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新しい脳内情報伝達様式を発見-病態の発症・治療への手掛かりに-

プレスリリース 2020年7月 1日

内容

 慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室の田中謙二准教授、吉田慶多朗研究員(研究当時)、名古屋大学の山中章弘教授、生理学研究所の小林憲太准教授、北海道大学の渡辺雅彦教授による共同研究グループは、意欲行動の開始時に、脳神経回路の上流で興奮を伝える神経の活動が抑制されるにもかかわらず、その情報を受けとる下流では反対に神経が興奮するという、新しい脳内情報伝達様式をマウスでの実験で発見しました。
 実験動物が自由に行動している最中に、特定の神経細胞の活動を正確に調べる技術の応用によって、この発見がもたらされました。さらに、活動を逆転させる伝達様式を担うのは、パルブアルブミンと呼ばれるマーカー分子を発現する神経細胞であることが判明しました。
 パルブアルブミン陽性細胞は、統合失調症などの精神疾患の病態に深く関与する細胞であることが知られています。精神疾患において、今回発見された脳内情報伝達がどのように変化して病態形成・治療に関与するのか、今後の展開が期待されます。
 今回の研究成果は2020年6月30日(アメリカ東部時間)、「Cell Reports」(オンライン版)に掲載されました。

1. 研究の背景と概要

 現在、脳神経回路の全容を解明するプロジェクトが、各国で展開されています(米国BRAIN INITIATIVE 2013-2022、ヨーロッパHuman Brain Project 2013-2022、日本 革新脳 2014-2023)。これらは、ヒトからモデル動物までを扱い、それぞれの脳において神経細胞がどのように配線・接続されているのかを徹底的に解明するプロジェクトです。これらの解剖学的な知見を基盤として、実際に情報が神経から神経へと伝達していく様子を知るには、生理学的な実験による観察が必要になります。
 近年、これらのプロジェクトにより、神経細胞の活動を蛍光の強弱で示すことができるセンサー分子の開発、センサー分子を興味のある神経細胞集団に発現させる遺伝子改変技術の進歩、小動物(マウス)から負荷なく蛍光観察を可能にする装置の開発など、要素技術の進歩によって、これまで困難であった、自由行動下の動物から神経活動を記録することが可能になりました。
 そこで本研究グループは、マウスの意欲行動中における腹側線条体の活動を記録することに挑みました(関連文献1)。カメレオン(注1)とよばれる神経活動センサー分子を腹側線条体に発現させ、ファイバーフォトメトリー(注2)という手法で神経活動を観察しました。対象とする意欲行動は、レバーを押したらエサをもらえるという課題を繰り返すもので、行動の選択、開始、持続を評価することができます。本研究グループは、先行研究において、課題の開始時に、腹側線条体の内側(VMS)に位置する神経細胞集団(VMS-MSN)は活動が下がるのに対し、腹側線条体の外側(VLS)に位置する神経細胞集団(VLS-MSN)は活動が上がることを明らかにしています(図1、下流)。
 課題の開始時のVMS-MSNの活動低下は行動選択を担い、VLS-MSNの活動上昇は行動開始を担います。

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図1 レバー押し課題開始時の脳内情報伝達:
下流:腹内側線条体神経(VMS-MSN)は活動が下がる。腹外側線条体神経(VLS-MSN)は活動が上がる。上流:腹側海馬も島皮質も活動が下がる。

 それでは、線条体の上流はどのように活動し、それを下流の線条体へ送っているのでしょうか。VMSの上流は腹側海馬で、VLSの上流は島皮質です。それぞれの活動を、意欲行動中に調べると、腹側海馬も島皮質も同じように課題開始時に活動が低下しました。腹側海馬―VMSの関係では、上流の活動が落ちれば、下流も落ちるという、従来の考えと矛盾しないものでした。一方で、島皮質―VLSの関係では、上流の活動が下がったにもかかわらず、下流の活動が上がるというこれまでに報告のない情報伝達でした(図1)。

 

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図2 パルブアルブミン陽性介在神経(PV-IN)の不均一な分布:線条体(茶色)の下側が腹側線条体。腹外側線条体(VLS)には、ピンク丸で強調したPV-INが豊富に存在するが、腹内側線条体(VMS)にはほとんど存在しない。ピンク矢印が指し示すのは1個のPV-INを表す青い信号で、VLSとVMSではこれをピンク丸で強調している。

