脊髄を損傷すると手足など身体の各部に運動麻痺が残ることが知られています。しかし多くの脊髄損傷は不全損傷であり、手足の筋肉へとつながる一部の神経経路は損傷を受けずに残っています。この残された神経経路が、運動麻痺の回復に役立つのではないかと考えられてきましたが、詳細は分かっていませんでした。 今回、自然科学研究機構 生理学研究所の伊佐正 元教授(現 京都大学大学院医学研究科・医学部神経生物学分野)と生理学研究所の當山峰道研究員、小林憲太准教授、弘前大学の木下正治准教授、京都大学の渡邉大教授、福島県立医科大学の小林和人教授、慶應義塾大学医学部の里宇明元教授らの共同研究グループは、サルの脊髄のうち皮質脊髄路*用語1を損傷させた後に見られる手指の巧緻な運動の回復過程において、損傷を免れた脊髄固有ニューロン*用語2を介する経路が回復早期に重要な役割を果たすことを、ウイルスベクター*用語3による最新の神経回路操作技術(ウイルスベクター二重感染法*用語4)を駆使して明らかにしました。本研究結果は、米国科学誌のProceedings of the National Academy of Sciences誌(2017年1月3日オンライン版、1月17日号)に掲載されました。 |
脊髄損傷の多くは、大脳皮質運動野*用語5から脊髄の運動ニューロン*用語6に情報を伝える皮質脊髄路を介した神経経路が傷つくことで運動麻痺が生じます。しかし、脊髄損傷の多くは一部の神経だけが傷ついている不全損傷であり、損傷を免れた神経が脊髄内に存在します。この残された神経経路が運動麻痺の回復にどのように役立っているのか、その詳細は明らかではありませんでした。そこで研究チームは、サルの皮質脊髄路損傷後に、損傷部位をバイパスして運動野からの指令を脊髄の運動ニューロンに伝えることができる脊髄固有ニューロンに着目しました。
過去の研究により、皮質脊髄路を第4–5頚髄のレベルで損傷したサルは、運動麻痺により手指の細かな運動ができなくなっても1–3か月後には回復することがわかっていました。損傷を免れた脊髄固有ニューロンが回復に関わる可能性について言及されていましたが、その因果関係は明らかでなく、技術的にも証明することが困難でした。
そこで今回の研究では、近年開発された2種類のウイルスベクターを用いた神経回路操作技術を、第4–5頚髄のレベルで皮質脊髄路損傷をしたサルの脊髄固有ニューロンに適用しました(図1A)。2種類の異なるタイミングで脊髄固有ニューロンを阻害し(図1B)、脊髄固有ニューロンを介する神経経路がいつ、どのように回復に影響を及ぼすかを調べました。
まず、皮質脊髄路を損傷させてから手指の細かな運動がある程度回復した時に脊髄固有ニューロンを一時的に阻害したところ、手指の細かな運動は部分的に障害されましたがすぐに回復しました(図2A)。次に、皮質脊髄路損傷を行う前から損傷後3–4か月半まで継続して阻害し続けたところ、手指の細かな運動は回復しかけた途中で止まってしまいました(図2B)。
これらの結果から、回復過程には少なくとも2段階があり、最初の段階に重要な役割を果たす脊髄固有ニューロンがうまく働かないと回復がよく進まなくなることが分かりました。一方で、一旦回復が進むと、おそらく他のニューロン群も回復に関わることになり、脊髄固有ニューロンの重要度は相対的に低下してしまうことがわかりました。
伊佐正教授は「今回の研究で、これまで明らかになっていなかった脊髄損傷後回復過程の早期において重要な役割を果たす脊髄のニューロン群を特定することができました。脊髄損傷の新たな治療法の開発やリハビリテーションの神経学的な基盤の解明につながる成果だと期待できます。」と話しています。
本研究は文部科学省の科学研究費補助金新学術領域研究「行動適応を担う脳神経回路の適応シフト機構」(領域代表:小林和人福島県立医科大学教授)の支援を受けて行われました。
図1A:サルの第4-5頚髄の位置で皮質脊髄路を損傷させて、損傷部位を迂回する脊髄固有ニューロンに逆行性ウイルスベクター(HiRet/FuG-E/NeuRet-TRE-EGFP.eTeNT)*用語7と順行性ウイルスベクター(AAV2/DJ-CMV-rtTAV16)*用語8の2種類を作用させ、遺伝子を導入しました。
図1B:二重操作された脊髄固有ニューロンの神経伝達を阻害する薬(ドキシサイクリン:Dox)*用語9を一時的に投与する実験(上)と、皮質脊髄路損傷後3-4か月半に渡って継続的に投与する実験(下)を行い、脊髄固有ニューロンがいつ、どのように回復に影響を及ぼすかを調べました。
図2A:皮質脊髄路の損傷後、手指の細かな運動が一旦回復した後で脊髄固有ニューロンを一時的に阻害すると、その細かな運動は部分的に障害されますがすぐに回復することから、この時期の脊髄固有ニューロンの影響は部分的と言えます。
図2B:皮質脊髄路を損傷する1-2週前から損傷後3-4か月半の間、脊髄固有ニューロンを継続して阻害し続けると、回復は不完全な状態で止まってしまい、精密把持運動は回復しません。
これらの結果から、脊髄固有ニューロンは損傷後、回復の早期に重要な役割を果たすことが示されました。
図3A:皮質脊髄路の損傷前、脊髄固有ニューロンはある程度手指の細かな運動の制御に関わっています。
図3B:損傷後の早期では、手指の細かな運動の回復に脊髄固有ニューロンが大きく関わることがわかりました。
図3C:損傷後、回復が進んだ後期では、手指の細かな運動への脊髄固有ニューロンの貢献度は早期に比べて下がります。つまり、手指巧緻運動の回復過程では、回復の時期によって脊髄固有ニューロンを介する神経経路はその役割の重要度変えて回復に関わっていると言えます。
脊髄損傷後に残存する脊髄内の神経細胞が、回復早期に回復過程全体を左右する重要な役割を果たすことを明らかにすることができました。今回の成果は、脊髄固有ニューロンを介する神経経路のように、損傷を免れて残存する神経ネットワークを時期特異的に賦活させて、運動麻痺の回復を促進させるなど、これまでにない新たな治療法や、リハビリテーションなどの治療の開発に繋がる画期的な成果であると考えます。つまり、これまで主流であった損傷部位の再生を目標とした再生医療からのアプローチではなく、全く新しい治療の方向性を示した成果であると言えます。
Contribution of propriospinal neurons to recovery of hand dexterity
after corticospinal tract lesions in monkeys
Takamichi Tohyama, Masaharu Kinoshita, Kenta Kobayashi, Kaoru Isa, Dai Watanabe, Kazuto Kobayashi, Meigen Liu, and Tadashi Isa. Proceedings of the National Academy of Sciences 2017年 1月3日オンライン版、1月17日号掲載
<研究について>
京都大学大学院医学研究科・医学部 神経生物学分野
教授 伊佐 正 (イサ タダシ)
<広報に関すること>
自然科学研究機構 生理学研究所 研究力強化戦略室
弘前大学医学研究科事務部 (事務長 長澤 淳)
京都大学企画・情報部広報課国際広報室
今羽右左 デイヴィッド 甫
福島県立医科大学 医療研究推進課
慶應義塾大学 信濃町キャンパス総務課
自然科学研究機構 生理学研究所
弘前大学
京都大学
福島県立医科大学
慶應義塾大学