ご挨拶

2010年11月   伊佐 正 

先日、今年8月に亡くなられた城所良明先生を偲ぶ会が東京で開かれた。城所先生は神経筋接合部の電気生理学的研究で世界的に著名な方だった。東大医学部を卒業後、東大脳研生理の大学院を出て、米国UCLAの萩原生長先生の研究室に留学され、その後ソーク研究所、さらにUCLAの教授として活躍されていた。それが53歳の時に、日本で後進を育成されたい、というお気持ちから群馬大学の行動医学研究施設の教授として帰国され、新たにショウジョウバエを用いた研究を展開された。群馬大学の定年後も、UCLAと群馬大学の客員教授として文字通り日米を股にかけて研究を継続され、さらに最近は東北大学の特任教授として72歳になられた現在でも科学研究費に採択され、新しい研究室の立ち上げ中だった。私が最初にお会いしたのは東大の脳研の大学院の頃で、夏休みに帰国されては、隣の神経生物学部門(高橋国太郎教授)の助手や大学院生の人たちと集中的に実験をして、手際よく論文にまとめられていた。いつも若々しく快活で、アメリカでは病理学をしておられる奥様が単身赴任で、城所先生自身がロスアンジェルスでお二人のお子様の育児をされていること、お子様は二人とも完全にアメリカ人、などという話をお伺いしたりしていた。当時城所先生の紹介で留学した人も多く、「アメリカで活躍されている大先輩」として眩しい輝きを発しておられた。その次にご一緒したのは群馬大学で、私が93年に第二生理学教室の講師として着任した際、既に前年に着任しておられた。いつも私の家の前を朝7時過ぎ颯爽と自転車で駆け抜けて、大学に通っておられた。自転車用のヘルメット姿が印象的で、「朝、いつも家の前で付属小学校に行くバスを待っている制服姿の1年生の息子さんの顔を見ているよ」というお話とか、米国から戻ったばかりで、日本の祝日がわからなかったため、朝仕事に来たのに誰もいないのは何でだ?と思うことが時々あったという笑える話をお伺いした。Administrativeな仕事に関わるよりは実際にTシャツとジ−パン姿で自ら手を動かして仕事をされていた。あっという間にショウジョウバエの飼育施設と実験室を立ち上げ、Neuron誌をはじめとして多くの一流誌に論文を連発され、「ショウジョウバエのミュータントの神経筋接合部をモデルとしてシナプス機能を解析できるプロの電気生理学者」という国際的な地位を確立された。傍から見ていて、「やっぱり実力あるんだ・・・」と脱帽せずにはおれなかった。その後、いろいろなところでお会いしても何時も変わらずの若々しさと爽やかさで、「この人を定年で辞めさせてしまうのは日本、いや世界の神経科学にとって大損失」と思った。このような先生は今後も75歳になっても80歳になっても、一部の海外の著名な研究者がそうであるように活躍し続けられるのだろうな、またそうであってほしいな、と思っていただけに、悪性の癌の進行による早い逝去にはショックを受けた。そう思った人も多かったろうと思う。多分いろいろなことで苦労され、内的な葛藤もあったであろうとは思うのだが、そのようなことは少しも表に出さず、いつも明るく、他人にはencouragingで、自ら研究を楽しんで、颯爽と人生を駆け抜けられた先生のご冥福を祈りたい。

 

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 伊佐 正 教授 
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