計画共同研究は,研究者の要請に基づいて生理学研究所が自らテーマを設定する。2007年度までは,「遺伝子操作モデル動物の生理学的,神経科学的研究」 と「バイオ分子センサーと生理機能」の二つが行われた。2008年度からは,「多光子励起法を用いた細胞機能・形態の可視化解析」と「位相差低温電子顕微 鏡の医学・生物学応用(2011年度から「先端電子顕微鏡の医学・生物応用」に改題)」が、2009年度からは「マウス・ラットの行動様式解析」が開始さ れた。また、2011年度から「マウス・ラットの行動代謝解析」が,2012年度からは,「霊長類への遺伝子導入実験」,「機能生命科学における揺らぎの 研究」及び「脳情報の階層的研究」が新設された。さらに、2013年度からは「ウィルスベクターを用いた神経系への遺伝子導入」も新設される。いずれも現 在最も高い関心が寄せられている領域であると同時に,生理学研究所が日本における研究の最先端をいっている分野でもある。多くの共同研究の申請を期待して いる。 2012年度に永年続く申請課題に関して教授会および運営会議で話し合われた結果、以下のことが決定された。
1) 申請計画は5年以内に終結する計画とし、明確な目的と実験計画を求める。ただし、5年間の進捗状況によりさらなる延長は可能である。
2) 申請課題名は具体的なものとし、大きなテーマでは採択しない。
3) また、部門ごとに受け入れ件数を限る。一般共同研究:各研究部門・研究施設ごとに5件以内とすることが望ましい。計画共同研究:担当課題ごとに5件以内とすることが望ましい。
◇ 計画共同研究の詳細は,次の通りである。
「遺伝子操作モデル動物の生理学的,神経科学的研究」
生理学及び脳科学の研究を推進する上で個体レベルでの解析は重要であり,遺伝子操作モデル動物は非常に有効な実験材料となる。モデル動物開発のための発生 工学的技術の革新は近年とくに目覚ましく,日々,発展・進歩を遂げている。生理学・脳科学と発生工学の両方に精通した行動・代謝分子解析センター 遺伝子改変動物作製室が遺伝子操作モデル動物の作製技術を全国の研究者に提供することは,他機関の同種事業に比べても当該研究分野の発展に大きく貢献して いる。共同利用研究に供するため,ラットとマウスにおいて,トランスジェニック動物やノックアウト動物のような有用モデルの開発を支援している。特にラッ トの遺伝子改変技術は、これまで困難を極めていた。しかし、ごく最近、ES細胞やiPS細胞の樹立が確立され、ノックアウトラットの作製も可能となった。 同作製室においても、生殖系列寄与能を持つラットES細胞株ならびにiPS細胞株の樹立に成功し、これら幹細胞を使って3系統のKOラット個体と1系統の ノックインラット個体を獲得した。これらの技術を用いて、2013年度からは、内在性遺伝子を改変したラット個体を、広く提供できると考えている。
「マウス・ラットの行動様式解析」
遺伝子改変動物を用いて,遺伝子と行動を直接関連づけられることが明らかとなってきた。このような研究においては多種類の行動実験を一定の方法に則って再 現性よく行うことが要求される。このような実験を各施設で独立して行うことは極めて困難であり,無駄が多い。生理学研究所では動物の行動様式のシステマ ティックな解析を全国の共同利用研究に供するために,行動・代謝分子解析センターに行動様式解析室を立ち上げた。この施設に日本におけるマウス行動学の権 威である宮川博士を客員教授として迎え,2009年度から計画共同利用研究「マウス・ラットの行動様式解析」を開始した。将来的にはラットの解析を行う予 定であるが,現在はマウスの解析を実施している。 2012年度は、研究所外12件、所内2件の共同研究を行った。マウス系統数としては、6系統のマウスに対して網羅的行動テストバッテリーによる解析を 行ったのに加え、8系統の遺伝子改変マウスあるいは薬物投与マウスについて、複数の行動テストによる解析を行った。また、高架式十字迷路の行動解析プロト コル (Komada et al, JoVE 2008) に対応した行動解析用のソフトウェア (ImageEP, Program for the Elevated Plus Maze Test) を公開した。ソフトウェアは以下のURLから入手することが出来る:http://www.mouse-phenotype.org /software.htm。本ソフトウェアを使用することで、取得画像に基づいた客観的な行動評価が手軽に行えるようになり、行動解析の効率化・標準化 が進むことが期待される。
