ご挨拶

2014年5月   伊佐 正 

“Neural Control of Movements”

 4月21-24日は、第24回のSociety for Neural Control of Movements (通称NCM)の年会(Amsterdam)に参加した。毎年出ているわけではないが、2-3年に一回は顔を出していて、これで6回めになる。今回は上丘に関するシンポジウムでのトークのためだ。生理研に移ってから上丘の局所回路の研究を始めたので、既に18年余りこのあたりの仕事をしていることになる。この間、28編の原著論文と9編の総説ないしはbook chapterを書いてきた。私は国内では「サルの脊髄損傷」の研究者と思われているかも知れないが、外国では実は上丘の回路の研究で知られていると言う面もある。上丘は中脳にある構造で、哺乳類以下の脊椎動物の「視蓋」に相当する。視蓋はこれらの動物では、まさしく感覚と運動を統合する中心的な構造である。我々のような大きな大脳皮質を持つ霊長類では、脳の奥底に隠れてしまっているようだが、サルでも上丘の機能を薬物注入によって阻害すると注意の障害が顕著に見えてくるので、重要な働きをしている構造であることは間違いがない。解剖学的には美しい層構造をなしており、浅層には視覚入力が網膜や大脳皮質視覚野から入り、深層からは脳幹や脊髄に眼球運動(サッケード)や身体を刺激源に向ける指向運動野や、逆に刺激源から逃避する行動の指令が出力される。サッケードのような行動に表出される注意(overt attention)や、行動としては表出しない空間的注意(covert attention)に関連して秩序だった空間のマップが浅層と深層それぞれに展開されている。過去40年以上にわたり、上丘の機能については多くの神経生理学的な研究がなされてきたし、現在もなお、多くの研究者の興味をとらえて離さず、現実に多くの優れた研究成果が発表され続けている。その理由は神経活動記録や微小電流刺激法や薬物局所注入などにより回路の構造と機能の関係を繋ぐエレガントな研究が可能であることによる。私自身は、大学院生の時にネコが視覚対象に眼と頭部を向ける運動の協調的制御機構を研究していたのだが、その頃は運動出力信号の生成と言う観点から、脳幹と脊髄の回路が中心だったが、当時からそのうち上丘の構造と機能に関する研究をやってみたいとは思っていた。しかし、多くの先行する研究者達がいる分野に後から割って入るのは大変である。そこで、上丘のニューロン活動や他の脳領域との関係についての研究は多くの仕事がなされているのに対し、その内部構造については当時まだあまりわかっていなかったことに目を付けて、生理研でラボを持つことになった際に、スライス標本での局所回路の研究を開始した。当時、Duke大学のBill Hallたちが1-2年早く同様な仕事を始めていたが、今やBillも引退してしまい、他にもいくつかのグループもやってはいるけれど、サルの行動・生理もやりながら局所回路の研究をしている強みもあり、自分で言うのは何だが、現在、この分野を何とかリードできている。これまで必ずしもこの分野が大変注目される領域だったわけではないが、世の中では10年周期くらいで上丘のモデルを作るという研究が流行っており、また現在、そういう時期にさしかかりつつあるように思う。今回は、私がこの間やってきた仕事が組み込まれてきたのが新しいのかなと思う。この10年ほどの間にあった印象的な出来事として、2005年のGordon Research Conference “Oculomotor systems biology” は、長年上丘の代表的な研究者だったDavid Sparksさんの引退を記念しての会だった。私は参加できなかったのだが、その頃にたまたまSparksさんと一緒に” Microcircuit of the Superior Colliculus: A Neuronal Machine that Determines Timing and Endpoint of Saccadic Eye Movements.”というbook chapterを書かせてもらうという栄誉に浴することができた(2004年のDahlem Conferenceの議論をまとめた本)。