ご挨拶

2011年4月   伊佐 正 

震災から1ヶ月。直接の被害に加えて、電力不足、資材の不足、放射能の影響(風評も含めて)など、まだまだ先が読めない状況が続いている。こういう時こそ私たちの英知が試されるときだと思う。直接の被害を受けなかった我々に何をできるのか。過剰な自粛ムードは却って経済を停滞させ、復興を遅らせることを危惧するものの、失われた言葉をどうやって取り戻していけば良いのか。先が読めないのが辛い。こういった災害の2次的によるダメージが状況がボディーブローのように効いてしまって日本の経済や研究活動をさらに低下させなければ良いのだけれど。

先月末から、いくつかの予定を一緒にして、Copenhagen-Brussels-Tubingenを1週間ほどで回ってきた。一番主要な用件は、FENS(Federation of European Neuroscience Societies)は来年Barcelonaで開催される第8回のFENS FORUMから、プログラム委員会に米国とアジアの代表を招くことになり、それで私が日本神経科学学会の代表としてブリュッセルでの会議に参加することになったのだ。56個のシンポジウムの枠に205件の応募!それを1週間で会議に間に合わせるために採点せよとの事でとても大変だったが、それぞれの提案の質の高さには舌を巻いた。日本からの提案を増やすことも私の委員としてのミッションだったのだが、これほどまでとは驚いた。もっと頑張らなくてはいけなかったかもしれない、と反省した。現状での日本神経科学学会の国際化は日本の学会に多くの外国人を呼ぶことだが、次のステージでは当然ながらもっと外に出て行かなくては・・・それぞれの分野のリーダーとして国際的な場所で優れたシンポジウムの提案ができなくては。我々も頭を切り替える必要があることを痛感。
プログラム委員会ではとても暖かく迎えていただいた。議論の進め方などはとても勉強になった。この経験を日本にフィードバックしなくては。また、震災については本当に皆、心配してくれ、また力になりたいと言ってくれる。やはりサイエンスって良いものだな、サイエンスをする仕事につけて幸せだなと思う。

Tubingenはドイツ南部の大学街。人口8万人に学生が2万人余り。多分人口当たりの神経科学者の密度が世界で一番高いのではないか、と思うほど神経科学に重点が置かれた大学だ。東大医学部を卒業して米国のJeffery Schallの研究室で学位を取り、Svovoda研でポスドクを終えた佐藤隆さんが昨年Tubingen大学でPIになり、そこの神経科学部長で旧知のPeter Theirさんと一緒に相互交流プログラムを立ち上げないか、という話になって招待された。LogothetisのラボやAndreas Nieder、SalkのKrauslisの研究室から独立したZiad Hafedなど、サルのcognitive neuroscienceの一大センターだ。若い層もどんどん良い人を集めているなということを実感。生理研も決して負けていないけれど、やはり設備と人の層の厚さはさすがだなと思った。やはり研究のレベルを上げるにはcritical massが必要というのがよくわかる。交流が上手く進めばよいなと考えている。
ところで、Tubingen大学は明治初期に東京医学校(後の東京大学医学部)に教師として日本に近代医学を開いたエルヴィン・フォン・ベルツの母校。キャンパスには水原秋桜子の筆による碑が立っていた。「ベルツの日記」によると明治初期の日本が西洋文明を導入する様子について
不思議なことに、今の日本人は自分自身の過去についてはなにも知りたくないのだ。それどころか、教養人たちはそれを恥じてさえいる。「いや、なにもかもすべて野蛮でした」、「われわれには歴史はありません。われわれの歴史は今、始まるのです」という日本人さえいる。このような現象は急激な変化に対する反動から来ることはわかるが、大変不快なものである。日本人たちがこのように自国固有の文化を軽視すれば、かえって外国人の信頼を得ることにはならない。なにより、今の日本に必要なのはまず日本文化の所産のすべての貴重なものを検討し、これを現在と将来の要求に、ことさらゆっくりと慎重に適応させることなのだ。
・・・と記している。まさしく我が意を得たり。
一方、彼はあえて日本人の学問に対する姿勢に対して、本来、自然を究めて世界の謎を解く、というひとつの目標に向かって営まれるはずの科学が、日本では科学のもたらす成果や実質的利益にその主眼が置かれているのではないか、と批判している。そしてその科学の元来の目標ことを理解することが、日本の学問の将来には必要なことである、とも述べている。
・・・これについては、日本の社会は明治時代からどれだけ成長できただろうか。たかだか百数十年だとまだまだ・・・なのだろうか。

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 伊佐 正 教授 
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