ご挨拶

2012年12月T   伊佐 正 

                                         今年もあと少し・・・

しばらく更新をさぼっていた。11−12月を少し振り返ってみる。
11月14日(水)・・・さきがけ領域会議。「脳情報の解読と制御」の領域アドバイザーをしているが、今回は総研大の行事や生理研の教授会と重なったので最終日だけ参加。「さきがけ」に選ばれている皆さんと年2回一緒に泊まり込んで成果を聞いたり、あれこれ議論する領域会議はとても楽しい。刺激を受けられるし、実は内緒で結構アイデアを「盗ませて」もらったりしている(申し訳ない!?)。自分が30代前半の頃も「さきがけ」はあったのだとは思うが、ちょうど、東大から群馬に移ったばかりで、全く新しい分野(グルタミン酸受容体の分子生理学)で一から再スタートしていた頃で多分将来が全く見えず、「さきがけ」なんてとても考えている余裕がなかったのだと思う。応募してみようなどとは全く思いもしなかったし、実際募集が行われていたことすら知らなかった。その後、30代半ばで生理研に移ってから一度応募したが既に教授になっていたし、多分あまり魅力的な申請書ではなかったのだと思う。不採択だった。
そういう意味で今、さきがけに採択されている研究者の皆さんと話していると羨ましくもある。自分も30代で採択されていたら、その後の研究の展開も今とはだいぶ違ったものになっていたのだろうか。50歳を過ぎてやっとキャッチアップできただろうか。まあ、それも自分の人生で、仕方ないかなとは思うけれど。

11月21−22日。脳プロ課題D−G成果報告会(京都)・・・ここ数年、11月のこの時期になると脳プロの成果報告会で、大変なプレッシャーを感じていた。今年は課題A,Cは最終年度なので成果報告会は既に9月に終わり、今回は拠点長として、自分の発表は無しで、課題D,E,F,Gの発表を聞くことになった。何だか変な気分だったが、今回感心したのは、脳プロもさすがに何年か継続すると、これまで日本の臨床の分野ではどちらかというと手薄だった大規模な患者の遺伝子のスクリーニングにより疾患関連遺伝子の抽出、そしてそうやって見つかってきた遺伝子の改変動物(マウスやショウジョウバエなど)を皆で共同して解析して中間表現型を見つけ、治療法を考案しようという試みがかなり軌道に乗ってきているようだった。やはり、トップダウンだと言われようとそれなりに腹をくくってやるだけのことはあるな、と思った。日本の臨床神経科学の研究が変わりつつある。

11月25日―12月2日。ローザンヌ->チューリッヒ->チュービンゲン・・・・今年2月25日に生理研で行ったチュービンゲン大学との合同シンポジウムの第2回を行うためにチュービンゲンへ。ついでなので、西村君と早めに日本を出て、ローザンヌのEPFL(スイス連邦工科大学ローザンヌ校)を訪問した。メインなホストは今年の神経科学学会に招待したGregoire Courtine。ラット胸髄のDouble hemisectionモデルで2足歩行アシストロボットによる随意的な歩行運動の訓練による皮質脊髄路の可塑性で今年Scienceに発表した論文は話題を呼んでいるが、そのラットを見せてもらってきた。私のセミナーも実に沢山の質問が出て盛り上がった。他にOlaf Blanke, Jose Millan, Carl PetersenなどBrain & Mind InstituteのPIたちの研究室も大変刺激を受けたし、またEPFL自体が大変innovativeで刺激的な場所だと思った。次にチューリッヒでETH(スイス連邦工科大学チューリッヒ校)を訪ねた。ここでのホストはRoger Gassert。日本でATRにもいたことのあるneuroengineeringの気鋭。臨床との連携、そして様々な開発中の機器を見せてもらい、セミナーをセットしてもらった。 ここではHepp-Raymondさんと17年ぶりにお会いできたのには感激した。その後Martin Schwabの研究室を訪問し、歓迎してもらえたのも有意義だった。その後、チュービンゲンに移動して、生理研から来た他10名と合流。チュービンゲン大学の皆さんには熱烈な歓迎を受けた。シンポジウムも大変盛り上がった。そして相互交流協定を締結。そして今後さらに両研究機関の交流を拡大する方策について話し合うことができた(http://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/12/post-230.html参照)。

12月15日。東大医学部S60クラス会・・・・卒業後27年目のクラス会。ここのところ2−3年ごとに行うようになって3回目。神田の学士会館に50数名が集まった。医者と研究者がほとんどなので、狭い世界なのだが、皆それぞれの分野で中核として責任のある立場。少し疲れも見えているが、だれもが「自分が一番」という感じだった学生時代からは少し角が取れて、温かい雰囲気。みんな、それぞれ色々あるのだよね。感心したのは、一人1分の順々の自己紹介を皆50秒できちんと終えていったこと。さすがですな。

