ご挨拶

2010年11月U   伊佐 正 

                                    SfN
SfNでSan Diegoに来ている。学会前日のSalkでのMotor controlのシンポジウムでのトークに始まり、今日、最終日の午前で自分が関連する発表は全部終わり、後は明日また再度Salk Instituteに呼んでもらっての研究室ツアーとセミナーとdinnerで終わりである。
例によって学会での発表は上丘のスライスにサルのblindsightとサッケード、あとはサルの脊髄損傷・皮質損傷に、BMI関連ではサルのDRGからのマルチ記録、さらに今回はoptogeneticsが加わった。
学会に来て改めて思うのは、やはり研究っていったって、結局は自分と同じ人間がやっている、極めて人間くさいものだなあ、ということである。自分だって有名なラボのポスターから回っていくし、皆の論文を全部きちんと読んでいるわけではない。これしか無い、という凄い分子を見つけた、というのならともかく、我々のようにシステム神経科学でデータによって「説を唱える」ような分野では、余程良い仕事でも、出し方を間違うと気づかれないままに埋もれていくこともしばしばである。最初から米国の有名なラボに留学して、そこの仕事で華々しくデビューできるのなら良いけれど、日本で始めた仕事でその研究分野で認知されていくには、きちんと良い論文をそれなりにvisibleなjournalに出し続ける、学会にはまめに顔を出して顔を覚えてもらう、良い質問をする、研究にシンパシーを持ってくれる仲間を増やす、日本にも呼んであげる、共同研究をする、などということの積み重ねを継続していかなくてはいけない。そして多くの人が読む雑誌にreviewを書く。こうして、それなりの時間をかけてやっと個人として、研究者として認められて「無視できない存在」になっていけるのである。途中で諦めたらその時点で終わりである。
今回、学会に来て、それなりにいろんな分野で存在感を出せてきたかな、と実感できた・・・何かがいつもと違う・・・というのも会場を歩いていると、初めての人も含めて多くの人が声をかけてくれる、ポスターを見たよ、とかreviewを読んだよ、お前のあの議論を俺は好きだ(10年以上前から言っているんだけれどね・・・)とか・・・。上丘の分野では少し早めに認知されたけれど、脊髄損傷関係でも、これまで少し冷ややかだったその分野の中心にいるとみなされている人たちからも色々積極的にアプローチを受けた。ここまで来るのに何年かかったことか・・・。
だから、というわけではないけれど、若い日本人の皆が意気込んでアメリカにやってきて、余りの規模に圧倒されて少々打ちのめされた感じになるのは良くわかる。だけど絶望するのはもっとやるべきことをやってからにしようよ、と言いたいのです。SfNでの日本人のプレゼンスをもっと上げなくては、というのは日本の神経科学学会としても大きな課題で、現在も学会同士の話し合いが行われているのだけれど、基本的には、それはこのような個々の日本人の研究者の頑張りにかかっているのだと思うのです。

 

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 伊佐 正 教授 
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