 

 本研究グループでは、パルブアルブミン陽性介在神経(PV-IN)が、線条体内で不均一に存在することに着目しました。VMSにはPV-INが4個/mm2しか存在しませんが、VLSには47個/mm2存在しました(図2)。VLSのPV-INが島皮質から入力を受けることを電気生理学的手法で明らかにし、課題の開始時にPV-INの活動も下がることをファイバーフォトメトリーで明らかにしました。さらにPV-INの活動を光遺伝学的手法で人工的に下げるとVLS-MSNの活動が上がることを電気生理学的手法で示しました。以上の結果から、PV-INが上流神経の活動低下を下流神経で逆転させる本体であることを突き止めました(図3)。

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図3 新しい情報伝達のメカニズム:島皮質の活動抑制がそのままMSNに伝わるのではなく(点線)、島皮質神経の活動抑制がPV-INの活動抑制をもたらす。その結果、PV-INによる抑制が外れて線条体神経(MSN)が興奮する。これをfeedforward disinhibitionと呼ぶ。

 

2.研究の成果と意義・今後の展開

 PV-INが上流神経の活動を和らげる(チューニングする)ことはよく知られた事実です。このメカニズムをfeedforward inhibition(上流から下流への信号をPV-INが抑制する)と言います。今回の研究において、PV-INがfeedforward disinhibition(PV-INの抑制を解除することで下流の信号を増加させる)をも担当していることがわかりました。自由行動下の脳内で、feedforward disinhibitionによる情報伝達が行われていることを示した最初の報告になります。この情報伝達様式はこれまでの電気刺激と電気記録による神経回路機能解析では発見することが困難でしたが、今回の実験で、光で神経細胞を刺激し、さらに光で神経活動を記録することでこの現象を捉えることができました。
 PV-INの機能変容は、統合失調症などの精神疾患の病態生理に深く関わると考えられています。feedforward disinhibitionという今回発見したPV-INの新しい機能が、病態の発症や回復にどのように関わってくるのか、今後の展開が期待されます。

3.特記事項

 本研究は科研費 JP18J12572、JP19H05027、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクトにおける研究開発課題「双方向トランスレーショナルアプローチによる精神疾患の脳予測性障害機序に関する研究開発」、および慶應義塾次世代研究プロジェクト推進プログラムの支援を受けて行われました。

4.論文

タイトル:Opposing ventral striatal medium spiny neuron activities are shaped by striatal parvalbumin-expressing interneurons during goal-directed behaviors
タイトル和訳:目的指向型行動中に観察される腹側線条体における正反対の活動は、線条体
パルブアルブミン陽性介在神経によって形作られる。
著者名:吉田慶多朗、木村生、河野晏奈、山中章弘、小林憲太、渡辺雅彦、三村將、田中謙二
掲載誌:「Cell Reports」(オンライン版)
DOI:10.1016/j.celrep.2020.107829

関連文献1
2017年9月29日プレスリリース
柔軟な行動選択を行う脳内メカニズムの発見
―目標行動を抑制する脳領域機能の一端を解明―
https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/2017/9/29/28-24433/

【用語解説】

(注1)カメレオン:細胞内カルシウム濃度を蛍光の強弱で表現できる蛍光蛋白質。カメレオンに励起光を照射すると、神経活動増加に伴う細胞内カルシウム濃度増加では高い値が、神経活動低下に伴う細胞内カルシウム濃度低下では低い値が得られる。カメレオンを発現させた特定神経細胞の活動を計測できる。
(注2)ファイバーフォトメトリー:ファイバーフォトメトリーでは、光ファイバーをカメレオン
発現神経細胞の近傍に近づける。励起光は光ファイバーを通じて与え、発生した蛍光を同
じファイバーを通じて回収する。回収した蛍光から神経活動を計測する技術。

お問い合わせ先

【本発表資料のお問い合わせ先】
慶應義塾大学医学部 精神・神経科学教室
准教授 田中 謙二(たなか けんじ)

【AMED事業について】
日本医療研究開発機構(AMED)
疾患基礎研究事業部 疾患基礎研究課
革新的技術による脳機能ネットワークの
全容解明プロジェクト

    【本リリースの発信元】
慶應義塾大学
信濃町キャンパス総務課:鈴木・山崎

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上記までご連絡ください。

リリース元

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