12月16日。玉川大学GCOEシンポジウム・・・「新しい心の科学の構築をめざして」というタイトル。私以外の講演者が下條さん、渡辺武郎さんに銅谷さんに亀田さん。そしてdiscussantが川人、山岸先生に佐々木由香さん。私としては真剣勝負のちょっと気が抜けない会でした。特にこういう話をしてください、とは言われていなかったのだが、皆の話の内容が何となく似た方向を向いていたのには納得。キーワードは「意識/無意識」「操作性と予測性(decoding)」「大規模ネットワーク」「報酬」「社会」といったところか。

12月18日。部門の忘年会・・・・認知行動発達、脳プロ事務局、NBR推進室を併せて31名参加。東岡崎駅前の狭いワインバーで高い人口密度でやれたのはとても良かった。冒頭の挨拶では「今年は良いことも沢山あったけれど、大変なことも沢山あった年でした。それを皆で乗り越えられたことを喜びながら、ひと時語らいましょう。」確かに木下君のNatureや吉田君のCurrent Biologyをはじめ、脳プロ5年目の今年は多くの論文を出せた。ここ数年、私が40代半ば、CRESTが始まった頃からやってきた仕事をかなりまとまって出すことができている。お蔭で、国内外、色々なところのトークでは多くの賞賛を受けられるようになった。また、やりたいこと、うまく行きかかっている研究も沢山ある。本当は幸せなはずなのに(研究のことだけ考えているときはとっても幸せ)、一方で、実はあまり気が晴れない。耐震工事や、その前に導入したサルのSRV騒ぎで、本来なら一気に進めたい研究の展開が縮小を余儀なくされている。さらに、研究費の先が読めない。今回のように総選挙の結果を自分の研究費と結び付けて考えたことはこれまでなかった。それだけ科学研究費とは違って脳プロのような「政策的研究費」の行く先は不透明で、「研究成果」がその先を全く約束するものではなく、今後の推進策はそれとはかなり違う次元の尺度で決まる。「報酬の期待」と現実の報酬量の違い(つまり「報酬予測誤差」)が負の方向に大きいことはなかなか精神的に大変である。まあ、大きなグラントの切れ目とはそういうものだと言い切れば、そりゃあそうなのだけれど。ニホンザルのナショナルバイオリソースも、もう11年間やってきたが、なかなか将来の安定運営像が見えて来ていない。震災復興のため、給与も10%下がった。日本はどうなっちゃうのだろう?50を過ぎて、だんだん以前のように無理が効かないな、とも感じる。「こなせていない」色々なことが重くのしかかる。そんなこんなで今年も暮れていく。来年は良い年であってほしいな、と切に願う。



「ご挨拶2012年11月」 「ご挨拶2012年10月」 「ご挨拶2012年9月U」 「ご挨拶2012年9月T」
「ご挨拶2012年8月U」 「ご挨拶2012年8月T」 「ご挨拶2012年7月U」 「ご挨拶2012年7月T」 「ご挨拶2012年6月」
「ご挨拶2011年10月」 「ご挨拶2011年6月」 「ご挨拶2011年4月」 「ご挨拶2011年3月」  「ご挨拶2011年5月」
「ご挨拶2011年2月」 「ご挨拶2011年1月U」 「ご挨拶2011年1月T」 「ご挨拶2010年12月U」 「ご挨拶2010年12月T」
「ご挨拶2010年11月U」 「ご挨拶2010年11月T」 「ご挨拶2010年10月U」 「ご挨拶2010年10月T」 「ご挨拶2010年9月」
「ご挨拶2010年8月U」 「ご挨拶2010年8月T」 「ご挨拶2010年7月」 「ご挨拶2010年6月」 「ご挨拶2010年5月」
「ご挨拶2010年4月」 「ご挨拶2010年3月」 「ご挨拶2009年12月」 「ご挨拶2009年11月」 「ご挨拶2009年6月」
「ご挨拶2009年3月」 「ご挨拶2009年1月」 「ご挨拶2008年12月U」 「ご挨拶2008年12月T」 「ご挨拶2008年11月」
「ご挨拶2008年9月」 「ご挨拶2008年4月」 「ご挨拶2008年2月」 「ご挨拶2007年12月」 「ご挨拶2007年11月」
「ご挨拶2007年10月」 「ご挨拶2007年8月」 「ご挨拶2007年7月」 「ご挨拶2007年6月」 「ご挨拶2007年4月」
「ご挨拶2007年3月」 「ご挨拶2007年1月」 「ご挨拶2006年4月」 「ご挨拶2006年1月」 「ご挨拶2005年5月」




 伊佐 正 教授 
研究室TOPへ 生理研のホームページへ