「マウス・ラットの代謝生理機能解析」
代謝生理解析室は、2010年に発足、2011年より計画共同研究「マウス・ラットの代謝生理機能解析」を開始した。同室では、生理研内外の研究者が作成、保有する遺伝子改変動物を用いて以下の項目を測定している。 1)運動系を中心とした覚醒下での単一ニューロン活動などの神経活動の計測。 2)自由行動下における脳内特定部位での神経伝達物質の分泌計測。 3)フラビン及びヘモグロビン由来の内因性シグナルを利用した脳領域活動と膜電位感受性色素を用いた回路活動のイメージング。 4)自由行動下における摂食、エネルギー消費の計測。 5)自由行動下における体温、脈拍数、血圧の計測。 本年度は、外部機関と4件の共同研究、生理研内部において2件の共同研究を実施した。
「先端電子顕微鏡の医学・生物学応用」
薄膜位相差電子顕微鏡(位相差電顕)は生理学研究所で独自に開発されたもので,特に低温手法と組み合わせることで威力を発揮する。特に無染色の生物試料に ついて、生(なま)に近い状態の構造を1 nm以下の分解能で観察できる性能を持つ。本計画共同研究はこの位相差電顕を初めとして当研究所が誇る最先端の電子顕微鏡技術を、医学,生物学のフィール ドでより有効に活用してもらうために実施する。主な観察対象は急速凍結された無染色のモーター蛋白質、受容体やチャネルなどの膜蛋白質,ウィルス,バクテ リア,培養細胞、組織切片などである。 2012度は2件の計画共同研究を行った。一つ目は血小板活性化過程の光顕電顕統合イメージングである。血小板が活性化によりこれを核としてフィブリンの 重合化を促す過程を全反射蛍光顕微鏡で追跡するとともに、フィブリンとインテグリンを介した血小板表面の相互作用の構造変化を位相差電顕により解明する。 二つ目は光顕・電顕相関観察用環境セルの開発に関する研究で、活性を保った生体分子を環境制御した液中試料セルに入れることで、その構造変化を蛍光顕微鏡 と位相差電顕で同時観察することをめざす。
「多光子励起法を用いた細胞機能・形態の可視化解析」
2子励起顕微鏡システムは,低侵襲性で生体および組織深部の微細構造および機能を観察する装置であり,近年国内外で急速に導入が進んでいる。しかし,安定 的な運用を行うためには高度技術が必要であるため,共同利用可能な機関としては生理研が国内唯一である。現在,3台の正立(in vivo実験用)の2光子励起顕微鏡が安定的に稼動している。その性能は世界でトップクラスであり,レーザー光学系の独自の改良により,生体脳において約 1ミリメートルの深部構造を1マイクロメートル以下の解像度で観察できる性能を有している。また、2011年度に村越秀治准教授が着任し、細胞内での分子 間相互作用を可視化するための2光子蛍光寿命イメージング顕微鏡システムの構築を開始した。このほかに、Qdotを利用した1分子イメージング観察システ ムの導入にも取り組んでおり、蛍光顕微鏡を利用した多彩なイメージングの共同研究への供与に取り組んでいる。 特に、これまでに、生体内Ca2+イメージング技術の確立および同一個体・同一微細構造の長期間繰り返し観察の技術の確立に成功おり、これらを利用し、 脳、血管、骨組織、消化管における生体分子や細胞の可視化について共同研究を実施した。その他、生体恒常機能発達機構研究部門及び多光子顕微鏡室が研究室 単位での共同研究を受け入れている。今年度は3件の計画共同研究を行った。さらに、将来の共同研究の可能性を検討するための予備的実験を8件行った。ま た、多光子励起顕微鏡システムを利用した共同研究の可能性についての詳細な相談10 件、多光子励起顕微鏡システムの見学には20 件を超える来所者があった。 今後は更に共同研究申請数の増加が見込まれるが、顕微鏡、および研究レベルを世界最高レベルに保つために、共同研究に対応できる人員と維持管理費の確保 および高精度画像処理システムの構築を行うことが大きな課題である。
