回路ネットワークダイナミクスが解明され、皮質下から皮質への広汎な神経回路ネットワークの制御により意思決定を外因的にコントロールできれば、精神神経疾患にみられる諸症状を脳の神経回路ごとに説明することが可能となり、将来的には精神神経疾患の治療法の開発を導く可能性を秘めています。加えて、この研究は、動物の柔軟かつ合理的な意思決定の仕組みを神経基盤レベルにおいて解明しようとする点において、重要な知見を与えてくれます。こうした意思決定機構研究の蓄積は、神経科学のみにとどまらず、情報学、工学、経済学などとの連携により、脳機能の発育・発達、改善、そして最適に訓練・修復していくような新手法の提案が期待でき、産業・社会分野における新技術開発にも貢献できるものとなり得ます。
近年における脳科学の急速な発展に伴い、より介入的な方法で精神神経疾患を「治療する」時代が訪れようとしている中、例えばこれまで難治性とされていた精神神経疾患で苦しむ人々にとっての朗報が、人間に備わっている「個としての心の在り方」を変容させてしまうことも懸念する必要があります。神経科学研究の発展を取り巻く倫理的課題についても、議論を併行させていくことが望まれます。
4. 研究プロジェクトについて
本研究は、以下の研究資金の支援を受けました。
科学研究費助成事業・研究活動スタート支援(19K21209)(佐々木亮)
科学研究費助成事業・挑戦的研究(萌芽)(21K19430)(佐々木亮)
科学研究費助成事業・基盤研究(B)(21H02803)(佐々木亮)
戦略的創造研究推進事業・さきがけ(JPMJPR21S6)(佐々木亮)
上原記念生命科学財団(佐々木亮)
武田科学振興財団(佐々木亮)
内藤記念科学振興財団(佐々木亮)
ブレインサイエンス振興財団(佐々木亮)
藤原記念財団(佐々木亮)
科学技術振興機構・戦略的創造研究推進事業「オプトバイオ」(伊佐正)
日本医療研究開発機構・医薬品等規制調和・評価研究事業、脳科学研究戦略推進プログラム「意思決定」(20DM0107151)(伊佐正)
日本医療研究開発機構・医薬品等規制調和・評価研究事業、国際脳(20DM0307005)(伊佐正)
科学研究費助成事業・新学術領域研究(研究領域提案型)「超適応」(19H05723)(伊佐正)
科学研究費助成事業・基盤研究(S)(22H04992) (伊佐正)
用語解説
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光遺伝学的手法:光によって活性化されるタンパク分子を特定の細胞に発現させ、その機能を光で操作する技術。
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神経計算論的デコーディング解析:脳機能の計算論的理解に基づき、心の状態を脳神経信号から解読する技術。
<研究者のコメント:京都大学医学研究科助教 佐々木 亮>
実は、本成果を得るまでに、丸6年を要しました。ご一読いただくとご理解いただけるかと思いますが、この論文には、様々な技術が集結しています。つまり、様々な技術を持った猛者達が集結しています。最終的な成果を導くため、私が中途に諦めればチームに迷惑がかかるというプレッシャーとも闘いながら、6年間粘りました。時間をかけたからといって、インパクトのある仕事で成功する確率が高くなるわけではありません。逆に時間をかけるほど成果(論文本数?)が求められます。まさに、我々は、ハイリスクハイリターンを選択していた?というのが裏話です。サイエンスを志す若者達が少しでも増えることを期待します。日本の研究分野を盛り上げていきましょう!
<論文書誌情報>
タイトル |
Balancing Risk-Return Decisions by Manipulating the Mesofrontal Circuits in Primates
霊長類の脳回路光操作によるリスク・リターン意思決定バランスの調節機序 |
著 者 |
Ryo Sasaki, Yasumi Ohta, Hirotaka Onoe, Reona Yamaguchi, Takeshi Miyamoto, Takashi Tokuda, Yuki Tamaki, Kaoru Isa, Jun Takahashi, Kenta Kobayashi, Jun Ohta, Tadashi Isa |
掲 載 誌 |
Science |
DOI |
10.1126/science.adj6645 |
お問い合わせ先
<研究に関するお問い合わせ先>
氏名 佐々木 亮(ささき りょう)
所属・職位 京都大学大学院医学研究科 神経生物学分野 助教
<報道に関するお問い合わせ>
京都大学高等研究院 ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi)
奈良先端科学技術大学院大学 企画総務課 渉外企画係
自然科学研究機構 生理学研究所 研究力強化推進室
リリース元
京都大学
京都大学高等研究院 ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi)
奈良先端科学技術大学院大学
自然科学研究機構 生理学研究所
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