ご挨拶

2013年2月   伊佐 正 

                                            春は春は

2月10日――東大ボート部の監督、淡青会(OB会)の理事長を長く務めておられた瀬田克孝先生が亡くなられ(83歳)、白金のお寺で行われた葬儀に参加してきた。瀬田先生は医学部のご出身で、私が学生の頃は医学部のボート部の監督をされており、慶應や京大との対抗戦の後のコンパや新歓など、折々にご馳走になったりしてきた。社会保険中央病院の副院長―院長―名誉院長で、医師として多忙を極める中、週末には頻繁に戸田(埼玉)の艇庫(ボート部の合宿所)を訪れては、現役部員を励まされてきた。私自身がこの年齢になってみるとそれがいかに大変なことかが良くわかる。このように全てに全力を尽くされ、それでいて大変暖かい心で人に接せられる瀬田先生は我々皆のロールモデルだった。私も20歳そこそこの頃に瀬田先生の薫陶を受けることができたのは大きな財産だと思っている。ここのところ、年末に東京で行われる瀬田先生を囲む会にはご無沙汰していた。人工呼吸器の管理下で入院中とお伺いしたのは12月。お見舞いに行くこともできなかった。
私は、大学1年生の4月に最初は医学部のボート部に入ったのだが、部員が多いので全学で修業をして来いと言われ、いきなり全学のボート部に入れられ、一番激しい時には年間300日の艇庫暮らしをして3年生の途中まで漕手として活動し、その後医学部の講義・実習が忙しくなってからはマネージャーの手伝いをしたり、医学部のボート部で漕いでいた(それでも年間100日くらい合宿していたが)。卒業後も全学のボート部の新人コーチをしていたこともある。当時は東大ボート部の全盛期で、最大で100名近い部員が艇庫に寝泊まりして切磋琢磨しており、私が1年生から4年生の間の4年間は、並み居る私学、社会人を抑えて全日本選手権エイトで4連覇を成し遂げた。私自身は結局1軍の対校選手には成れず、途中でオールを置いた身だが(そのことが悔しくて今でもよく艇庫暮らしの夢を見る)、当時のボート部に身を置いたのは誇りであるし、またその後の人生にとって重要なことの多くをその時に艇庫で学んだと思っている。
ボート部の宴会では、最後に一高瑞艇部の応援歌である「春は春は」を皆で肩を組んで歌って会をしめる。これまで何十回、いや何百回も歌ってきた。瀬田先生の葬儀の出棺の際に、皆で「春は春は」を歌います、とボート部の元マネージャーの後輩に言われていたのだが、最初の1フレーズを歌ったとたんに涙が止まらず、声が出なくなった。人目を憚ることなどできない、いわゆる「情動の嵐」に巻き込まれてしまった。あれやこれやに思いを巡らせて涙が出るのではない。頭の中が本当に真っ白になるのだ。よく脳科学では前頭葉が情動系を制御する、などというがそれだけでは説明は片手落ちである。情動系が前頭葉に強力な抑制をかけることもあるのだ。この強い情動反応の痕跡がどれくらい持続するのか、ということだが、その後約3時間後の帰りの新幹線の中、5時間後の家での妻との夕食の最中にも、少し思い出しただけで涙が止まらなくなった。13時間後、夜中に目を覚ました際に思い出してみたが、情動反応はそれほど強くなかった。翌日の昼の方がまだ強く起きていたし、ほぼ1週間経過した、この文章を書いている今もまだ少し残っているくらいなので、夜中はどうも脳の働き方が昼間とは違うらしい。私は夜中に目が覚めたときに、考え事をしているうちにネガティブな思考に囚われてしまって全然抜け出せずに苦しい思いをすることがある。と考えると、どうやら私の中の「春は春は」―「瀬田先生の葬儀」の連合による「悲しい」という情動は、このような「ネガティブな感情」とは一見似ているようだが、全く違う回路で処理されているらしい・・・と体感した。真偽は如何に?

少々脱線してしまったが、自分の「根っこ」がどこにあるのか、改めて認識することになった。

       「春は春は」
春は春は 桜咲く向島 やっこらせやっこらせ
オール持つ手に花が散る花が散る あうーあうー

夏は夏は 緑濃き綾瀬川 やっこらせやっこらせ
オール持つ手に蛍飛ぶ蛍飛ぶ あうーあうー

秋は秋は ?飛ぶ品川へ やっこらせやっこらせ
オール持つ手に月が射す月が射す あうーあうー

冬は冬は 名にしおう坂東太郎へ やっこらせやっこらせ
オール持つ手に雪が積む雪が積む あうーあうー

勝ったれ 勝ったれ 勝った方がええ
勝ったれ 勝ったれ 勝った方がええ



「ご挨拶2013年1月」 「ご挨拶2012年12月U」
「ご挨拶2012年12月T」 「ご挨拶2012年11月」 「ご挨拶2012年10月」 「ご挨拶2012年9月U」 「ご挨拶2012年9月T」
「ご挨拶2012年8月U」 「ご挨拶2012年8月T」 「ご挨拶2012年7月U」 「ご挨拶2012年7月T」 「ご挨拶2012年6月」
「ご挨拶2011年10月」 「ご挨拶2011年6月」 「ご挨拶2011年4月」 「ご挨拶2011年3月」  「ご挨拶2011年5月」
「ご挨拶2011年2月」 「ご挨拶2011年1月U」 「ご挨拶2011年1月T」 「ご挨拶2010年12月U」 「ご挨拶2010年12月T」
「ご挨拶2010年11月U」 「ご挨拶2010年11月T」 「ご挨拶2010年10月U」 「ご挨拶2010年10月T」 「ご挨拶2010年9月」
「ご挨拶2010年8月U」 「ご挨拶2010年8月T」 「ご挨拶2010年7月」 「ご挨拶2010年6月」 「ご挨拶2010年5月」
「ご挨拶2010年4月」 「ご挨拶2010年3月」 「ご挨拶2009年12月」 「ご挨拶2009年11月」 「ご挨拶2009年6月」
「ご挨拶2009年3月」 「ご挨拶2009年1月」 「ご挨拶2008年12月U」 「ご挨拶2008年12月T」 「ご挨拶2008年11月」
「ご挨拶2008年9月」 「ご挨拶2008年4月」 「ご挨拶2008年2月」 「ご挨拶2007年12月」 「ご挨拶2007年11月」
「ご挨拶2007年10月」 「ご挨拶2007年8月」 「ご挨拶2007年7月」 「ご挨拶2007年6月」 「ご挨拶2007年4月」
「ご挨拶2007年3月」 「ご挨拶2007年1月」 「ご挨拶2006年4月」 「ご挨拶2006年1月」 「ご挨拶2005年5月」




 伊佐 正 教授 
研究室TOPへ 生理研のホームページへ