ご挨拶

2011年5月   伊佐 正 

我々の中の「古い脳」
4月に2度ほど、「進化」に関係する小さな会合に参加することがあった。
そこで考えたことを下の表に書いてみる。

神経科学の研究において、どのような動物を用いて、何の機能を研究するのか?ということについて。一番下に書いてある「@多くの動物種に共通する生命を維持するための基本的な機能(睡眠・覚醒、食欲、他の自律機能)」を研究している研究者は、どのような動物を使っていてもヒトにつなげること、進化・階層性の問題などで悩むことは少ないだろう。また、「Aそれぞれの種に固有に発展した機能」を研究している研究者も、逆に、ヒトへの直接のつながりを考えない所にアイデンティティがあるわけだから、腹を括ってしまえば何も悩むことはない。そして、「B比較的シンプルな脳をもった動物で系統発生学的に古いシステム(脳幹、脊髄、古小脳など)を研究する」研究者や、「C複雑な脳を有するサルなどでいわゆる脳の高次機能を研究する」研究者も、それぞれの研究対象の選択の整合性についてあれこれ言われることも、自身が悩むことも少ないだろう。一方で、それ以外の部分にはそれぞれ悩ましい問題がある。ひとつは「D比較的シンプルな脳を持った動物(特にマウスなど)で連合野、視覚野、運動野などの機能を研究する」研究で、「そもそも持っていないものを研究できるのか?」「マウスは統合失調症、自閉症、鬱病などのモデルとして適切か?」という議論が多々ありつつも、実際にこの部分は現代の神経科学の領域では爆発的に増加してきている。勿論、分子遺伝学的手法を用いて様々な遺伝子改変動物を作ることができるのが強みだが、私はこちらの方面の研究のoptimismは、全てを否定するわけではないが少々批判的だ。やはり、何を研究対象とするかはよく考えなくてはいけない。要素の部分に切り分けて解析することでは得るものが多いと思うが、phenoptypeに騙されて外挿が行き過ぎてしまい、結果として「間違った」結論で突っ走ってしまうことにならないか、不安である。それに対して、実は私は最後に残された「E高度に発達した脳を持つサルを使って系統発生学的に古いシステムを研究する」部分に属している、と言えるかもしれない。これは圧倒的にマイノリティだ。実際にやっているのは脊髄の神経回路だったり、古い視覚系である「膝状体外視覚系」などであったりする。「そんなことはマウスを使ってやればいいじゃないか。サルをやるなら、高次機能!連合野!」と悪口を言われてしまいそうだが(実際に最初の頃はよく言われた)、これには私なりの理由がある。我々の脳は進化の過程で古い脳の部分に新しいシステムを上乗せすることで発展してきている。例えば、大脳皮質から脊髄への投射経路は、下等な哺乳類だと脊髄の介在ニューロンを介して運動ニューロンに接続するが、高等霊長類では皮質脊髄路から運動ニューロンへの直接投射経路が出現する。また視覚系についても、下等な脊椎動物や下等な哺乳類では網膜から上丘(視蓋)に投射する経路が中心だが、高等な哺乳類では網膜から外側膝状体を介して大脳皮質視覚野に至る経路がメインになる。このような私達の中枢神経系の中で残された「古い脳、古い回路」の部分が、我々の「高次な機能」(手の巧緻運動、注意、意識etc.)の背後で一体何をしているのだろうか?実はこのことを問題にすると少なからぬ人たちが少々感情的な反応をされることを私は経験している。これは洋の東西を問わずどうもそれぞれの人たちの研究が立脚している根幹や、それぞれの世界観、人間観、宗教観、倫理観に対して相当にタッチーな問題であるらしい。ある人は「そういう古いシステムは、あっては都合が悪いから抑制しているのです。」と強く主張する。これには過去100年余り神経科学の世界を支配してきたドグマの一つである「大脳化(encephalization)」という考え方が影響しているのかもしれない。これは下等な動物の古い脳の構造が有している機能は、大脳の発達とともに大脳など高次中枢に「移った」とする考え方である。この考え方によれば、大脳が破壊された場合にその古い脳の機能が見えてくる。原始的反射しかり、大脳辺縁系に内在する情動や本能的行動であったりする。こういう「古い脳」の機能が我々の統一された意識空間とは別に、普段から裏で機能しているかもしれない、などということは多くの人にとっては余り気持ち良いものではないし、考えたくないことなのかもしれない。
このドグマの普遍性についての議論はさておき、「私達の脳の中の古いシステム」を研究する立場として、私はまず新しいシステムが損傷された場合に古いシステムが機能を代償する、という点についてこの10年くらい研究してきたが、これについてはある程度の成果を収めることができた。皮質脊髄路から運動ニューロンへの直接経路を損傷すると脊髄介在ニューロン系を介する経路が代償するし、一次視覚野を損傷すると上丘が機能を代償する。
そこで次のターゲットは、やはり、それではこれら「古い回路」が普段我々の脳の中で何をしているのか?が問題だ。新しい脳によって抑制されているのか、それとも随時機能しているのか?これについては、例えばAction blindsightと呼ばれている現象では、TMSで一次視覚野を一時的に抑制してscotomaを作って、視覚的意識を喪失させても、リーチング運動中にターゲットの場所を急にずらした際に腕の軌道を追随して曲げる、という機能は残るという報告もある(Christensen MS et al. PNAS, 2008)。このような腕の軌道変更が無意識に起きるというのは既に1980年代からGoodaleらによって報告されている。この結果は、無意識の感覚―運動系として上丘などが普段から機能している可能性を示唆している。しかし、これまでパラダイムは「新しい脳」を抑制ないしは破壊することに依っていることが少々問題だ。
私は実験科学者だから、このような「古いシステム」の寄与についてはやはり議論するだけでなく、実験的に証明しなくてはいけない。そこで役に立つだろう技術は我々が今サルに適用しているoptogeneticsとかウィルス2重感染法による特定神経回路の経路選択的、可逆的伝達遮断法だ。これによって我々の脳の中の「古いシステム」を可逆的に遮断する・・・これについては少し結果が出てきているので乞うご期待!

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 伊佐 正 教授 
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