「霊長類への遺伝子導入実験」
ウイルスベクターを用いて霊長類の脳に遺伝子を導入し、機能分子の発現を制御したり神経活動を変化させる技術は有望であり注目されている。しかしこのよ うな研究を遂行するには、ベクターの開発、ベクター注入のための実験室など、多くの技術、設備を要する。これらの技術、設備を共同利用に供することによ り、高次脳機能やその病態の解明を目指し、2012年度から計画共同研究を開始した。 本年度は3件の計画共同研究を行った。マカクサル運動皮質損傷後の機能回復にともなう代償的運動出力経路の解明では、このような代償的経路の解析にウイ ルスベクターを用いる方法の検討を行った。遺伝子改変サルモデルを用いた大脳基底核の機能と病態の解明においては、ウイルスベクターとイムノトキシン法を 用いて、大脳基底核の神経経路のうちハイパー直接路(大脳皮質—視床下核路)の選択的除去に成功した。霊長類脳遺伝子発現抑制実験へのPET分子イメージ ング法の応用では、ウイルスベクターを用いたRNA干渉による遺伝子発現抑制をPETで観察することに成功した。
「機能生命科学における揺らぎの研究」
機構の 「自然科学研究における国際的学術拠点の形成」 プロジェクトの一つとして、生理研が主として担当する 「機能生命科学における揺らぎと決定」 が開始された。 その目的は以下の通りである。ヒトの意思決定や進化をイメージすると 「安定・平衡を保つこと」 と 「時折変わる力を持つこと」の両方が重要である。「揺らぎ」 は、「安定」 と 「時折の変化」 の両方を可能とする有効なシステムと考えられる。本プロジェクトでは、単分子、多分子相互作用系から細胞系、生体システムまでの世界を 「揺らぎと決定」 というキーワードで捉え、生命の各階層に存在する揺らぎを知り、また揺らぎの果たす役割を明らかにすることにより、機能生命科学における 「決定とその跳躍」 に関する原理を探る。これにより、生体機能分子の揺らぎとそれらの相互作用がいかにして複雑な生命現象を生み出し、そして究極的にはヒトの意思の創発をも たらすのか等の理解を目指す。 このプロジェクトの一貫として、2012年度より計画共同研究「機能生命科学における揺らぎの研究」を実施している。
「脳情報の階層的研究」
本課題は、自然科学研究機構事業「自然科学研究における国際拠点形成」の中で生理学研究所が担う2課題のうちの1つとして2010年度から開始された。目 的は、人や各種モデル動物を用いて分子―細胞―回路―脳の階層をつなぎながら脳神経系の情報処理過程について研究を行なう。そのために、イメージングなど の階層レベルや動物種をシームレスにつなぐ実験的手法を用いて、脳神経の情報処理機能を、脳の構造と機能の相関として明らかにする。さらに、各国の研究者 との交流をもとに、脳の戦略機構の理解を推進する国際拠点を形成する。2011年度は生理研における8部門・室と生理研外3研究室(基生研2,分子研1) 参加した。また、著明な海外研究者の招聘と生理研研究者の海外派遣を行った。機構外からの招聘研究者を含めてシンポジウムを開催した。2012年度から計 画共同研究として募集を開始した。
「ウィルスベクターを用いた神経系への遺伝子導入」
近年、中枢神経系への遺伝子導入技術としてのウィルスベクタ ーの性能が向上してきたことが注目されている。そこで生理学研究所に2012年度に新設された脳機能計測・支援センターのウィルスベクター開発室におい て、最近開発が 進んできた神経経路選択的な機能操作を可能にする高頻度逆行性レンチウィルスベクターや各種血清型のアデノ随伴ウィルスベクターを中心として、新規ウィル スベクターの共同開発や既に作製されたウィルスベクターの提供を含めた共同利用研究を推進する。 2012年8月に小林憲太准教授が着任し、本開発室においてウイルスベクターの大量精製系が立ち上がった。現在、作製されたウイルスベクターの提供やウ イルスベクター大量精製法の技術提供などに取り組み、高次脳機能の解明に大きく貢献することを目指している。