とても慎重な研究者として知られているSparksさんとしては大変稀なことだったようである。そして、そのGordon Conferenceの基調講演で、私の仕事を何枚かのスライドで紹介しながら、「今後、この領域の研究はIsaに注目しなくてはいけない」と言ったそうで、皆余程びっくりしたのか、後からSparksさんの弟子筋だけでなく、多くの人からそのことを伝えられた。それから9年が経ったが、何とか、今回のNCMでのトークを終えて、やっとSparksさんが仰った「予言」の意味を皆さんに分かってもらえるようになりつつあるかな、と思えてきた。今回のトークでは、上丘のマップの中でも異なる部位の間の相互作用について論じた内容で、最近発表した上丘の浅層と中間層それぞれの「水平断スライス」で、whole cell記録をしながら、色々な場所を64chのMEDシステムで刺激した効果を解析し、浅層では顕著な側方抑制と非線形的な相互作用が観察されるのに対して、中間層では興奮と抑制はほどよくバランスされていて、線形的な加算がなされる。こういったことから、浅層は「サリエントな刺激の検出」、中間層は「情報の蓄積、統合」に適した構造であるとした。そしてそれに引き続き、どのような回路構造があればこのような信号処理が可能か、ということを、最近Richard Veale君が我々もラボに参加して、吉田君と一緒にやっているspiking neuron networkによる大規模な回路のシミュレーションの結果について話をした。ここでは、興奮性、抑制性の相互作用について、「解剖学的な構造に違いがあること」「時間的な関係の違いがあること(興奮は速く抑制は遅い)」のいずれの要因によって、スライスの電気生理の結果を説明できるかを、1万個のニューロン、150万個の結合をもつ「人工スライス」でのパラメターサーチをRichardが現在所属しているIndiana大学の「Big Red 2」というスーパーコンピューター(現在世界で10番目くらいに速いのだそうだ)を使って何十万回という大規模なパラメーターサーベイをした。その結果、両方のパラメターの違いがある場合に、電気生理(1点刺激の場合と2点刺激の場合ともに)の結果を説明できるという仮説を提出するに至った。そして3段階目はその仮説を証明するため、ということで笠井君のマウスのin vivo2光子顕微鏡での仕事を説明した。時間的な違いは既にスライスで説明しているが、実際に遠いところに投射する抑制性ニューロンによって側方抑制が担われているのかということを2光子の強みを使って立証してみせた。このようの「サルで問題になってきたことを還元論的にスライス実験で検証―その回路実装をspiking neuron network modelで考察―その仮説をvivoに戻る形で2光子で検証」という、「結構イケてる」話としてまとめ上げることができた。皆、どちらかというとポカーンとした感じだったが、普段はなかなか誉めていただけない大先輩のS先生からも「今まで聞いた伊佐君の話の中で一番良かった」と言っていただいたし、各国の色々な研究者からもあとで私の所に来ては「凄いぞ」と言ってくれた。 地味な研究でも、「時間がかかっても粘る」ことは重要だと本当に思う。NCMが好きなのは、長年運動制御のそれぞれの分野でやってきた第一線の研究者がsingle trackのセッションでじっくりとお互いの話を聞いて議論し合うことができる場であることだ。とても学術的で、よく考えないとついて行けない。学問は一朝一夕に成し得るものではない。以前は日本の班会議もそういう場で、私もそういう場所で育てていただいたという思いが強いのだが、最近は多くの会が単なる「成果報告会」になってしまって、学術的な議論が形骸化しつつあるのが残念だ。何とかしなくてはと切に思う。

(写真)オランダ王宮前広場にこつ然と登場した即席遊園地。いくらツーリストシーズンとはいえ、少しやり過ぎでは?と思うほど賑やか。ちなみにNCMの会場のホテルはこのすぐ脇だった。

(写真)こちらは宿泊したホテルの前のフォンデル公園。美術館が多くある地域にあり(今回は行く暇がなかったが)、静かで、朝の散歩にお薦め。





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